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中学国語 主語と述語

中学の国語の問題で 「兄の描いた絵」の主語と述語を答えなさい。 とありました。 どうにも納得いかないのですが回答は 主語…兄の 述語…書いた とのこと。 どなたかわかりやすく解説お願いします。

  • ripyo
  • お礼率62% (5/8)

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

以下、他の回答者の方と重複する部分もあるかもしれませんが、学校文法の立場からご説明します。 ●二通りある「主語と述語」 学校文法(中学)で始めにつまずきやすいのがこの点です。 「主語と述語」といった場合、次の二つの場合があるのです。 (1)文節どうしの関係を表す用語  まず中学では、文節の働き、および文節どうしの関係を習います。その関係には、次のようなものがあります。教科書によって、呼び方が異なるかもしれませんが、基本的なことは変わりません。 A主語・述語の関係 B修飾・被修飾の関係 C接続語 D補助の関係 E並立の関係 以上は、あくまでも文節どうしがどういう関係にあるかを示す言葉であって、下に書くような、文中における働き(成分)を示す言葉とは別です。 さて、ご質問の言葉の場合、「兄の」と「描いた」とが、Aの主語・述語の関係にあります。「兄【が】描いた」と言う、主語・述語の関係(意味)を表しています。くどいようですが、ここでいう主語・述語は、文全体における成分としての主語・述語とは別です。 (2)文の成分を表す用語 これは、文全体においてどのような働きをしているかを表す用語です。つぎのようなものがあります。 a主語 b述語 c修飾語 d接続語 e独立語 以上は、誤解されやすいので、文法の本を書いたり、文法の試験問題を作ったりするときに、非常に気をつけるところなのですが、質問者の方の学校の先生は、はっきり言って全く理解なさっていないようですね(失礼!)。 (3)連文節 ここで、連文節についてちょっと説明しましょう。連文節とは、二つ以上の文節が合わさって、文の成分となったものを言います。上の(2)a~eにあたる働きをします。連文節の場合は、「主部」「述部」……というように、「~部」と呼びます。 ほかの方もおっしゃっているように、「兄の描いた絵」というのは文の体裁をなしていません。よって、”この文の「主語・述語」は何か”と問うことは全くナンセンスです。もし先生が心の広い方でしたら、この回答を見せて差し上げるとよいと思います。心の狭い方ならば、この場は黙っていた方がよいでしょう。ただ、この先生の言うことは(少なくとも国文法に関しては)全く信用できないので、独学するしかありません。残念ながら。 具体的に、文の組み立てを見ていきましょう。 「私は兄の描いた絵をじっと見つめた。」 この文では、「私は」と「見つめた」は、文節どうしの関係という点でも、文の成分という点でも、「主語」「述語」です。「兄の」と「描いた」は主語・述語という文節どうしの関係で連文節になり、修飾部として「絵を」に係っています。そして、「兄の描いた絵を」という三つの文節からなる連文節(修飾部)になります。「じっと」は単独の修飾語です。 以上を整理すると、次のようになります。 (1)文節どうしの関係 私は-見つめた。……主語・述語の関係(たまたま成分でもある。) 兄の-描いた……主語・述語の関係 描いた-絵を……修飾・被修飾の関係 絵を-見つめた。……修飾・被修飾の関係 (2)成分 私は……主語 兄の描いた絵を……修飾部 じっと……修飾語 見つめた。……述語 説明がわかりやすかったかどうか、どこまで理解していただけたかどうかはわかりませんが、一応中学校で習う国文法の立場からいうと、上のような説明になります(私は中高生向けの文法書などを書いている者です。)。学校で習う文法以外のことについては、混乱なさるといけないので省略しました。ほかにも説明すべきこと(どのような場合に連文節になるのか、など)はたくさんあるのですが、長くなるのでこれでやめます。もし疑問やわからない点がおありでしたら、質問を補足してください。

ripyo
質問者

補足

kyouzaiya-kさん、わかりやすい解説ありがとうございます。 ボクとしては、ほぼ理解できたつもり(?)です。 大きく端折りますが、例えば問題が 「『兄の描いた絵』の主語と述語の関係にあるのはどの語とどの語か」 などと書いた問題ならば 「兄の」と「描いた」が主語と述語の関係である。 と答えれば良かったのでしょうね。 子供から口頭でしか聞いていないのでもしかしたら そのような問題だったのを子供が上手く理解出来ずに ボクに説明したのかもしれません(^^;) 一方で、子供の言ったとおりの問題だとすれば回答はやはり 「兄の描いた絵」というのは文の体裁をなしておらず、 ”この文の「主語・述語」は何か”と問うことは 全くナンセンス!!となる、と考えていいでしょうか。 ボクは、kyouzaiya-kさんの説明でそれ以外の部分もかなり 納得したのですが、子供にどれだけ説明できるかが心配です(苦笑)。

その他の回答 (7)

  • DMIM
  • ベストアンサー率17% (10/56)
回答No.8

『すべての文の修飾関係を操作しても主語、述語の関係は変化しないものでしょうか?』 kyouzaiya-kさんが説明している学校文法の「主語・述語の関係」のことですよね? 学校文法の「主語・述語の関係」という考えで言えば、修飾関係を操作しても「主語・述語の関係」は変化しないと思います。 私は文の成分を重視していたので、文節同士の関係には注意していませんでしたが、 kyouzaiya-kさんの体系的な説明とripyoさんのこの鋭い質問のおかげで、より深く理解できるようになりました。ありがとうございます。 文節同士の関係以外の、文節の働きについては、前に書いた通り、 『「絵が兄に描かれた」の「絵」が主語だからといって、「兄に描かれた絵」の「絵」が主語ではありません。別の文の述語です。』という考えです。 また、修飾関係の操作について言えば、もちろん、どのように操作しても良いわけではありません。 述語文節と、その述語を修飾する文節のひとつだけとの修飾関係を逆に出来ます。(ふたつ逆に出来るという例を見たことがありますが、他の説明が出来そうでしたし、基本はひとつだけです。) 『文をどの程度まで仮定していいものかどうか』 主語や述語に限らないでその他の補語なども、読者側の都合で変化します。 言い方を変えると、ひとつの文に複数の解釈が出来るのはよくあることです。 「兄の描いた絵」の例で言えば、「兄の絵」と「描いた絵」という修飾関係であるという解釈と、 「兄の描いた」と「描いた絵」という修飾関係であるという解釈が出来るはずです。 「兄の描いた」の「の」が、「兄」という語の格が主格であることを示すという考え(つまり「の」が「が」と同じだという考え)をしている文を 良く見るので、「兄の描いた絵」を「兄が描いた絵」と判断しました。そして、その解釈だけについて説明しました。 『述語が二つ、というのもなんだかピンとこないのですが…。』 (これから書くことは、記憶を頼りにしている部分が大きいので、断定した言い方で書きますが、不確かです。) ひとつの文にはひとつの述語しかありません。また、述語がない文はありません。(「おはよう」や「はい」などの独立語には触れないでおきます。) また、文は述語を含む文節(=述語文節)で終わります。 述語が二つということは、文が二つということです。 そして、複数の文がひとつの文になるということは、文が他の文の文節の語を修飾するということです。 言い換えると、述語文節が他の文の文節の語を修飾するということです。 ん~。後は、前の回答の繰り返しになってしまうので、ここまでにしておきます。

ripyo
質問者

お礼

述語文節と、その述語を修飾する文節のひとつだけとの修飾関係を逆に出来ます。 なるほど。そうであればかなり限定して(元の文から大きく逸脱せずに)入れ替えてみることが可能ですね。 また、「読者側の都合で変化」するというのは、やはりどなたでもおっしゃっている部分ですね。ボクの場合は逆にそれで引っかかっていました。 この問題の文章をどういう解釈をするかによって作者の意図した主語と、問題を出した先生の意図が「同じ」なのか「違う」のかによっても 「正解」か「不正解」かに分かれるのではないでしょうか。 そう仮定してみますと、やはり問題文としては「適切ではない」と判断してしまいます(苦笑)。 #DMIMさんの解釈どおりに先生が出題してくれていればいいんですけど、それは先生本人に聞かないと判りません(苦笑)。 「述語が二つ」の件も了解です。そういう場合は「複文」との理解でよろしいでしょうか。 ひょんな事から生まれた疑問でしたがDMIMさんをはじめ、皆さんのお考えを聞いて、だいぶ自分なりの考えも整理出来てきました。 本当にありがとうございました。

回答No.7

お答えします。父兄の方(今はこうした言い方をしないのかな?)だったのですね。失礼いたしました。 さて本題です。 >「『兄の描いた絵』の主語と述語の関係にあるのはどの語とどの語か」 などと書いた問題ならば 「兄の」と「描いた」が主語と述語の関係である。 と答えれば良かったのでしょうね。 全くその通りです。ただし、このような問題を作る場合は、文の形を提示し、その中の文節相互の関係を問うのが普通です(プロはそうします。)。中学校の文法では、文を基本的な単位として考えます。上の問題のように文節どうしの関係を尋ねる問題の場合はまだいい(「主語・述語」の関係にある文節を特定できるので。)のですが、これが成分を問うような問題の場合、文全体が提示されないと、決定的なことは言えないからです。よって、どのような場合も、文を提示するのが望ましいのです。 >一方で、子供の言ったとおりの問題だとすれば回答はやはり 「兄の描いた絵」というのは文の体裁をなしておらず、 ”この文の「主語・述語」は何か”と問うことは 全くナンセンス!!となる、と考えていいでしょうか。 これも全くその通りです。理由は前回お答えしたとおりです。 百歩譲って、「兄の描いた絵。」という文があったとしましょう。こういう文が絶対ないとは言えませんから。ただ、その場合は、述語が省略されていることになります。国文法(日本語文法)では述語は最も根本的な成分です。それを省略した形を”文”だというなんて、入門記の中学生に対しては全く無茶、百害あって一利なしです。ナンセンスよりたちが悪いといってもいいでしょう。 >子供にどれだけ説明できるかが心配です(苦笑)。 それは私も常に不安を抱いていることです。今回私がご説明したこと(理屈)をいきなり理解せよ、といっても難しいはずです。また、丸暗記させてもあまり役には立ちません(文法には暗記が必要な部分もあります。形容詞・形容動詞の活用形などがそうです。しかし今回のような理屈に関した部分は、何より”判らせる”ことが大切です。)。ただ、教える側はそうした理屈を踏まえ、子供がつまずかないように注意深く指導することが大切であると思います。それは私のような教材屋、教員、そして親御さんのすべてが心掛けるべきことだと思います。(もちろん一番心掛けるべきは我々国語を職業としている者ですけどね。)

ripyo
質問者

お礼

kyouzaiya-kさん、ありがとうございます。 皆さんのおかげでかなり頭の中を整理出来てきました。 ちょっと本題からずれますが 雇用機会均等法の頃からでしょうか「父兄」というより「父母」と 呼ぶことが多くなり、更に最近では「保護者」と呼ぶことが多くなってきました。 様々な家庭環境に配慮したものなのでしょうが…。 さて、kyouzaiya-kさんがおっしゃるように“判る”、“判らせる”事が重要だと思います。ゆっくりと子供には説明してみたいと思います。 国語は作者の意図や読者の生活環境によってさえ、文章のとらえ方が様々になるのだと思います。ですから数学や理科と違って「絶対的な正解」の出せない分野だと感じました。 だからこそ、小学生や中学生の頃の初歩的な(入門期の)段階での指導をしっかりお願いしたいものです。 勉強になりました。ありがとうございます。

  • DMIM
  • ベストアンサー率17% (10/56)
回答No.5

どうも、こんにちは。 短くわかりやすく説明するのが一番良いと考えていますが、説明がとても長くなりました。 しかし、この説明で、学校で習う文法について詳しくなれるわけではないかも知れませんが、文について詳しくなれるはずだと思っています。 もし良ければ、参考にしてください。 『文の修飾関係の操作』 文は文節で出来ています。文節は語で出来ています。 文は、文節から他の文節の先頭の語への修飾関係(係り受け)で構成される場合もあります。修飾関係がないことも修飾関係のひとつと考えると、全ての文は修飾関係で構成されています。 そして、文を構成している修飾関係は操作できます。その操作で、文が何に注目しているかを操作することになります。 「絵を描いた」という文を例にすると、「絵を」という補語文節と「描いた」という述語文節に分けられます。「絵を」が「描いた」を修飾しています。 「絵を描いた」という文は、述語文節を中心として、補語文節と述語文節の修飾関係を逆にして、「描いた」が「絵を」の「絵」を修飾することも出来ます。しかし、「絵を」は格助詞を除いて「絵」になります。 ※原子が電子を失って他の原子と結合するように、補語文節が格助詞を失って述語文節と結合します。 「絵を描いた」 → 「絵を」「描いた」 → 述語文節を中心にして補語文節を左から右へ → 「描いた」「絵を」 → 格助詞を失って → 「描いた」「絵」 → 「描いた絵」 つまり、「絵を描いた」は「描いた絵」に変えられます。同じように、「兄が描いた」は「描いた兄」に変えられます。 そして、「兄が絵を描いた」は「絵を描いた兄」や「兄が描いた絵」に変えられます。 また、それらの逆も出来ます。その場合は失われた格助詞を推測することになります。 ※ひとつの文に同じ格助詞は使えないことと、残っている格助詞から失われた格助詞を推測します。 「絵を描いた」と「描いた絵」の違いは、ripyoさんがNo.1の回答への補足で、『筆者は「描いた行為」ではなく、「絵そのもの」を指しているだけ、 とも考えられませんか?』と考えたように、注目している語です。修飾されている語が注目されています。 また、「兄が描いた絵」や「絵」は「絵」を表しています。 『文の中の文』 「兄が絵を描いた」は「兄が描いた絵」に変えられますし、「絵を買う」という文も出来ますから、 そのふたつの文を合わせて「兄が描いた絵を買う」という文を作ることも出来ます。 「兄が描いた絵を買う」という全体が文ですし、「兄が描いた」という部分も文です。 つまり、文の中に文があります。そのような構造をした文のひとつを複文と言います。 「兄が描いた」という文が「絵を買う」という文の「絵」を修飾しています。 つまり、「兄が描いた絵」は複文ということです。 さらにそのことはつまり、「絵」だけでも文だということです。 それについて納得できない場合は、「AがAだ/である」がなぜ矛盾していないかを考えてみてください。 つまり、「A」と「Aだ/である」が同じだからです。 つまり、「絵だ」や「絵である」と「絵」は同じなのです。 『「兄の描いた絵」の主語と述語を答えなさい』 「兄の描いた絵」は「兄が描いた絵」を表しているとします。 「兄が描いた」という文が「絵」という文を修飾しています。 ※「絵」という語が「絵」という述語文節を作って、「絵」という述語文節が「絵」という文を作っています。 「兄が描いた」という文は、「兄」が主語で「描いた」が述語です。 ※主語というのは語のことですから、正確には「兄が」という文節が主語ではなくて「兄」という語が主語です。 しかし、質問文の解答例のように、主語を含んだ文節を主語と呼ぶ場合があるみたいです。 「絵」という文は、「絵」が述語です。 このことから、私の解答は、 主語 「兄」 述語 「描いた」「絵」 です。 質問文の解答とは違いますが、これまでの説明で質問文の解答の根拠を理解できるようになったと思います。 『「兄に描かれた絵」の主語と述語を答えなさい』 要らない説明かも知れませんが、「兄に描かれた絵」は「絵が兄に描かれた」と変えられます。 つまり「描かれた絵」は「絵が描かれた」だと推測できます。 しかし、「絵が兄に描かれた」の「絵」が主語だからといって、「兄に描かれた絵」の「絵」が主語ではありません。別の文の述語です。 「絵が兄に描かれた」という文を根拠にして、「兄に描かれた」という文が「絵」という語を「兄に描かれた絵」と修飾しているのです。 ※語にどんな文でも修飾できるわけではありません。例えば、「兄がお菓子を家で食べたりんご」は?になります。 「兄が家で食べたりんご」なら「兄が家でりんごを食べた」と推測できます。しかし、「お菓子を」と既にあるので他の格助詞を推測しますが、当てはまりそうにないので?です。 「兄に描かれた絵」の主語と述語を答えなさいという問題には、 主語 なし 述語 「描かれた」「絵」 と、私は答えます。

ripyo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 DMIMさんのおっしゃる事もよく理解できます。 …が、 「文を構成している修飾関係は操作できます。」 となるとすべての文の修飾関係を操作しても 主語、述語の関係は変化しないものでしょうか? また、DMIMさんが 「兄の描いた絵」は「兄が描いた絵」を表しているとします。 と仮定したように、文をどの程度まで仮定していいものかどうか…。 特に筆者の言いたいことが、この文だけでは特定出来ない(と、私は思います) 場合は読者側の都合で主語、述語が変化しやしないか不安です。 述語が二つ、というのもなんだかピンとこないのですが…。 すみません、勝手なことばかりで…。

  • Quattro99
  • ベストアンサー率32% (1034/3212)
回答No.4

私も問題がおかしいように思います。 「描いた」の主語は何かという問題であれば「兄」、「兄」の述語は何かという問題であれば「描いた」となると思いますが、「兄の描いた絵」の主語と述語と言われても何を意味しているのかわかりません。 「兄の描いた絵」が文であるとすると、例えば「これは兄の描いた絵です。」の主語「これ」と述語「です」が省略されていると考えるしかないように思います。しかし、「あれは兄の描いた絵だ。」かも知れませんし、「私は兄の描いた絵を持っている。」かも知れません。何が省略されているのかはわからず、この出題だけでは答えを確定させることは出来ないように思います。あえて解答するなら「主語と述語は省略されている。」と答えるしかないように思います。

ripyo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私を含め、家族でも同じような感想を持ちました。 今日は下の子が別の先生に聞いてみるとも言っています(笑)。 職場でもこの話題を振りまくっています(笑)。 またよろしくお願いします。ありがとうございました。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.3

すみません。誤記訂正。 【誤】 たとえば、 「兄は(が)この絵を描いた。」 であれば、文になっていますから、「兄」が主語、「描いた」が述語になりますし、 「この絵を描いたのは兄だ。」 であれば、「この絵を描いたの」が主語、「兄だ」が述語になります。 【正】 たとえば、 「兄は(が)この絵を描いた。」 であれば、文になっていますから、「兄は(が)」が主語、「描いた」が述語になりますし、 「この絵を描いたのは兄だ。」 であれば、「(この絵を)描いたのは」が主語、「兄だ」が述語になります。

ripyo
質問者

お礼

sanoriさん、ありがとうございました。 皆さんの回答を読んでずいぶんと考えがすっきりしてきました。 やはりどうしても最終的にはsanoriさんのおっしゃるような 仮定が出来れば良いのですが、その仮定が正しいのかどうかは 出題の先生の判断と一致するかどうかだと思いました。 どれも間違いでもないけど絶対的な正解でもないって感じでしょうか…σ(^◇^;) また機会があればよろしくお願いします。

ripyo
質問者

補足

当初、sanoriさんのおっしゃっているように 「兄の描いた絵」は、文の形になっていませんから、主語も述語もありません。 と、ボクも子供たちと話していたのですが学校の先生からの回答で、 どうにも納得いかず、こちらで質問させていただきました。 今更ながら、疑問に思ったのですが主語、述語の無い一行だけだと、 「文」とも呼べないと考えて良かったのでしょうか。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

この出題は誤りです。 「兄の描いた絵」は、文の形になっていませんから、主語も述語もありません。 たとえば、 「兄は(が)この絵を描いた。」 であれば、文になっていますから、「兄」が主語、「描いた」が述語になりますし、 「この絵を描いたのは兄だ。」 であれば、「この絵を描いたの」が主語、「兄だ」が述語になります。

  • SaySei
  • ベストアンサー率32% (528/1642)
回答No.1

主格の「の」なので、「兄の」が主語。 わかりやすく言い換えると、「兄の描いた絵」=「兄が描いた絵」。さらに言い換えると、状況によっては「その絵は兄が描いた」ともいえますし、もともとは「兄は絵を描いた」だったのだろうと思います。「絵」というものに着目すると、筆者の言いたい絵というのは「兄が描いた」ものですよね。 そもそも、「絵」が主語であれば、「描かれた」という表現でないと述語になりませんよね。述語になりえるものに着目すると、動詞の「描いた」です。 ですので、「描いた」の主語になりえるのが「兄」です。

ripyo
質問者

お礼

SaySeiさん、ありがとうございました。 皆さんのお陰でずいぶん考えがすっきりしました。 ただ、やはり最終的には断定は難しいのかもしれません。 出題者の意図のほうが重要かも(苦笑)。 また機会があればよろしくお願いします( ^.^)( -.-)( _ _)

ripyo
質問者

補足

なるほど。 ウチで子供たちとも、SaySeiさんのおっしゃるような理由じゃないかとの話になりました。 ただ、(上手く言えませんが)前段の「兄の描いた」は 絵の事を説明した補足的な表現、と捉えてみると 筆者は「描いた行為」ではなく、「絵そのもの」を指しているだけ、 とも考えられませんか?

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