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死に対する恐怖
- 20代半ば辺りから死に対する恐怖がすごいあります。
- 祖母や祖父や親戚も亡くなっていき、その時の闘病生活を思い出すと怖くなります。
- 両親や大切な人が苦しむ姿や亡くなったら会えなくなるという現実、皆さんも考えると怖くなったりしますか?
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私は、昨年、3度入院して、3度退院できたのですが、 2度目の入院中に、このまま心臓の鼓動が止まれば 人生の終焉という事態があったのですが、特に、 恐怖感も苦痛感なども感じることは 有りませんでした。 死の瞬間というのは、感覚的には 「無」なのではないでしょうか。 私の実体験からは、そのように感じられて なりません。 [アナタ様は、いつ死んでも、悔いのないように、 1日1日を最高に上機嫌で過ごせるように エスプリを含めた環境を整えませんか。 〈そうすれば、恐怖感などとは無縁で過ごせる ようになる筈です〉 茶道の「一期一会」の精神を身に着けて、 全てのシーンやフェーズに敷衍して暮らすように すれば、充実感の余韻に包まれて、ピーハツ (=ハッピー)な気分で日々を過ごせるようになる 筈ですので、是非、試してみてくださいませな] 多種多様な心配事で意気阻喪してしまわない為には、 「Be Prepared!(=備えよ、常に!)」 (=ボーイスカウト&ガールスカウトのモットー) のように《備え》ることも大切です。 これからは、《一期一会》の精神と 《備える》精神を、大事にして 暮らすようにしませんか。 他、〈恩返し〉〈恩送り〉なども、 人生を豊饒&豊穣にしてくれるように (私個人的の実感として)感じております。 [竹植ゑて即ち無為を楽しめり (大橋越央子)] 「いいことがひとつあったらいい日だね (詠者不詳)」 [生えて伸びて咲いている幸福 (種田山頭火)] [萬華鏡この世は夢を見るところ (中尾藻介)] [ふだん着でふだんの心桃の花 (細見綾子)] 「The joy of living is the joy of giving. (『Lover Come Back』)」 Good Luck. Ciao.
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- stpock
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死後の世界の事を理解されれば良いと思います。 初期の頃の話です。 普通、自分は物質的な肉体が自分だと思っていると思いますが 肉体は単なる物質的な入れ物で 自分と言う魂が抜けると 単なる肉の塊(かたまり)になります。 物質でない「魂」が自分と言う本質なのです。 死は突然に訪れます 自分と言う存在は魂の方にあった事が解ります。 肉体は貴方が動かす自動車のような物だったのです。 運転手の貴方が動かす自動車です。 貴方が車から降りると自動車は動かなくなります。 死ぬと肉体から霊体が離れて、 自分は霊体の方に存在しているのが解ります。 と言うのは 自分が今まで寝ていたベッドの部屋の上から自分を見て、 医師や看護師さんが下の肉体に慌ただしく何かをしている姿を見て 自分が死んだ事を理解し 死と言う物はこう言う事かとも理解します。 死んでもしばらくは そのままの考え、思考力で魂として生きています。 死ぬ5分前と5分後では何も変わらないと言います。 その後、 自分が死んだ事を認識し その事を色んな人に知らせようとします すると思い出すだけで その知らせたい人の所に移動できる事が解ってきます。 瞬間に移動します。 そして、 色んな人に自分の死を知らせて回ります。 この時、受け取る側は「虫の知らせを受けた」とか 言う表現の現象が起こっています。 この時、時間も超えて移動できる状態にあります ですから 虫の知らせを受け取った時間が 本人がまだ生きていたと言う現象も起こります。 その後、 時間も自由に移動できる事から 過去に疑問に思っていた事も解決?(意味を理解する) (なぜ、あの人は、あの時、私にあんな事を言ったか?等) と言う事が理解出来るようになります。 見たい物は、ほとんど全部見る事が出来 なぜそうなったかと言う事や、 他のほとんどの事が理解できる状態にまでなります。 もうこれ以上見ておく物も無いと思うまでになります。 そうすると、 本人より先に死んだ人で 本人がもっとも心の許せる人(一番信頼できる人)が、 そばに来て 「もういいですか?」 (疑問に思っていた事を全部解決しましたか?と言う意味です) 「これ以上確かめるものは無いですか?」 「ついて来なさい」 と言って手をさしのべてくれます。 そして、その人と一緒に天国に行きます。 この間 こちらで言う所の49日と言う時間になりますが この49日は正確では無いです。 仏教がこの期間の事を目安として伝えただけです。 この頃に死後覚醒が起こり 肉体を持って生きていた時とは 別の精神状態になって行きます。 それまで歩んできた色んな人生を回想できるのもこの頃です。 この事を「振り返り」と言いますが 生きていた時の事を全部、詳細に振り返り 反省する所は反省を指導霊に促されます。 その後、天国に向かいますが 天国に行っても終わりません ここからが始まりです。 天国の小学校の1年生に入学です そこで、霊としての生活と勉強が始まります。 生活は自分の望む生活で 暑くも無く寒くも無く 食べる物も着る物も 何でも揃っている貴方が望む生活になります。 高度に進化した文明では 死後の世界が存在して 自分の魂は永遠に存在し 輪廻転生が起こっている事は 常識になっていて子供の頃に しっかりと教育されるそうですよ! この先はまだまだ長いですので この辺で終わります。 https://alcyon.amebaownd.com/
お礼
ありがとうございます!そんな世界だったら安心です。
- keizo99
- ベストアンサー率14% (265/1820)
貴方は、家族から、ご先祖から、多大な愛情を受けられているのですね、 確かに、ある時期そう言った感情が、抱いた事ある方もおられます、、 それは、幸せな現在を送られて、いるからです、今わ実感出来ないと思いますが、 人は、全ての人は、生を受け生まれ、いずれ死に直面し亡くなつていきます、無論、運命を背負って生きているのです、人の生き死を体験して、色んな意味で実感する事があり、貴方もいずれ、仕事、生き死の覚悟を、持つことになります、 今の貴方の現状、現実が消える、なる事の先の不安が、でてくるからです、また、人は今見えている、事が、死によつて見えなくなる不安、恐怖があるからです、それは、執着なのです、人一倍執着するのが、人間です、 でも、自然の死を受け入れる気持ちが、年と共に、芽生えてきます、そして、死は自然のせつりであり受け入れる、気持ちと開き直りが芽生えます、だから、今、今日を自分なりに、後悔する事なく生きる 事に力をそそぐべきです、運命がくる まで、よく、仏の世界では、この世、現在の事ですか、仮の世界だと言われています、今の貴方は修行場で、色んなしがらみ、苦難を乗りきりながら、道を踏み外さず、犯罪を、犯さずに、負けないで、乗り切れるかの、修行の場と言われています、勿論恐怖もですが、だから、人間は、見える物に目を奪われるのです、今の地球上の貴方は、仮の体と修行の場なのです、そんなに考えて、いるうちに人の一生一瞬です、人は、二度死ぬといいます、一つは、死ンだ時、二度目は、貴方の知っている人が、全て亡くなり、忘れ去られた時です、だから、そんなに心配しないで下さい、全ての人が、皆同じ事を繰り返して、いるのです、 それより、今を、後悔する事なく、後ろを振り向かないで、生きる事に、力を注いでください、貴方の時代を突抜る気持ちで、また、両親を大事にしてください、 ようは、貴方は執着と、しがらみと、雑念の中で、覚悟をもつた生き方が、出来るか かですね、
お礼
ありがとうございます!
- zne368d4nt8
- ベストアンサー率20% (163/792)
こんばんは 成程 分かりますよ。 しかし こう 考えては 如何でしょうか。 病など で 苦しむ事 (自分や大切な人など・その他全て) ↓ 未来 病で ほとんどの人が この世を 去る訳ですが その時に 1.病には成るが 苦しまない で この世を去る と云う物もありますし そして、2.病に成り 苦しんで この世を去る と云う物もある訳ですが それは 誰もが 同じ事 であると云う現実 その現実を 受け入れるだけで 恐怖など 無く成る物でしょう 【仕方の無い事であり どうにも成らない事】 で 悩んだり 苦しんだり 恐怖したり 等する必要は無い物です そして 死んだら 永遠に 会えなくなる と ありますが あの世で 会えたりする事も ある様ですよ 仮に 永遠に 会えない 運命であっても 一緒に 過ごした時は(繋がりは) 心や魂に 思い出として 永遠に 残る物です だから 今を 生きる事です 最期に 苦しまないで良い様に きちんとした生活を送る事 (健康を気遣い 親孝行をする等ありますよ) 死んでから あちらの世界でも また 会える様に 真面目に生き 善い行いを し続ける事 すると 願いは 叶ったり する物です (実は 善い行い等せずも 魂の繋がりにより また 来世でも 何らかの形で 出会う物なのですよ 【繋がりは 決して 無くならない物】 何時までも 一緒に 居たい と 思っていても もう 二度と 会いたくない と 思っても 基本、 変わらないもの です その 基本以外 も 勿論 ありはするのですが いずれにせよ 運命が ある物で それらには 逆らう事は出来ないのです ですから 一生懸命 生きるだけで 良い物に成るでしょう がんばってください。
お礼
ありがとうございます!
- 12240827a
- ベストアンサー率15% (10/64)
愛する事だけを意識して、愛する事だけやって謳歌してれば良きです。 愛さえあればある程度の事は後からついてきます。
お礼
ありがとうございます!
- cse_ri4
- ベストアンサー率22% (45/199)
死なない人間はいない。 金も政治権力も科学知識も、死の恐怖を越えることはできない。 じゃあ、どうするか。 宗教にすがるしかありません。 死なないことはできなくても、死後の世界に希望を持たせるものは、宗教しかないのです。 今までに縁のあった宗教の門を叩きなさい。 お寺であろうとキリスト教会であっても。 神道だけは、死後の世界の保証がないので、とりあえず除外しますお
お礼
ありがとうございます!
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15944)
50代です。友人の何人かは、もう既に亡くなっています。 父も亡くなりました。知り合いは小学生のお子さんを事故で目の前で 亡くされました。 私自身も、いつ死んでも、おかしくない状態だと医師から言われています。 その直後は、夫が毎日、深夜、そういう電話相談に電話してました。 本人が受け入れてるのに、女々しいことするなと叱りました。 皆、いつかは死にます。そんな誰にも判らないことを、うだうだ 考えるだけ時間の無駄です。 あなた、何のために生きてるんですか?人の為、社会の為になることを なさいな。 メンタル弱すぎ!ちゃんとメンタル鍛えて元気なうちは人の為に 尽くしなさいって。 まだ1歳で言葉も喋れない頃の、うちの子ですら親が何も言わなくても お年寄りに電車で席、譲ってたわ~。(小さいうちから人の為に 何かをしようって) ずっと、怖い怖いって怖がって何十年も何もせず生きて行くつもりですか? あなたは、何のために生まれて来たんですか?
お礼
ありがとうございます!
- -ruin-
- ベストアンサー率31% (239/770)
わかります。 考えないようにうするしかないです
お礼
ありがとうございます!
- tonosuku2392
- ベストアンサー率34% (41/120)
死への恐怖があろうが、なかろうが、死ぬときは死にます。 よって、心配したってしょうがないです。 私も過去、少しでもお腹が痛くなったら盲腸?、頭痛がしたら脳腫瘍?と思うような子供でした。 でも、今は何とも思わないです。ちょっと調子悪いなーくらいで、むしろ、病院もなかなか行かない方です。 それより、両親も自身も歳を取っていくのだから、次世代の子供を残しませんか。 自分が年老いて死ぬときに、一人だと寂しいですよ。 早く、結婚して、子供を産んで、将来を託すのはいかがでしょうか。 それまで一生懸命生きる、それでいいんじゃないかと思います。
お礼
ありがとうございます!
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6876/20336)
もし死んだら 自分が死んだことに気が付きませんからだいじょうぶです。
お礼
ありがとうございます!
20代半ば辺りから死に対する恐怖がすごいあります。……皆が皆、普段から「死」を意識しているわけではないけど、意識しだすとjajmdwmamtさんと同じように「恐怖」に陥ると思います。ただ、普段の生活の中で、「死」を意識するか、しないか、だけの違いです。 ニュースやネット記事で 闘病のことを読んだりすると すごく怖くて心臓がバクバクします。……「闘病」だけではありません。私も子供を亡くしましたが、今日も、「大坂で、男子高校生が転落死 巻き添えの女子大学生が死亡」 https://news.yahoo.co.jp/articles/b3f29710e330543bce3ea532340294b4f06fffde というニュースがありましたよね。生きていれば、いずれ、「死」が訪れますし、予期もせず、覚悟もしなくても、それは、いきなり訪れることがあります。。 自分の大好きな両親も いつかそうなる。まだ先かもしれないし 近いかもしれない。……そうですね。 苦しむ姿を見たくない 見るのが怖いです。そして永遠に会えなくなるという現実が怖くてたまりません その次は自分。……みぃ~~~んな同じです。 それも考えるダケで怖くて 涙出てきます。……仕方がないです。「別れ」の時を迎えるのです。 両親や大切な人が苦しむ姿や 亡くなったら会えなくなるという現実 、皆さんも考えると怖くなったりしますか?……怖いですね。「死というものが、わかっているようで、何かわからない」ということや、「私というものが何もかも、無くなってしまう」ということの、漠然とした恐怖みたいなものはあります。 私は、「私自身の死」 考えてもどうにもならないけどこわくて どうしたらいいか………期待する回答にはなりませんが、「死の恐怖」から逃れられないのであれば、向き合うしかないと思います。 古い本なので、手に入るかどうか分かりませんが、講談社文庫に岸本英夫著の「死を見つめる心……ガンと闘った十年間」というのがあります。米国留学中に癌に侵されたようです。「人間と宗教」など多数の著書があるようで、詳しくは記述しませんが、「死というのは、別れ」だというような悟りのことが書かれています。「死」ということに何らかの答えを求めたいのであれば、参考になるかも知れません。よい本でした。私は、珍しく赤線を多く引きましたが、だからといって、……ということです。結局、「死」というのは、自分で向き合って、自分なりの答えを出さないと、納得出きない、納得しない問題のような気がしました。
お礼
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