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アヘン戦争 if

清王朝はアヘン戦争以後列強の食い物にされていきましたが、逆に言えばアヘン戦争に勝利しても半植民地化は免れなかったのでしょうか? 陸戦ではイギリスも多大な被害を被っているそうですし、武器も清が大きく劣っていたわけではない(船の方はかなり落差があったそうですが)ので、ちゃんと迎撃体制が取れていれば十分清勝利もあり得たという話もありましたが... 詳しい方、ご教示願います

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  • fujic-1990
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回答No.1

> アヘン戦争に勝利しても半植民地化は免れなかったのでしょうか?  はい。私はそう思います。 (1)中国は広大で、資源も産物も豊富で、外国にとって非常に魅力的であったこと。 (2)中国は人間が多くて、いろんな考え方が乱立し、互いにあらそっていたから。  中国は魅力的ですから、1度や2度戦闘に負けて駆逐されたからと言って手を引くには惜しすぎる土地です。  中国をなんとか手に入れたいという外国勢力は波の如く、押しては引き、ひいては押すを繰り返したものと思います。波状攻撃。  すると、中国人は数が多いので、「中国は広いんだから、ちょっとくらい、くれてやれば戦わずに済む」という平和論が出てきます。日本でも、「尖閣諸島くらい、中国にくれてやればあ」と宣う人もいます。  外国勢力としてはそういう人にカネを掴ませて結託し、中国領を蚕食していっただろう、と思います。  その点、イギリスから支援を申し出られた時「まっことありがたかバッテン、日本のコツは日本人どしで決着ばつけもすはんで、余計な口出しばお控え願いもす」的なことを言って断ったせごドンはエラかなぁ。

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  • eroero4649
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回答No.2

野村監督は「負けに不思議の負けなし」といいましたが(正しくは他の人の言葉ですがそれはさておき)、その通りだと思いますよ。 戦いっていうのは戦争でもスポーツでもゲームでも、「もしあそこでああなっていたら自分が負けたかもしれない」とうのはどこかにあると思います。高校野球で強豪校が弱小校にジャイアントキリングされるということがしばしばありますが、圧倒的な戦力差があっても相手を舐めてかかればそういうことが起きます。 しかし大抵、負けた側の立場になれば「負けるべくして負けた」という事例が多いのではないかなと思いますよ。例えば敵を侮って不用心だったとか、内部分裂していて統制がとれていなかったとかね。 武田信玄公も「五分の勝ちだと今後の頑張ろうという励みになるが、七分の勝ちだと怠け心が出てしまい、十分勝ってしまうと相手を侮って驕りが生じる」といっています。 第三次中東戦争ではイスラエルが文字通りの十分の勝利を得ました。あまりに完勝だったのでたった六日で戦争が終わってしまい、別名「六日戦争」とも呼ばれています。 しかしこの完勝によってイスラエル軍には「アラブ軍怖れるに足らず」と驕りの気持ちが生じ、第四次中東戦争では逆にアラブ軍の奇襲を受けて大苦戦を強いられることになります。

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