• 受付中
  • 困ってます

平家物語の先帝入水 安徳天皇は泣いた?

平家物語の先帝入水 安徳天皇は泣いた? 山鳩色の御衣に びんづら結はせ給ひて、 御涙におぼれ、 小さううつくしき御手を合はせ... 平家物語の先帝入水の上記の 御涙におぼれ ですが、 1 安徳天皇が流した自分の涙で、安徳天皇が溺れた 2 時子が流した涙で、安徳天皇が溺れた 3 安徳天皇がこれから死ぬことを知って、周りの人が涙を流し、周りの人が溺れた 4 周りの人が涙を流し、安徳天皇が溺れた 5 その他 事実ではなく、 平家物語の文の正しい解釈で、 涙を流した人と、「御涙におぼれ」の主語をお願いします。

共感・応援の気持ちを伝えよう!

  • 回答数6
  • 閲覧数5
  • ありがとう数6

みんなの回答

  • 回答No.6
  • gesui3
  • ベストアンサー率48% (76/156)

質問者様が示された平家物語では、間違いなく、安徳天皇自身が主語です。たとえのような慣用句で、「安徳天皇は、ご自分が溺れるほどの涙を流された」の意味です。 それと、『平家物語』は不思議な本で、50種類以上の「異本」があります。短い物から大長編までいろいろ(2~3巻物、6巻物、12巻物、24巻物)。内容もそうとう違います。それら全部をひっくるめて『平家物語』と言っています。世界にもまれな不思議な本です。私のあげた百二十句本(平仮名本)も『平家物語』なのです。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 琵琶法師はなぜ平家物語を民衆に語って良かったの?

    閲覧ありがとうございます。 マニアックな質問かと思いますが ダメもとで書いてみます。 平家物語って…  どうして 琵琶法師がほいほいと民衆に語って良かったのでしょうか? 琵琶法師が語ったのは鎮魂のためだった、という説はわかるのですが なぜ 身分の高くない一般民衆にまで話す必要があったのでしょう? 源平の戦乱で民衆もとばっちりを受けていたから 説明代わりに…でしょうか…? ただ平家物語の内容って  貴族や(当時は神である)天皇がバンバン出て来られて 最後は安徳天皇の入水、三種の神器の一部紛失など ものすごくタブーな事が書いてあると思うのですが… そんなの民衆が気軽に聞いて良かったのでしょうか?? 平家物語の成立が ものすごく後年だったなら 「昔のことだから」と許される部分もあるかと思うのですが 作者が信濃前司行長説でしたら 「三種の神器がそろわなかったという コンプレックスを持っていた」後鳥羽上皇の時代ですよね… 琵琶法師…処罰されなかったのですか…… と…(汗) すごく…「それを知ってどうする!」という疑問ですが モヤモヤが晴れないので どなたかご存知の方いらっしゃいましたら 教えて下さい! よろしくお願いします。 (カテゴリ、文学かと思いましたが   作品の成立背景が知りたいということで 歴史で失礼します)

  • 平家物語について

    平家物語の登場人物(男)の中で一番波乱万丈だと思う人は誰ですか? 人それぞれ違うと思いますが、個人的なことでいいので教えてください。 あと平家物語の参考文献や平家物語についてのHPがありましたら 教えてください。

  • 平家物語 巻11について

    平家物語の巻11で特に面白いところはどこですか? 面白いというのは、 読みやすくて、内容が楽しい(戦や入水の所など内容が楽しいもの) 分かりやすい  など、いろいろありますが 難しくなく、割と簡潔であるものがいいです。 難しい用語があまりでないところはどこでしょうか??

  • 回答No.5
  • gesui3
  • ベストアンサー率48% (76/156)

あわてて答えていろいろな誤記をしていますので再度、書き直します。 5 に訂正です。 「御涙」と、涙に御が付いていることから、主語は安徳天皇ご自身。 溺れるのも「ご自身に溺れるほどに多くの涙を流され」の意味で、他の方が既に回答されているように、平安時代の慣用句です。実際に涙に溺れたわけではありません。(だから1ではないです。) しかも、百二十句本(平仮名本)系統の底本では、「私はどこへ連れていかれるのか」という問いの終わらぬうちに、二位の方が「これは西方浄土へ」と答え、安徳帝を抱き抱えて海へ入った、とあります。 つまり、泣く暇もなかったということです。 (「波の下にも都はありますよ」は、覚一系の底本)

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。

  • 回答No.4
  • SPS700
  • ベストアンサー率47% (14631/31058)

1。5 2。主語は安徳天皇。 3。「溺れる」は溺死することではなくて、今も下記のように「たくさん(涙を)流す」という意味でしょう。  https://ncode.syosetu.com/n8667fw/

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。

  • 回答No.3
  • gesui3
  • ベストアンサー率48% (76/156)

2の回答者です。一部を訂正します。 二位の方は、「これは西方浄土へ」と答えています。 つまり極楽へとかなり正直に?答えています。 (「波の下にも都はありますよ」は、覚一系の底本でした)

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。

  • 回答No.2
  • gesui3
  • ベストアンサー率48% (76/156)

1 です。 「御涙」と、涙に御が付いていることから、主語は安徳天皇ご自身。 溺れるのも「ご自身に溺れるほどに多くの涙を流され」の意味で、他の方が既に回答されているように、平安時代の慣用句です。実際に涙に溺れたわけではありません。 しかも、百二十句本(平仮名本)系統の底本では、「これはどこへ行くのか」という問いの終わらぬうちに、二位の方が「海の下の都に」と言って安徳帝を抱き抱えて海へ入った、とあります。泣く暇もなかったことになります。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

1番。 とれあえず、平家物語の文章だけを考えたいです。 ありがとうございました。

  • 回答No.1

ここで言うところの「おぼれ」は、いわゆるプールで溺れたとか、溺れた人を助けたなどと言う物理的な行動や動作と言うよりも、「涙にくれる」のような哀しみの極みのようなことを表しているのだと思われます。(個人的な解釈) そもそも文学的な要素の濃い書物ですから、単にアップアップのようなことは書き表しません・・・と思います。 続く語句からも、涙にくれたのは幼い安徳天皇ご自身だとは思われますが、その様子は周りを含めた哀しみと捉えたら良いのではないでしょうか。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

実際におぼれていないのは分かります。 涙を流したのは、安徳天皇だと思われる。 つまり、はっきり分からないのですね。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 平家物語って面白いですか?

    面白いのなら読んでみたいと思います。 人それぞれとは思いますが面白いのでしょうか? もしおすすめでしたら、吉川英治さんの平家物語ってすごく長いので読むのに躊躇してしまいます。ほかの方のでおすすめは? よろしくお願いします。

  • 壇ノ浦の戦い後の平家の女性の遊女化等

    平家物語の中で不思議に思った事をいくつか質問させて下さい 1・壇ノ浦の戦い後、生き残った女性達が下関で遊女化したという伝説について 1-1まず、どうして生き残ったのか不思議です。入水したのに、どうして多数生き残っているのでしょうか?一応下関の方が助けたとかいう事になってますけど、場所は戦場!間に合いませんよね 1-2なぜ、平家の女性達は、生き残った後殺されなかったのでしょうか?子どもを産むと不利益にしかならないのは源氏も分かってますよね 1-3生き残った遊女化した平家の女性はどのような遊女生活を送ったのでしょうか?(文献等あれば教えて下さい。一応、毎年安徳天皇の墓参りに行った、上座に座って接待した(わちゃですね)という文献だけは見つけました) 2  生き残った女性の中でも徳子について 2-1どうして殺されなかったのか本当に不思議です。源氏の武士に助けられたって事になっていますけど・・・(武士の情け?尼になったから?) 文献等紹介していただけたら嬉しいです。宜しくお願い致します

  • 安徳天皇の歌

    30年ほど前に小学校の修学旅行で山口県の赤間神宮へ行きました。 そのときに住んでいた広島で、安徳天皇の歌を教えてもらったのですが、一部しか分からず、もやもやしています。 もし、歌詞を全部知っている方がいたら教えてくださいませんか? よろしくお願いします。 入水されて幼くして亡くなられた安徳天皇のことを歌っていて、物悲しい曲でした。 歌詞の一部分↓ おちゅうしんとなぁ~って~ ついて~いきたやぁ~ しも~のせ~き~(下関)

  • 平家物語の英訳

    平家物語の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ 」の部分を英訳して下さいませんか? それが紹介されているページでも結構ですので、どうぞ宜しくお願い致します。

  • 天皇の三種の神器?

     天皇が即位する証である三種の神器って大河ドラマで昔から知っていますが、確か平家が擁した安徳天皇が壇ノ浦戦いで海中に身投げしたと同時に海中に沈んだと聞きます。  その後の後鳥羽天皇は『三種の神器のない天皇』といって嘆いていた(S54年放映、草燃えるで尾上辰之助さん配役)のを覚えていますが、神器はその後どのようになったのでしょうか?

  • 壇ノ浦の場所

    お世話になります。 文学、歴史、地理のどのカテゴリに質問させていただくのがよいか、悩んだのですが、平家物語にお詳しい方がご存知なのかなと思い、こちらに質問させていただきます。 ”壇ノ浦の戦い”の壇ノ浦とは下関付近のことだとずっと思っていたのですが、”屋島の合戦”の香川県屋島のすぐ近くにも壇ノ浦という場所があり 「源平の古戦場」http://www.h4.dion.ne.jp/~yashima/dankorei.htm とされているのを知りました。 ひょっとして、下関までの内灘をかつてはすべて壇ノ浦といったのでしょうか? もしや屋島山頂から下関の壇ノ浦まで見通すことはできませんよね・・・? (すみません、関東の者なので。でも地図から見ても愚問ですよね・・・) 安徳天皇が入水されたのは、下関の方でいいのですよね・・・?

  • 平家物語の「おごれる人」を文法的に説明すると?

    「おごれる人も久しからず」という平家物語の文について質問です。 ここにある「おごれる」というのを、文法的に説明するとどうなるのでしょうか? 「おごる」というラ行四段活用の語尾は、「ら・り・る・る・れ・れ」だから、この場合已然形ですよね?では、おごれ「る」の「る」はなんなんでしょうか?受身、可能、自発、尊敬の助動詞の「る」かと思ったんですけど、それは未然形接続だし、未然形以外に接続する場合なら「らる」を用いますが、「らる」の活用形に「る」というものは無いし・・・。よくわかりません。どなたか教えてください。

  • 巴(御前)と義仲の妻 平家物語について

    平家物語に「義仲の最期」という物語が出ていて、それに登場してくる巴についてお聞きしたいことがあります。 巴御前といったら義仲の妻を連想するのですが、同一人物なのでしょうか。それとも違う人なのでしょうか。 独自にネットで調べたのですが、 ・巴御前は義仲の妻 ・巴御前は義仲の美女(端女)→召使 だったとこんがらがっていました。 「義仲の最期」には美女とあったので、端女には代わりはないでしょうが、端女でも妻になれたのか、だったのか等を考えると分からなくなってしまいました。 鈴木輝一郎・著「巴御前」には、違う人物だとはあったのですが… どなたか知っている方がいらっしゃいましたらお願い致します。

  • 平家物語 木曾の最期 品詞分解

    平家物語の木曾の最期の 以下の部分を品詞分解してくださいませんか?? 今井の四郎、木曾殿、主従二騎になって宣ひけるは、 「日来はなにともおぼえぬ鎧が今日は重うなったるぞや」。 今井四郎申しけるは、 「御身もいまだつかれさせ給わず。御馬もよわり候はず。なにによってか、 一両の御着背長を重うはおぼしめし候べき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさはおぼしめし候へ。兼平一人候とも、余の武者千騎とおぼしめせ。矢七つ八つ候へば、しばらくふせぎ矢仕らん。あれに見え候、粟津の松原と申す、あの松の中で御自害候へ」 とて、うってゆく程に、又あら手の武者五十騎ばかり出できたり。 「君はあの松原へいらせ給へ。兼平は此敵ふせぎ候はん」 と申しければ、木曾殿宣ひけるは、 「義仲都にていかにもなるべかりつるが、これまでのがれくるは、汝と一所で死なんと思ふ為なり。所々でうたれんよりも、一所でこそ討死にをもせめ」 とて、馬の鼻をならべてかけむとし給へば、今井四郎馬よりとびおり、主の馬の口にとりついて申しけるは、 「弓矢とりは年来日来いかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、ながき疵にて候なり。御身はつかれさせ給ひて候。つづく勢は候はず。敵におしへだてられ、いふかひなき人の郎等にくみおとされさせ給ひて、うたれさせ給ひなば、『さばかり日本国にきこえさせ給ひつる木曾殿をば、それがしが郎等のうち奉ったる』なんど申さん事こそ口惜しう候へ。ただあの松原へいらせ給へ」 と申しければ、木曾「さらば」とて、粟津の松原へぞかけ給ふ。 長々とすいません!! ぜひお願いします!!!!

  • な嘆かせ給ひ候ひそ の解読

    平家物語に いたくな嘆かせ給ひ候ひそ と出てきたのですが、 「せ」が入る理由(給うの使い方?) と 「候ひ」による丁寧を付け加える意義、またその訳への反映 がよくわかりません。