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平家物語を民衆に語る琵琶法師の理由
- 平家物語を民衆に語る琵琶法師の理由は、鎮魂のためであったと言われています。源平の戦乱により民衆も被害を受けており、琵琶法師が平家物語を語ることで、戦乱の悲惨さを伝え、民衆の心を癒すことが目的でした。
- また、平家物語には貴族や天皇の出演が多く、タブーな要素も含まれています。しかし、このような要素を含んでいるからこそ、民衆に興味を引き、物語が広まりやすかったのです。
- 平家物語の成立時期には、作者である琵琶法師が処罰される可能性もありました。しかし、作者が後鳥羽上皇の時代の信濃前司行長説であることから、彼が処罰されなかった理由は不明です。
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疑問点としては 二点あると判断します 1 平家物語を語る権限があったのか? 2 琵琶法師が語るという世界はどうして成立したか? これを考える上で二点を明確にする必要があります A 平家物語を聞いた人々とは? B 平家物語を作った人々とは? A 聞いた人々 質問者は民衆としていますが、主力は地方武士です。 なにも、琵琶法師劇場とかいうのがあったわけでなく、琵琶法師は地方地方の有力者(=武士)の家を廻って語っていたのです。 で、聞き手が地方武士ということになると、どうなるかというと、「聞き手に合わせた変曲」です。 下野の足利に行けは、足利家大活躍。下総の結城に行けば、結城家大活躍。 平家物語の異本というやつで http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%B9%B3%E9%97%98%E8%AB%8D%E9%8C%B2 これなどは、上総の千葉氏が大活躍。 B 作った人々(作らせた人々) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E 直接の作者に関しては、上記に説明がありますが、そのバックヤードというか支援者というものがあります。 義経の登場―王権論の視座から この本は、義経が ひょろっと 出てきたのではなく、反平家とでもいう王朝内でのネットワークが存在し、その中から義経が出てきた。というのを論述しています。 そして、それとちょうど反対の立場になる親平家とでもいう王朝内でのネットワークがあり、彼ら(彼女ら)が平家関係の情報を保有し、情報を提供した。この本だったか 物語の中世―神話・説話・民話の歴史学 この本だったか、本郷和人さんだったかが書いていた。 === 源平の戦乱で民衆もとばっちりを受けていたから 説明代わりに…でしょうか…? ↓ 源平争乱で活躍した人々の子孫が聞き手。 ものすごくタブーな事が書いてあると思うのですが… ↓ タブーの中の人々が作らせた人々
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ハーンの書いた、かの有名な「怪談」の中に「耳なし芳一」という有名なお話があります。盲目の琵琶弾き語り「芳一」の「平家物語」が達者な事を聞いたという、ある鎧武者が現れ、芳一をどこぞの屋敷に連れていき、平家物語の弾き語りをさせます。屋敷の主人は芳一の語る平家物語に感嘆し「毎晩聞かせていただきたい」と申し出ます。芳一は了承しますが、毎晩の様に住んでるお寺から消え朝方帰ってくる芳一に不審を抱いた住職は芳一に問いただしますが、芳一は固く口止めされていた為に真実を語ろうとしません。そこである晩、寺男2人に芳一の後を付ける様に命じたところ、芳一は平家の墓場で鬼火に囲まれ、平家物語を弾き語っていた事が判明しました。平家の亡霊に惑わされていると悟った住職は、芳一の全身にお経を書き、亡霊に姿が見えない様にしますが、耳に書くのを忘れた為に耳だけを亡霊に引きちぎられ持っていかれてしまいました。その話が伝わり、芳一はますます著名となり「耳なし芳一」と呼ばれる様になった・・・・というお話です。 ハーンは勿論、架空でこの話を作った訳ではありません。やはり歴史上、平家物語を弾き語る「琵琶法師」という存在があったからこそ、それをベースに「耳なし芳一」を書いた訳ですが、天皇が出てこようと何であろうと、民衆用に「平家の栄華と悲劇」を伝承する為に書かれたのが「平家物語」です。「祇園精舎の鐘の声・・・・」から始まる平家物語。諸説ありますが、琵琶による弾き語りは「琵琶で弾き語りをして平家の亡霊を鎮魂する為に作られた」という説が有力です。特に安徳天皇の鎮魂の意が大きかったとも言われています。ですから、私は歴史的背景を鑑み、琵琶法師がそれを語っても処罰どころか、むしろ推奨されたであろうという考えです。 余談ですが、平家の怨念にもう一つ有名なものがありますね。「平家ガニ」です。甲羅の文様がまさしく平家武者の苦しみが乗り移ったかの様な怖ろしい文様を持ったカニです。私は亡霊・怨念というものを信じる性質なので、これは平家の亡霊以外の何物でもないと確信しています。
お礼
鎮魂のためであるなら むしろ奨励された… 鎮魂のためであるなら 後鳥羽上皇も人々がタブーを語る事を許されていた、ということでしょうかね。 なるほど! ただ 安徳天皇の鎮魂のためであるなら 従来の「御霊」の扱いのように 各地の神社に祀る…というのだけでも良かったのに どうして物語にしたんだろう?なんて 新たな疑問も(^^;) でも いろいろ考える事ができました、 ありがとうございました!
- dogday
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琵琶法師って、流浪の民で、租税を納めないので、どこからも保護されなかったので、誰の規制にも縛られなかったのです。 だから琵琶法師は、盲目の障害者が、家業の手伝いをしないで就業できる数少ない職業、かつ無縁の世捨て人だったのです。 歌手や踊り子は興行であり、大道芸や見世物、曲芸、売春などサーカスとして奇形児の社会の受け皿があったのです。 のちに寺社勢力に取り込まれ僧兵やテキ屋となり、それが稼業人系ヤクザになり、または出雲阿国の歌舞伎や大道芸などから現代の芸能界映画界へ連綿と続いて行きます。 その立場を利用して、政治的には寺社と武家をつなぐ密偵として重宝がられました。 国をまたぐのが自由ですし、信書を盗み見る視力もない。歌を口伝で暗記する高い記憶力があり伝達能力がある、身寄りがいないので口封じが簡単など。 だから、武家にも出入りできるなど相応の待遇はありました。そうしないと買収されちゃうので。 その伝言を暗記するために、社会背景の歴史を覚えるための歌が、平家物語全巻であり、 最新のスキャンダルを全国に届ける、ワイドショーやゴシップ誌みたいな存在だったようです。
お礼
琵琶法師、結構すさまじい存在だったのですね! ゴシップ誌みたいな存在であったという説 斬新だなと思いました。 こんな疑問にお応え頂けると思わなかったので とてもうれしいです ありがとうございました!
お礼
聞いた人=民衆ではなく 地方武士だったのですね! なるほど! よく琵琶法師の説明文に 「民衆に語って聞かせた」と書かれているので てっきり農民や商人にも話して回ったのかと誤解していました。 (だから そんな方達に 何故話す必要があったのかと疑問で!) また 作った人というのも… 平家の悲劇を残したい人達がみんなで作ったのですね! それなら たしかに安徳天皇の事や三種の神器のことも 後世に意地でも残そうとしますよね…。 タブーって言っていたら 無かったことになってしまうかもしれないし。 納得です!! 本当にスッキリしました ありがとうございました!