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1.機会あれば、努力するのは当たり前という考え方に

staratrasの回答

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  • staratras
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回答No.2

1.それは「人それぞれの考え方」でしょう。たとえば「昇任試験」を受けて合格すれば昇進できる機会があるからといって、全員が受験するわけではありません。教員になった回答者の複数の友人は、「管理職になるより、ずっと現場で授業をしていたい」と考えて、最終的には校長を目指す昇任試験を定年退職まで受けませんでした。ただし「昇任試験を受けない教員」も「毎日の授業のための研鑽」を重ねて生徒と向き合っているとすれば、「昇任試験に合格するための努力」とは別の努力をしているということは確かでしょう。 もちろん、校長など管理職として頑張りたいという志を持った人もいなければ、学校という組織は回りません。要は「人それぞれの考え方・志」を生かせる組織であるかどうかが重要だということです。 2.利点は「機会を与えることによって個々人に(その機会を生かすため)努力するよう促せる」ことです。欠点は「機会を生かしたいと考えない人を「努力していない」と決めつけるおそれがある」ことです。 ごく一部を対象に「合格率99%」その他には「合格率1%」の試験(入札でもなんでも同じですが)を行って、「試験(入札)という機会が広く開かれているので公正・公平であり、選ばれないのは努力が足りない」と言い張るような社会では困ります。 3.最終的には「その機会で得られるもの」と「そのために必要な努力」が見合うかどうか、コストの問題になると思っています。しかし回答者は「好きなことにはコストが高くても熱中するが、嫌いなことにはローコストでもまったく勤勉でない」性格で、そのために失ったもの(こと)も多かったと思いますが、得られたもの(こと)もあり、自分では「これでよかった」というより「こうしかできなかった」と考えています。

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 ありがとうございます😊

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