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「従軍慰安婦」という呼称について。

「従軍慰安婦」という呼称は、公文書に記載されている歴史的事実である。 上のような文章を見つけたのですが。 これは本当ですか。 公文書とは、どのような文書ですか。 公文書に記載されていれば、それは真実だと思って間違いないのですか。 公文書自体に捏造がなかったと言い切れるのでしょうか。 一部では、「従軍慰安婦」は存在しなかったという説があります。 どちらが、真実なのかがいまだに分かりません。 国立公文書館で、当該文書を見てみたいと思っています。 詳しい方のご回答をお願いします。

みんなの回答

  • koncha108
  • ベストアンサー率49% (1313/2666)
回答No.4

公文書と言うのが、戦前戦中の日本政府、日本軍が残した文書と言う意味で言われているのであれば、存在しないと思います。他の方の回答にもある様に、戦後使われ出した様です。ただ、実際に存在した慰安婦のをどう呼ぶかと、それの政治的なとらえ方の問題でもあり、あまり「従軍慰安婦」と言う言葉の是非にこだわるのも意味は無いと思います。そもそも敗戦時に日本軍は多くの文書を償却・廃棄していますので、その中にあったはずだと誰かが言っても証明も反証もしようが無い。 ただ、慰安婦制度は従軍看護婦の様に国が法的に定めて管理した制度ではなかったと思う一方で、慰安所が軍人専用の売春施設でローカルの売春宿とは一線を画していたこと、戦地へは日本軍の船舶も利用されていたこと、戦況が悪化した慰安所が現地の軍と一緒に移動し、途中で敵の攻撃にあい、軍人とともに死亡したケースもあり、また民間経営であった慰安所が時の状況によって軍の直営になったりもした様で、(「慰安所の帳場人の日記」)、「従軍」と言う言葉の定義とは別に、様式が「従軍」っぽいと見るのは決して不自然では無いと思います。でも「従軍」と言うと、「ほらやっぱり日本軍が直接関与していた」と揚げ足を取られるので使わなくなったと言うことと思います。でも今は「性奴隷」と言って批判する人が多いので、逆に従軍した軍属と同様にお国の戦争に協力すると言う意味と、奴隷とは合い入れないと思いますけどね。

  • unnoun
  • ベストアンサー率16% (409/2496)
回答No.3

事実上、韓国女の売春婦はいたようですが軍用の強制力は無かったと史実ではあります。祖父達に聞いても「ん、ハァぁ!?何じゃそれ!!」な感じだったので(戦争ってやるかやられるか)ですよ。 ただ中曽根康弘が、女は用意した!みたいな発言が残ってるので、一部で全部では無いです。 祖父は片方は足軽歩兵の陸軍で、戦時中は20代後半ぐらい。普通に歩くな!!下に伏せろ!!と常に仲間を先導して、ドカーンドカーンドンパチドンパチだったそうで、女の話題など無しです。帰還してから祖母と結婚してますし。片方は、海軍、中曽根康弘とは1つ違い 特に苦労はしなかったらしく、返ってきてますが女の話もなし。ぽかーーんでしたよ。どうやって生きてきたんだろう。 人間って先ずは、生きる欲望→食べる→性欲になるので食べることすらままならないのに慰安婦を連れ歩くのは、稀な事で実際、あった、兵士の共食いレベルで無かった話かと思います。 それよりも、沖縄のヒメユリの方がアメリカ兵に、屈辱をされないために、先生達と投身自殺を計っています。韓国の大袈裟なお金欲しさの火病の感じだと推測されます。なぜなら、被害者ならすぐに被害届を出すはずなのに、随分と昔のことを今さらのようにボケたばあさんが話しているだけでしかないからです。それに、充分日本は、謝罪をしていると思います。 間違った回答ならごめんなさい。

filmadict
質問者

お礼

有難うございます。

  • KUMADEKA
  • ベストアンサー率42% (60/141)
回答No.2

ないものの証明をするのは無理です。多分ないのだろうと思うのは戦後作られた造語らしいということからわかります。 以下の引用をよんでもらえると、かなり詳細で戦後の造語らしいというのは かなり高い確率らしいと推測できます。 尚、戦争経験者の方にお話をお聞きしたことあります。当時は新聞広告で高給で募集されていて、戦地では夜はクラブという場所をつくり、昼は洗濯もしてもらって、自分は少年兵だから洗剤持っていくと喜んでくれた。性的なことは少年だったせいもあるかもしれないが、全くなかった。ということで、当時の雰囲気は経験しないとわからないどこか運命共同体みたいなものようにかんじられました。 wikipedia 日本の慰安婦より引用 ーーーーーーーー 従軍慰安婦」という呼称 「従軍慰安婦」という言葉は戦時には存在しておらず、1963年に出版された『現代中国文学選集 第8巻』中の茅盾「香港陥落」(小野忍・丸山昇訳)に現れたのが確認できる最も古い例である。茅盾の原文では「隨軍娼妓」となっているため、小野か丸山による造語と考えられる。大衆雑誌では1971年8月23日号『週刊実話』の記事「"性戦"で"聖戦"のイケニエ、従軍慰安婦」で使用されている[139]が、書名に用いたのは千田夏光の『従軍慰安婦』(1973年)が最初である。その後、慰安婦問題が政治問題となってこの呼称は広く知られた ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

filmadict
質問者

お礼

有難うございます。

回答No.1

まず、「従軍慰安婦」と言う言葉は1963年に作られた造語であることは間違いありません。戦時中は「慰安婦」と言う立派な職業であったのも事実なのです。ですから、第二次世界大戦(大東亜戦争)中に従軍慰安婦と言う言葉も存在せず、日本軍によって徴集された記録も残っていません。 しかし、1963年に従軍慰安婦と言う言葉が造られてから、朝日新聞も従軍慰安婦に対する出版物を出し一気に広まった形となります。 恐らく、日本の公文書においては、朝日新聞が従軍慰安婦を誤報とした時の国会答弁くらいしか残っていないかと思います(それ以上は私もわかりません)。そもそも従軍慰安婦では無かったのですから、公文書を見つけるのも難しいと思います。 ちなみに、私は韓国の従軍慰安婦だと言ってる方々は、全員嘘をついていると思っています。証言に対して、時代背景が第二次世界大戦(大東亜戦争)と一致していないこと、ベトナム戦争での慰安婦として駆り出されたのであれば時代背景がピッタリ一致すること、これらの理由から嘘だと思っています。記憶なんて曖昧ですから、断定する事はできませんが。

filmadict
質問者

お礼

有難うございます。

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