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韓国が教科書に従軍慰安婦を記述し始めたのはいつからでしょうか
私は暫く前から、韓国が歴史教科書に従軍慰安婦のことを記述したのは日本の教科書が従軍慰安婦を記述した後のことだと考えていました。そして、日本よりも教科書への記述が遅かった理由として、「韓国は儒教国家のため、慰安婦達が名乗り出ることが難しかった」と言っていたと思います。具体例を挙げれば2001年5月の「朝まで生テレビ」で黄栄植(「韓国日報」特派員)が、同年の4月か5月のTBS系列の番組「ここがヘンだよ日本人」に出演していた韓国人も同様の趣旨の発言をしていたと思います。 ところが、先日、2005年5月20日の在日韓国青年会記者会見において金武貴氏(在日本大韓民国青年会中央本部 宣伝部 プロジェクトリーダー)は《「つくる会」のレトリックは性奴隷、すなわち「従軍慰安婦」なるまさにその単語は韓国教科書に記載されていなかったというものです。しかし、同様の趣旨、実質的内容は記載されていました。しかし「つくる会」はまさにただ「従軍慰安婦」なる単語が使用されていないので、彼らは「韓国は『従軍慰安婦』を記載していなかったじゃないか」と言うのです。これはまさに使い古されたレトリックです。第二点として、これは部分的論議です。まさに「性奴隷」という単語は教科書に記載されてませんでしたが、それが拷問され、殺害された性奴隷が存在しなかったとは意味しないのです。》と主張しました。同じ韓国人がたった一つしかない国定歴史教科書を使っているはずなのに全く異なる主張をしているので混乱しています。いったいどちらの主張が真実なのでしょうか?
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朝鮮戦争時代にも 従軍慰安婦はいましたし、 「国策として売春業を奨励する(国家戦略産業)」と言って嘲笑を浴びた韓国大統領もいますよ? 李氏朝鮮時代より 朝鮮は売春婦を朝貢してきた国です。 妓生(キーセン)を知らないのですか? 戦場で売春業を営む事は 昔から行なわれていました。 日本やドイツなどは 性病蔓延防止の見地から それらに対し 制限を加え 従軍慰安婦制度を成立させました。(それに対し 中国やロシアは現地民を強姦で対応していましたね) それをプロパガンタとして広げたのが 朝日です。 著者本人が(韓国報道機関の調査により)捏造を認めた後も 繰り返し報道しています。 当時の売春制度自体は 合法であり 前借金(契約金)を返せば 誰でも自由になれる制度でした。 そして 日本人すら(TVのおしんの様に)娘を売っていた時代、 より貧しい朝鮮人が娘を売る事ぐらい 別に問題にはなりませんよ? 当時の売春業者が民間経営であり、彼女らを騙したのが朝鮮人売春業者だったのを 隠蔽している事自体 プロパガンタといえましょう。 尚、その後 何度も証言が変わる(自称)元従軍慰安婦が現れ、韓国の反日政策の基に捏造され 日本政府が「何ら証拠は無かったが 高度に政治的な判断で認める事にした」と答弁するに至りました。 軍が「自由意志で働いているかを調査した」とか「前線で一般民間人を護衛した」事例を軍の関与例とし 「一般民間事業:売春を軍が起業して金儲けを果たした」なんて妄想まで行なっているのは 痛々しいですねw
- Ganymede
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1997年のようです。 しかし、率直に申し上げて、deba2005 さんは日本語の読解力が不足していると思われます。 deba2005 さんが引用なさったように、金武貴は「『性奴隷』または『従軍慰安婦』(に相当する韓国語)は、(従来韓国の)教科書に記載されていなかった」ことを認めています。なお、それらの単語が記載され始めたのは、1997年らしいです。 そのように遅れたのは、なぜか。その理由として、deba2005 さんもお書きになったように、「韓国は儒教国家のため、慰安婦達が名乗り出ることが難しかった」ことなどが伝えられています。儒教国家に限らず、例えばフランスでも、ビシー政権時代ナチス相手の娼婦だったフランス人女性は、戦後、リンチにあっています。リンチされないように、彼女たちの多くはその過去を秘匿したそうです。 さて、対日強硬派だった李承晩(大韓民国初代大統領、在任1948-60)の時代から、韓国の歴史教科書には、「日帝とその軍隊は恣に韓国婦女子に暴行を加えた」の類の記述があったようです。それらをさして、金武貴は「同様の趣旨、実質的内容は記載されていました」と言っているのでしょう。韓国では、日本軍のいわゆる「従軍慰安婦」を、売春婦ではなく、すべて強姦の被害者と認識しているようなので、慰安婦の「実質的内容」は、すなわち「日帝は恣に韓国婦女子に暴行を加えた」となります。 例えばの話、日本の江戸時代の農民について、私たちが抱くイメージといえば、重い年貢に打ちひしがれる窮民といったものでしょう。「お代官様、おねげえでごぜえますだ。俺たちゃ幸せを夢見ちゃいけねえのかえ」(池乃めだかのギャグやがな)。しかし、より実証的な研究によると、江戸後期の農民の一部などは、農具を工夫し、こまめに働いて増産に励み、増産分の一部は自分で貯えていたようです。 一方、植民地時代に対する韓国人のイメージは、「日帝の凶悪な軍人どもが、奸計をもって韓国の村を襲撃し、婦女子を連れ去って集団暴行する」といったもののようです。テレビドラマなどでも刷り込まれているらしく、「その暴行された女の人は、今どこにいるの?」と素朴な疑問をつぶやく人もいましたが、たとえ名乗り出てこなくても、そのイメージは「民族としての記憶」になっていったのです。 以上のような仕組みで、「旧日本軍による性暴行」は、古くから韓国民の歴史常識でした。従って、1990年代より前は慰安婦本人が名乗り出ることは稀であり、97年以前、「性奴隷」または「従軍慰安婦」の語そのものは(韓国の)教科書に載っていなかったとしても、「それと『同様の趣旨』は記載されていた、韓国民は知っていた」ということになります。 deba2005 さんは「(韓国人同士が)全く異なる主張をしている」と混乱していらっしゃいますが、丁寧に読めば、「『全く』異なる」というほど、互いに異なる主張とは思えません。 【従軍慰安婦に関する補足】 日本人の歴史研究者が、「従軍慰安婦には、売春婦型と性奴隷型があった」というと、韓国の歴史研究者は「売春婦だなどと侮辱するのか!」と激昂するそうです。しかし、日本軍のいわゆる慰安婦には、本人が望んだにせよ、望まなかったにせよ、戦時売春婦が多くいたようです。 だからと言って、「ほれ見ろ、売春婦じゃないか!」と喜ぶ日本人がいるとすれば、頭が鈍い人かも知れません。鈍くない人なら、「ああ、ややこしい所に話が入り込んでしまった」と嘆くのではないでしょうか。 少し調べただけでも気付くように、昔から売春は、とにかく一筋縄ではいかない世界です。女たちも、納得ずくで売られてきたのか、「いい勤め口がある」と騙されて来たのか、脅されてさらわれて来たのか、分かったものではありません。取締り当局に対する、女衒や業者の申し立ても、信用できると限りません。警察・軍と業者の癒着も、平時の今でさえ、よくある話です。 そのうえ、敗戦後のどさくさに、大日本帝国と日本軍は、(慰安婦関連に限らず)大量の公文書を焼却し、散逸させたのです。内地・外地の至るところで、投降前に証拠隠滅が行われました。 防衛庁防衛研究所 史料閲覧室 http://www.nids.go.jp/military_history/military_archives/index.html > 防衛研究所では、戦史の調査研究と戦史の編さんを行うために、陸海軍にかかわる > 史料の収集を行いました。史料の大半は終戦時に焼却され、あるいは戦後の > 混乱により散逸してしまいました。 日本軍が、性病予防と軍機漏洩防止のためと称し、戦時売春婦の管理に関わったのは事実であるにもかかわらず、彼女らの大まかな総数の記録さえ、残っていません。 なお、日本や朝鮮半島出身の慰安婦は、ほとんど「売春婦型」だったと言われていますが(劣悪な環境下で働かされた者が多かった)、インドネシアでは、一部部隊によって拉致・監禁された「性奴隷型」もいたことが明らかになっています(白馬事件。被害者は17歳のオランダ人少女など。加害者の日本軍将校たちは、戦犯裁判で有罪判決を受けた)。 慰安婦問題に関する日本政府の公式見解(河野内閣官房長官談話、1993年8月4日) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。 (引用終わり) この河野談話を、「証拠も無しに強制連行を認めた。許さん!」と全否定する人がいますが、その種の人は、次の2点が分かっていないようです。 (1)河野談話を精密に読むと、日本軍による強制連行は認めていない。 (2)第二次大戦に関する日本の戦後処理では、聞き取り調査も補償理由になっている。 河野は、「日本軍が強制連行した」という文言を注意深く避けています。談話によれば、「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」のは、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送」です。「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」に「直接」「加担したこともあった」のは、「官憲等」です。官憲とは、行政官庁や警察当局をさし、軍は指し示さないのが普通です。また、軍は「関与」したと書いてあり、「軍が強制連行した」とは、どこにも書いてありません。 また、このとき日本政府は、公文書だけでなく、もと慰安婦からの聞き取り調査も行いました。これに対し、「聞き取り調査では証拠能力がない」と、したり顔で言う人がいます。 しかし、例えば沖縄戦などでは、戦没者の状況を当時記録できなかったことが多く、戦後、生存者からの聞き取りで、年金などの受給を決定したケースがあります。つまり、「当時の公文書に記録が残っていないから、政府としては何もできない」とは言えないのです。1945年まで、韓国は日本でした。「時間が経ったあとの、被害者やその遺族からの聞き取り調査では、証拠能力がない」という基準は、少なくとも戦争被害に関する限り、ダブルスタンダードです。国の内と外で、ダブルスタンダードを弄しているに過ぎないでしょう。「公文書を焼却し、証拠を隠滅しておいて、しらを切るのか?」ということになってしまいます。 その一方、元慰安婦たちの証言にはブレが大きいケースもあり、裏付けが取れない場合があることも、指摘されています。……「ああ、ややこしい所に話が入り込んでしまった」と述べたのは、そういうことです(以上は、被害事実の認定に関する話である。外国人に対する補償については、法理論を理由に否定的な判決が多い)。 加藤周一は、東大医学部出の医学博士で、血液学の専門家でした(その後、医業を廃して文芸・評論を仕事とした)。1945年、彼は東大医学部と米軍医団共同の、原爆調査団の一員として、広島に赴きます。被爆者一人一人から聞き取り調査をし、白血球などを調べました。「爆発したとき、あなたの夫(死亡)は室内にいましたか。窓からどれくらい離れた所にいましたか」。今、本が手元にないので正確な引用ができませんが、加藤は大略次のように書いています。 「彼女は無表情に答えた。その時、私は私の質問が、彼女に対する、言いようのない侮辱であると感じた。窓際にいようといまいと、彼女の良人は死んだのである。私はカガクシャとして、一つ一つ聞かざるを得なかった」。 私も、加藤の感受性に共感します。「『客観的事実』を標榜しながら、人間の尊厳を冒涜していることに気付かない無神経な人」には、なりたくないということです。
お礼
長文で丁寧なご回答、どうもありがとうございます。お察しのとおり、私の読解力は自慢できるものではありません。私の発言に読解力不足が原因でおかしなところがあるかもしれませんが、私なりによく考えて投稿させていただいておりますのでご容赦ください。さて、今回の質問ですが、確かにGanymede様のご指摘で「従軍慰安婦」と言う固有名詞が登場したのは1997年だと分かりました。しかし、金武貴氏が《「つくる会」のレトリックは性奴隷、すなわち「従軍慰安婦」なるまさにその単語は韓国教科書に記載されていなかったというものです。しかし、同様の趣旨、実質的内容は記載されていました》と言う様に、1997年以前の韓国の教科書には、「後に「従軍慰安婦」と定義される人々」のことが書かれていたのでしょうか。「従軍慰安婦」否定派が否定論の根拠の一つとして「日本側から問題視されるまで韓国が「従軍慰安婦」のことを教科書に書かなかった事がおかしい」との主張に対し、韓国側が「韓国は儒教国家のため、慰安婦達が名乗り出ることが難しかった。そのため韓国では従軍慰安婦のことは知られていなかった。」と反論したと考えておりました。よって、Ganymede様がご指摘の様に、「日帝とその軍隊は恣に韓国婦女子に暴行を加えた」との記述があったかもしれませんが、その韓国婦女子のうけた暴行の中に、「後に「従軍慰安婦」と定義される内容」は含まれていなかったのではないでしょうか?少なくとも2001年においては韓国人は1997年以前の教科書に「後に「従軍慰安婦」と定義される内容」は記述されていないと考えていたのではないでしょうか。もし、本当に1997年以前の教科書に『「従軍慰安婦」という単語は無くても同様の趣旨、実質的内容が記載されていた』と言うのであれば、「韓国は儒教国家のため、慰安婦達が名乗り出ることが難しかった」と反論せず、「以前から教科書に書かれていた」と反論するのではないでしょうか?よって、黄栄植氏と金武貴氏の二人では1997年以前の韓国歴史教科書の「解釈」においては相当の溝があるのではないでしょうか?