- ベストアンサー
戦国時代を生んだ原動力
新しい「時代」が生まれてくる背景にはいろいろあると思いますが、一言で表現すれば、「それまでの体制のあり方に、何か不都合が生じてきた」ということではないかと思います。 それで、戦国時代が生まれてきた背景を知りたくなりました。 タイトルは「戦国時代を生んだ原動力」としましたが、「それまでの体制のあり方に、何か不都合が生じてきた」という前提に立って、戦国時代を生んだ「それまでの体制のあり方の不都合」というのは何だったのか???ということを教えて下さい。 なお、質問の「それまでの体制のあり方に、何か不都合が生じてきた」という見解に対する「異論」でも構いません。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
一番上に立つ人物が「大したことは無い」と思えれば、「俺だって」と思うのは必然。そもそも、室町幕府というものは平安時代末期の平清盛や鎌倉幕府創始者の源頼朝のようなカリスマがいたわけではなく、足利尊氏と同等の地位の源氏の武将はたくさんいて、「少しだけ」力があったから将軍になったけれど、鎌倉時代の御家人と執権の関係とは違い、力で従わせていたわけでも無ければ、尊敬されていたわけでもなかった。京都に幕府を作ったことで公家と大して変わりがなくなり、関東に残った武士との隔たりが大きくなったことも大きな理由の一つだろう。
その他の回答 (2)
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10359)
状況としては、大名の力が将軍家に比べて相対的に大きく、幕府の言うことを聞かない、幕府の権威をないがしろにするというのが戦国時代ですが、原因としては、 政治的には、 ・当初、南朝があり、尊氏・直義の争いの時にも、どちらも一時南朝に降伏するなど、おそもそも、天皇ー将軍ー大名という権威が一本線でなく、複数あったということ。その過程で、将軍家が大名に譲歩せざるを得なかった ・中央集権を進めようとした義教が赤松に暗殺された など。 > 「それまでの体制のあり方に、何か不都合が生じてきた」 というよりは、そもそもの足利幕府自体に内在していた問題だと思います。 あと、経済的には、生産力の向上や商業の発達などがあったかと思います。
お礼
ありがとうございました。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (817/3046)
支配構造としてみた場合、足利将軍家の所領はおそらく50万石程度。 支配者に支配者たる武力財力が圧倒的に不足しています。 有力武将の危うい均衡のうえに成立した幕府など、有力武将の対立で簡単に崩れます。 社会科学としてみた場合、当時気候は寒冷期、各地で凶作が発生します。 凶作は飢餓や逃散を生み、社会の動揺を生みます。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。