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北条はなぜ「ほうじょう」と読むか
eroero4649の回答
根拠はないんですけど「ほくじょう」が訛って「ほうじょう」になったんじゃないでしょうかね。 「きたじょう」のほうが読み方としては不自然になると思います。「きた」が訓読みで「じょう」が音読みになります。訓読みなら「きたすじ」が自然です。前半訓読み、後半音読みだと「渡辺」を「わたへん」、「田中」を「たちゅう」と読むようなものですからね。 まあ「北にある条だからきたじょうで違和感ないやろ」といわれりゃその通りですが、「だったら条北さんでも良かったんじゃない?」とか言い出したらキリがないです。 これは私のなんとなくの勘なのですが、越後北条氏が「ほうじょう」と名乗らなかったのは鎌倉北条氏に遠慮したからではないかなーという気がします。鎌倉北条氏は武家として格上で、本来武士というのは権威というか格っていうのをものすごく重要視するからです。越後北条氏が越後に来た頃はまだそういう権威がモノをいう時代だったので「同じ読みにするのはヤバくね?」って遠慮した可能性はなくはないかなーと。だったらなぜ後北条氏は北条を名乗ったのかですが、この頃には戦国時代になっていてしかも相模国一帯を支配していましたから名乗っても許される土壌みたいなのはあったかもしれません。けれども伊勢(後北条)氏より(本来)はるかに格上の上杉氏からすれば腹立たしいことだったでしょうね。
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お礼
歴史的背景を踏まえた回答をありがとうございました。 湯桶読みは意識していませんでした。 むしろ「きたじょう」の方が変なのですね・・・。