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『明治維新の国際的環境』の要旨

ichikawa2017の回答

回答No.1

>要旨は、次のようなものでよかったでしょうか。 明治維新の期間に関しては諸説ありますが最も早い開始年を天保の改革が失敗した1843年とし終わったのを最も遅い1889年としますとこの時期の中国は清王朝による統一国家でした。 一方日本は1871年の廃藩置県までは三百諸侯と呼ばれる大名によって分割統治されていました。 江戸幕府は中央政府ではありませんでした。 中央政府はあくまでも京都朝廷で江戸幕府はこの朝廷から委任されて大名を統括していただけでした。 各地の大名はそれぞれ治外法権を持っていて独自の法を施行していました。 この朝廷からの委託された権力を返上したのが大政奉還と呼ばれる儀式でした。 確かに当時のヨーロッパ諸国は産業革命で大量生産された物資を東南アジアや中国へ売り込んではいましたが三国干渉は市場開発ということが目的だった訳ではありません。 日本が日清戦争の結果遼東半島を獲得したことを止めさせることが目的でした。 列強は植民地を取得することよりも鉄道の敷設権や鉱山の開発権の獲得を積極的に行いました。 これ等の事業に必要な土地を租借という形で手に入れたり上海などの港湾都市に租界地を設けたりしていました。 インドに対するような傀儡政権を作って植民地化するといことはやりませんでした。 中国大陸が市場化したのはあくまでも結果論です。 戊辰戦争では幕府側も薩長側もフランスなどから軍事顧問は雇い入れましたが軍隊の支援は受けませんでした。 自前で作った軍隊に西洋式戦法を伝授させただけでした。 むしろ薩英戦争や下関戦争を行い更に生麦事件などを引き起こしていました。 イギリスが薩長が企てた明治維新を支援していたということは寡聞にして知りません。 輸出市場として国土も人口も圧倒的に少ない日本を選択したという論拠はどのような事でしょうか。 あるいは何を根拠に言われていますでしょうか。 >当時、人からの聞き伝えで、門外漢の私はこう理解しました。 再度近現代史を確認されることをお勧めします。

gesui3
質問者

お礼

何か相当に見当違いなことを述べたような言われ方に驚いています。 ・三国干渉は明治維新の後の話です。ご自身の区分からも矛盾してますよ。 ・戊辰戦争で英仏の支援を旧幕も新政府も受けなかったのは両派のリーダーの硬い意志(民族意識)で断ったからからです。 ・イギリスが薩長の明治維新を応援していたのは有名な話で、パークス公使とその下で動いたアーネスト・サトウらの青写真通りに結局は明治維新は動きました。これに関する多くの逸話が残っているのに、なぜご存知ないのか不思議です? ・「輸出市場として国土も人口も圧倒的に少ない日本」がなぜ、というところから「厳マニュ論争」も起こったのではありませんか。歴史学の研究史を知らないのですか? ・「門外漢」と書いたのは、明治維新の経済史に対して、という意味です。私が政治史や外交史で門外漢なのではありません。念のため。

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