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今の平成の時代は今が平成って皆解ってますが
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質問者が選んだベストアンサー
無いですね 安土桃山時代ってのは元号ではありません その当時の文化を評して現代(明治)になって作られた言葉です 当時は安土桃山時代なんて言葉はありません ちなみに当時の武士や大名は西暦も知りません (信長はフロイスから聞いて知ってたみたいですが) なので 元号で●●何年と言う認識で 今が何時代かなんて知らなかったでしょう もちろん戦国時代の武士や大名も過去の歴史は勉強してたので 聖徳太子の時代が飛鳥時代だ と言う事は知ってたみたいですが
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- eroero4649
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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5867771.html こちらの質問の回答にありますように、明治時代になって歴史を子供たちに理解しやすく教えるために、日本の歴史を平安時代とか鎌倉時代とか江戸時代なんていう名前を付けて区分けするようになったのです。 ですから、それ以前には「794年から1185年までが平安時代」という概念はなかったのです。もちろん、鎌倉時代も室町時代も安土桃山時代も全部そうです。 そのときの元号の概念はあります。昭和とか平成を我々が把握しているように、天正時代だとか慶長時代であるというのはあの時代の人たちは認識があります。でもその時代全般を呼ぶ名称がまだ決まってないのですから、それを認識しているはずはありません。 未来の人々は、おそらく明治維新からこの先もうちょっとの時代を「〇〇時代」と名付けるでしょうが、まだそれは我々は知る術もないので分かりません。
- chie65535
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>安土桃山時代の時は >「今が安土桃山時代なんだ!」という認識はあったのでしょうか? 無かったと思います。 例えば、1980年代後半から1990年代初頭の好況期のことを「バブル時代」と言いますが、「バブルの真っ最中」の時の人達は「まさか、バブル(泡)のように弾けて無くなる」とは思ってないので「今がバブル時代なんだ」とは思っていませんでした。 それと同じで「今が安土桃山時代なんだ」と言う意識は無かった筈です。 どちらも「後世の人達が時代に名前を付けた」のですから。
- Mock_Hatter
- ベストアンサー率43% (76/173)
昭和から平成、平成から新元号というのは、「元号」の話です。 安土桃山時代というのは「時代区分」の話です。ですから、安土桃山時代の中に「天正」とか「文禄」「慶長」とかいった「元号」がありました。 当時の人は、のちに作られた時代区分の「安土桃山時代」を意識することはあり得ません。それは、仮に数百年後、明治以降の時代を「東京時代」と名付けられたとして、現代人が意識しようがないのと同じです。一方、「天正」といった元号はちゃんと意識していました。むしろ、今以上に意識していたと言えます。なぜなら ・当時は西暦で年を表す習慣が日本にはなかったので、年の表記は「元号+年数」あるいは「元号+干支」でしか表せなかった。 ・今のように帝の代替わりにしか改元しないのではなく、当時は、「特定の干支になったら改元」「何か悪いことが起きたら改元」「何かめでたいことが起きたら改元」「帝の代替わりで改元」等と、今以上に改元の頻度が高かった。 ですので、答えとしては ・安土桃山時代ということは意識していなかった ・現代同様、「天正」とか「文禄」という元号は意識していた となります。
- kaitara1
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なるほどと思えるご質問だと思いました。今というものが過去に組み込まれる仕組みはそれほどはっきりしていないのではと思います。象徴的なのは天皇です。昭和天皇はお亡くなりになるまでは今上天皇で、亡くなった後、昭和天皇と呼ばれます。自然科学でも似たことがあって結核を起こす結核菌が見つかったときは結核を起こす細菌であって、決して結核菌が発見されたのではなかったと言う事があります。これは人がどうして物事に名前を付けなければならないかという深い哲学にも関連していることだと思います。
- ojisanneko
- ベストアンサー率16% (74/442)
平成は元号ですが「今が安土桃山時代なんだ!」は時代のことだよね。 それに安土桃山時代というのはずいぶん後から名付けられたものですので その時代の人が安土桃山時代だと思うことはなかったでしょう。
- nannkaiporks
- ベストアンサー率26% (466/1765)
そうなんじゃないですか。 今の若者に聞けば、元号が変わるというリアリティを知りませんし。
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