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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「ズボラと横着のために」がんばる働き者)

ズボラと横着のためにがんばる働き者

このQ&Aのポイント
  • 最近の技術の進化により、人々はますます手間を省くことができるようになっています。
  • 自動運転や音声操作などの便利な機能は、ずぼらで横着な人々にとって理想的な選択肢です。
  • しかし、このような便利さが進む中で、働き者としての価値が薄れていくのではないかという懸念もあります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.2

人類の歴史を長い目で見れば、歴史が下るほど人間は「横着とずぼら」になっています。縄文時代には、ほとんどすべての家庭で基本的には「自分たちが食べるものは自分たちで調達していた」と考えられます。もちろん海の幸と山の幸の物々交換などというような原始的な交換経済のようなことはあったでしょうけれど、「働かざる者食うべからず」で、貧富の差は後の時代ほど大きくはなかったでしょう。 それが弥生時代になり、稲作が本格的に始まると米は蓄えることができますので、富が蓄積され、権力が生まれるようになり、初めて「自分で食べ物を探して働かなくても食える」人々が出現しました。見方によれば「横着でずぼら」そのものです。 そんな大昔のことだけではありません。ホワイトハウスといえばアメリカ大統領の住居ですが、初期のホワイトハウスには紡ぎ車や織機が置かれ、大統領夫人も大統領や家族の服を織っていたそうです。(ホームスパン)そのころの大統領夫人が現代のファーストレディをみたら「横着でずぼら」だと考えるかもしれませんね。 日本人の日々の暮らしの変化もそうです。回答者の祖父母は明治生まれで、子どものころには電灯がなく石油ランプを使っていましたが、この石油ランプは火をつけると次第に煤が「ほや」のガラスに付着して暗くなるので、毎日拭く必要があったそうです。 このランプの掃除はどこの家でも子どもの仕事だった…それは手が小さい子どもの方がランプのほやの中に手を入れやすかったからだが、自分は不器用でしょちゅうガラスを割って叱られてしまうので、この仕事が嫌だった…などと直接祖母から聞いたことがあります。今ではスイッチ一つで、というより、暗くなれば自動的に照明を点灯させることも可能で、煤も出ないのでそんな子どもの苦労もなくなりました。 しかしここで大きな問題が…、何でも機械が(AIやロボットが)やってくれるようになるのは便利ですが、人間が何もできなくなってしまうと、大規模な自然災害など何か大ごとが発生した際に、たちまち困るのではないかということです。薪を割ってマッチで(新聞紙などを使って)点火して燃やしご飯を炊いたり、ナイフで木を削って間に合わせの道具を作ったりするような、昔は誰でもできたことが今はそうでもないからです。 回答者の家にはパソコンやスマートフォンが合わせて10台以上ありますが、計算尺やそろばんもまだ持っています。おそらく一生メインで使う日は来ないでしょうけれど…その意味では、筆算による開平法(平方根を求める計算方法)を教えてくれた中学校の数学の先生にも感謝しています。100円ショップの電卓にも√キーがあるではないかと言われればそれまでですが…。 これから先、残っていくのは、多数派の横着者のためにその便利な暮らしを支える製品を設計する仕事か(生産はロボット化)、少数派の横着をしたくない人が「自分でやること」に関連する仕事か、人間と直接触れ合う、機械には代替が困難な仕事かの3択ではないかと考えていますが、本当のところは「その時が来ないとわからない」でしょう。

AnataO192
質問者

お礼

はじめ人間ギャートルズみたいに大昔は苦労を苦労とも思わず一人一人が知恵を絞って毎日を生きていたんだと思い出しました。 それとホワイトハウスで大統領夫人が家族の服を作っていたことがわかり勉強になりました。 昔の日本では一般ぴーぷーの子どもたちが「生活と書いて生きる活動」のいち役割を大人と共に担って生きていたことがわかり、現代はそーと―なずぼら子どもに成り下げ育てた大人がたくさん増えたと思いまして、そのまた子どもたちが輪をかけて超ずぼら子どもを作り育てどうなる日本世界と思ってしまうので疲れ、ここらあたりで一休みしようと思いました。 そんなことはさておいてずぼらどもにはアウトドア生活をさせて突進してくるイノシシに蹴りをかましたりできるくらいにサバイバル生活ができるよう鍛え上げ、もしそうなれば日本が停電して流通がストップしてライフラインが使えなくなっても生きて行けるかもしれないと思いました。 そろばんもはじけて筆算もできて暗算もできるようになれば脳の働きが良くなりサバイバル生活でも知恵を絞ってたくましく生きて行けるのではないかと思いまして、今現代のようにスマホで肩がこるようなこともなくなり歩きスマホやスマホながら自転車でおばあさんにぶつかって死亡させたり何千万円もお金を払わないといけなくなるようなこともなくなるかもしれないと思いました。 それはそれとしてお礼回答が長くなりまして毎度申し訳ございませんでしたが、これから先はずぼら人間のために…それはなぜずぼら人間のためか…それは支えてあげないとずぼら人間の世界が終ってしまう=世界の終わりなのでどうにかして多くのずぼら諸君を支える製品の設計をして生産はロボットにさせて労働者諸君は淘汰されてロボット様のまわりをウロチョロしながら時給500円くらいで延命生活させられて一生を終えながらずぼら社会の頂点に立つ設計者はなるべくAIにやり込められないようAI対策をして生き延びられるようにしもべどもをコントロールしながらゲーム制作をするように現実を生きて行き、それが働き者なのだという自負にて生きがいとし一生を終え、その一方で人間と直接触れ合うずぼら専門カウンセラーなどが職業として成り立ったりするのかなあと思いまして…今思い返せばライフラインが止まるということは石油流通や電気も止まり車も動けずロボットも動かなくなるわけで…まあそんな難しく考えないでその時はその時で人間は適当に生きて行けるんだと信じてその時が来ないとわからないが自然にそれなりに人間は子孫を残しながら生きているのではないだろうかと思いましたので、これからもおっけえうぇぃぶで勉強させてもらいながら生きて行こうと思いました。 こんなことは社会問題研究サークル居酒屋軍団ミックやジョニー、マリー、タンクケント、チュー之介その他それらの舎弟たちにはなかなか言えずに、言っても口で負けますのでここで言わせていただき今回も助かりました。 <(_ _)>

その他の回答 (1)

  • kaitara1
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回答No.1

いわゆる道具の問題ですね。道具というのは体のある部分の延長であるという説があります。問題になっているのはその道具が脳の延長だということなのではないでしょうか。数の計算は電卓が出てきてほとんどできなくなりました。現在二けたの数の掛け算を紙と鉛筆でできる人はほとんどいないのではと思います。そのほか同じことは無数にあります。結論的にはおっしゃる通りで日常生活の中で道具を使わないことをある程度確保しておかないとまずいと言う事だろうと思いました。

AnataO192
質問者

お礼

ありがとうございます。 道具が脳の延長である説があることがわかりまして、なるほどと思いました。 それと芸能界ではよくテレビでバカを売りにしているタレントが掛け算の九九も言えなかったりして、まあいいか電卓があるからなどと思うのが精神的に良くない人も少なくないのではないかと思いましたが、そういえば電卓は一応道具で指先で…そろばんではないけどパチパチみたいに押して計算しますねえ。 ところが最近は目の前にテレビのリモコンがあるのにそれを操作しようともしないで口でしゃべってスマホ?とか使って…あと車のハンドルくらい握れよおっかなびっくり糞おうちぅやく野郎と居酒屋チュー之介が言ってました。 そんなことはどうでもいいとしてやはりおっしゃるように日常生活で部屋の電気をつけるのにもスイッチを押しに腰を上げなかったり足腰も弱くなるのだろうな、これからの人間は。

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