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ボケとツッコミの笑いについて
ロシア人留学生がダウンタウンを見て「面白いことを言った松本さんを浜田さんが叱るのはよくないとおもう。面白いこと言った松本さんを「キミはとても面白いことを言ったね」と褒めてあげるべきだ。」と言っていた、というツイートを見かけました。 それはそれで面白いんですけれども どうやらボケツッコミが面白いと思うのは日本人特有の感覚のようです。 どうして日本人はボケツッコミが面白いと思うのでしょうか。 深層心理的に、誰かが叱られている姿やひどい目にあっているのを見るのが好きということでしょうか。 だからイジメがなくならないんじゃないかと思ったり。
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日本の古典芸能である狂言には,使用人である太郎冠者のボケ(いたずら,間違いなど)と,主人のツッコミで成立している演目があります。古典落語にも,代表的なボケ役の与太郎が登場する演目があります。与太郎は,ただの知恵遅れとかではなく,まじめに善意でやったことがトンチンカンな結末になってしまう。そういう日本のお笑い文化の源流があるように思います。
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- SPS700
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1。どうやらボケツッコミが面白いと思うのは日本人特有の感覚のようです。 いいえそうでも無さそうです。下記などをご覧ください。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E7%B5%84 2。どうして日本人はボケツッコミが面白いと思うのでしょうか。 イギリスでは streightman とか feed(突っ込む方)とcomic(ぼけ)のような英語での役分けを作っていますし、 アメリカでは、ローレルとハーディー(Laurel and Hardy)、アボットとコステロ(Abbott and Costello)、男女ではバーンズとアレン(Burns and Allen)など、枚挙にいとまがありません。 僕もボブとレイ(Bob and Ray)やスマザーズ兄弟(Smothers Brothers)などには大いに笑わされました。下記などをご覧ください。 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Double_act 3。ですから、英米にはあるのですが、ロシアが上がっていないので、その留学生はボケとツッコミが日本の特産と勘違いしたのでしょう。
お礼
ありがとうございます 例をたくさん挙げていただきましたが 面白いことを言った人を殴ったり蹴ったり罵声を浴びせたりするのは日本独特なのではないでしょうか
- hue2011
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一人のロシア人の言ったことで、日本人特有の感覚などというのはおかしいですよ。それは感性の鈍い人間だと思います。というか所詮外国人だから、翻訳されたものを読んでの話だから呼吸が分からないんです。 マルクス兄弟なんていうのは、ボーっとしているのを皆が叩くというようなコントで世を席巻しましたし、チャップリンもそれを仕掛けてあれだけの成果を生みました。だけど誰もチャップリンを貶めてみた観客はいなかったはずです。 芸人がよく言うことを聞いたことがないのですか。「突っ込んでよ」というでしょう。せっかく赤いキレを出してふりまわしているんだから、牛よ突っ込んで来い、という話です。 突っ込んでこないと、その話題が雲散霧消してしまい、何のためにボケたかわからないのが困るんです。 これはコミュニケーション能力ということと関係します。 相手がこういってくれるだろうということを期待してしゃべることというのがあるわけで、それがなかったらそもそも会話は成り立ちません。 3人以上いる場合、ふたりが会話するとして3人目に聴かせたいということがある。 始めて会った3人で会話しなければいけないときにどうしますか。 自分は誰それです、とうような自己紹介をしますか。しないでしょう。電車でたまたま乗り合わせたようなときは、名前なんか言わないし知りたくもない。 だけど、飛びのり乗車をしてきて、すぐにドアがぴしゃりとしまったとしたら、 「気をつけて。前に死んだ人がいるんですよ」というとします。 ここでそばにいた人間が「いつ」と言ってくれないと困ります。「どこで」と訊いてくれないと困ります。単純に嘘を言ったというだけになりますから。 「いつ」と突っ込まれたら「いたんじゃないかと思って」と言えます。 これは「アホ」でも構わんのです。「アホ、どこでじゃ」といわれて「ごめんちゃい」とやったら漫才になりますけど、そういう会話でも構わんのです。 仮に実際に死んだ人がいたとしてその時期と場所を言えばそこでコミュニケーションが成り立つのです。 このときアホ、と言った人間が自分に対して本当に愚か者と思っているわけがないのです。ただ、そこで「それは本当?」「うそじゃないの」「もっとしりたい」がツッコミとしてアホ、になっただけです。 これはお笑いでもおなじことで、何か素っ頓狂なとんまなことさえ言えばいいのではありません。それで「ああおもしろいね」と言われたらこいつはバカだという決定になってしまい、最初にボケた人間の立場がなくなります。 場をうまく持たせる、平和に収めるのにボケとツッコミは非常に高度な手法であり代えがたい文化であるのです。相手がわざと外したポイントを理解してそこを突っ込むというのは相当高度な状況判断能力を要求されます。 いじめもボケつっこみで片付くんですよ。 お前はクサイ、なんか言われてそのままそうかもしれないとじくじく悩んだら死にたくなるんです。クサイ、といわれたら「どこがやねん、頭か足かケツか、いうてみ。ケツなんかお前かて臭いやろ」と反撃したら、それは単なるコントになっていじめではなくなります。周辺がどっと笑っておしまいです。 うまく突っ込める能力さえあれば、なかまはずれにもなりませんし、信頼も生みます。 突っ込む、というのは相手を理解しているという前提で自信をもってやることなんです。だからコンビを組んでいる人間たちはうまくボケてうまく突っ込めるのです。相手がこう突っ込んでくれるだろうという期待でうまくボケないといけませんので、こちらも相手への信頼なしにできることじゃありません。 私はコミュニケーション齟齬を起こしている現場ではボケとツッコミを考えろといつでも言っています。相手を理解しようとしないからののしり合いになるんです。信頼しないとボケられないし、ぼけたあとでうまく突っ込まないと信頼を生みません。
お礼
マルクス兄弟は見たことがないです ツッコミができない奴はイジメられて当然という発想には同意できません ありがとうございます
- FEX2053
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生粋の関西人は「突っ込んでくれることを前提にボケる」んです。 ボケに突っ込むのは、突っ込み側の愛情の表れなんですよ。 「さあ、じゃれてじゃれて」という覚悟で「ボケ」るんで、叩いて (または叱って)くれないと、「アテが外れる」んです。どっかの CMで「ボケても突っ込んでくれない」とか言ってますけど、あれは 関東での関西人のホンネだったりします。
お礼
ツッコめやー、と関西人の友人に何度も突っ込まれていたのを思い出しました。 ありがとうございます
お礼
なるほど 狂言から来ている様式だったんですね 参考になりました ありがとうございます