• ベストアンサー

明治時代に神仏分離によって全国にあった寺が神道のも

higebunnの回答

  • higebunn
  • ベストアンサー率0% (0/4)
回答No.1

神仏分離によって全国にあった寺が神道のもと寺が神社に統合されて神仏習合された。 そんな事実はありませんが。

関連するQ&A

  • 明治政府はどうして神道を重視した政策を打ち出したのでしょうか?

    明治になると、神仏分離で廃仏毀釈などが起こりますが、 そもそもどうして明治政府は神道を重視した政策を採ったのでしょうか? 聖武天皇などは、仏教を重視した政策を採りました。 誰が言い出したことなのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 昔の神仏習合について

    私は宗教には詳しくないので教えてほしいのですが 私の家は神道です。 神道は明治の初期まで 仏と一緒の神仏習合だったと聞いています。 明治政府によって分離させられたとも聞いています。 と言う事は、神道の私でも仏を拝んでもなんら 問題はないと言う事なのでしょうか?

  • 明治から現在までの「お寺」について教えてください

    明治辺りの廃仏毀釈から現代の永代供養、家族葬の発展までのお寺そのものの隆盛を教えていただきたいです。 特に、聞きかじったことはあるのですが、以下の言葉(トピック)についてざっと解説していただけたらと思います。 「廃仏毀釈」 「神仏分離」 「政教分離」 「農地解放」 「坊主丸儲け」 「地方都市のお坊さんは檀家に寄付ばかり募るくせに自分は高級車に乗って夜の街へ」 「東京のお寺は身入りが違うと言われる理由(土地を持っている理由)」 「石材屋へ名前を貸す『霊園ブーム』」 「若住職などの葬儀のアルバイト派遣」 明治から現代におけるお寺の立ち位置の変容の歴史を知りたいです。 よろしくお願いします。

  • 平家納経はなぜ神社に?

     NHK大河ドラマの「平清盛」の「平家納経」の回を見ました。  そこで不思議に思ったのは,平家の一門が納経する先が厳島神社でしたが,なぜ,お経を神社に納めたのでしょうか?  私の理解では,お経は仏教のもののはずで,それをお寺に納めるというのならば分かるのですが,神道のはずの神社に納めるというのは,どうも腑に落ちません。  これが神仏習合と言われるものなのでしょうか? だとしても,違う宗教のものを納めて,神社側もそれを受け取るというのは,かなり不思議な気がします。  平安時代は,このあたりは,どのように考えられていたのでしょうか? お寺と神社の区別はされていなかったのでしょうか? 神社にお経を納めてもよかったのでしょうか? ご存知の方,ご教示をよろしくお願い致します。

  • 火葬することの意味を昔の人はどのように考えていたと思いますか。

    火葬することの意味を昔の人はどのように考えていたと思いますか。 (1)仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも棺桶を使った土葬であった。 (過去には風葬もあったと思います。) (2)遺体という大量の水分を含んだ物質を焼骨に変えるには、大量の薪と、効率よく焼くための技術が求められる。そのため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった。 (3)日本で最初に火葬された人は僧道昭(700年)。また天皇で最初に火葬されたのは持統天皇(702年) (4)火葬の行われた痕跡のある古墳がある。 (5)仏教では仏陀の故事にちなんで火葬が尊ばれた。 (6)神道家の一部には火葬を仏教徒の残虐な葬儀法として禁忌する。 (7)明治政府は明治6年に神仏分離令に関連して火葬禁止令を布告したが衛生面の理由・仏教徒の反発などから明治8年には禁止令を廃止した。 以上ウィキペディアより。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC 魂の入れ物である肉体を残しておかないと復活できないというような考え方もあったようで 僧侶の中には即身成仏した人もいたようです。 また神道では火葬は忌むべきもの、仏教では火葬が尊ばれていたようです。 明治まで神仏習合されていた日本人は火葬をどのように考えていたと思われますか。 時代によっても異なるでしょうか。 (そうであれば時代別に回答いただければありがたいです。)

  • 寺と神社

    江戸時代、キリスト教を排除するために幕府は寺請制度を実施しましたが、なぜ『寺』なのでしょう?当時は神仏習合だったので、『神社』で登録や結婚式などが行われてもよかったのではないでしょうか?神社の『神』って文字がキリスト教を連想するから回避されたのでしょうか?

  • 明治時代以前には、天皇の存在意義はどれほど大きかったのでしょうか?

    私は、今日、日本国民が、いまだに自虐史観的感覚を 引きずってしまっているのは、天皇制イデオロギーに よる軍国主義的な第二次世界大戦当時の全体主義思想に 基づく「天皇制」を、霊的には、そのまま引きづり、 「国民統合の象徴」などとすげ替えてはいるが、結局、 何ら精神的に変わっていないことが、最大の理由だと思って います。つまり、自分たちの手で、天皇制を廃止できずに、 マッカーサーの言うとおり象徴天皇制を受け入れたこと にあると思うのですが・・・・明治時代以前には、天皇は、 どれほどの権威があったのでしょうか?日本民族にとって。 やはり、神様的な扱いだったのでしょうか? また、どうして、天皇家は、武士達の謀略等によりその 系統を絶たれることなく2000年以上も守られてきたのでしょうか? それほどまでに、いつの時代も、天皇家は、武士達にも神聖な 存在としてカリスマ性を発揮できていたのでしょうか??? それとも、武士達が立派だったのでしょうか?? 是非、教えてください。よろしくです。

  • 明治時代から日本が戦争をしまくったのはなぜでしょうか。

    明治時代から日本が戦争をしまくったのはなぜでしょうか。 日本は日清戦争~第二次世界大戦で沢山の戦争をしました。 戦争のためには莫大な軍事費が必要です。国家にマイナスになることはものすごく多かったはずなのにこんな戦争を繰り返したのは、国のためにどのようなメリットがあると考えたからなのでしょうか? 出典(Wikipedia以外)もあればお願いします。 どんな小さな情報でもいいのでできるだけ多くの回答をお待ちしています。 (知恵袋にある同じ質問は私が質問したものですので問題ありません)

  • 神宮寺と鎮守の社

    昔の日本では神仏は習合されて信仰されていたとかで お寺には鎮守の社があり 神社には神宮寺があったようですが すべての寺に鎮守の社が、すべての神社に神宮寺があったのでしょうか。 京都に藤森神社がありますが、神宮寺なんてあったのかな?と疑問に思いました。

  • 京都・六波羅蜜寺の鎮守の社

    数年前のことですが、京都・六波羅蜜寺の初詣に行きました。 六波羅蜜寺の門をくぐるとまずお坊様が幣(?)を振ってお祓いしてくださいます。 神仏習合の名残だと思いますが、鎮守の社らしきものはなかったように記憶しています。(あったでしょうか?) 鎮守の社は明治の神仏分離令によって移転したのでしょうか? またそうであるとすれば 祀られていた神様の御名を知りたいです。