イギリス史 明治維新のようなもの

このQ&Aのポイント
  • イギリスの大貴族と日本の華族の制度の違いについて知りたいです。イギリスの大貴族は封建制度的に土地と人を支配しているのでしょうか?また、ダウントン伯爵の領地領民に対する影響力についても教えてください。
  • イギリスで日本の明治維新にあたるような出来事はあるのでしょうか?もし存在する場合、いつ頃、どのような形で行われたのか教えてください。
  • イギリスの封建制度や大貴族の存在について、ドラマ『ダウントンアビー』を通じて興味を持ちました。明治維新との関連性や影響力についても知りたいです。
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イギリス史 明治維新のようなもの

 前回違う形で質問しましたが、 聞きたかったことを聞ける回答がなかったもので、 このような形で質問させてもらいます。もしかしたら、 同じ質問を繰り返すのは規定違反かもしれませんが?  ダウントンアビーという海外ドラマを見ています。 そこに大きなお屋敷とたくさんの小作人をもっている 大貴族が主要メンバーとして出てきます。現実に、 モデルとなる人物がいるらしいです。時代的には ww1前からww2前の話だそうです。  日本だと明治維新がすでに起こっていて、廃藩置県、 版籍奉還がおこり、大名たちは華族という名の貴族に 列せられてはいるけど、制度としては土地と人を もっていなかったはずです(法律的な優遇はあったそうですが)。 あくまで華族の個人資産としての 土地、雇っている人、土地、建物を貸して賃料をもらうことに している相手のはずです。  で、ドラマの中の当時の時代としては、イギリスでは このへんがどうなんでしょう?大貴族が封建制度的に 土地と人を支配しているのか、それとも、あくまで、 大貴族だけども、日本の華族とおなじなのか? また、先述の大貴族であるダウントン伯爵ですが、 お城の周りの人間、領民?にかなり、尊敬されていますが、 これはどういうかたちなのでしょう? ダウントン伯の領地領民で行政権、司法権、徴税権を伯爵が持っている。 または、逆に、ダウントン周辺には伯爵とは別に地方自治体の 首長、地方裁判所の裁判長、税務署の署長がいるけど、 ダウントン伯爵はものすごいお金持ちで昔からの貴族で リスペクトされていて、小作人たちや借家人たちにものすごい 影響力をもっているだけなのか?  もし、イギリスで日本の明治維新にあたるもの、廃藩置県、 版籍奉還ののようなものがおこなわれたのだとしたら、 いつごろ、どのような形でおこなわれたのでしょうか?

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  • tyr134
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回答No.1

イギリスの地方自治体制は多様で複雑で,なかなか説明するのが難しいのですが,誤解を恐れず一問一答形式で答えてみたいと思います。 >大貴族が封建制度的に >土地と人を支配しているのか、それとも、あくまで、 >大貴族だけども、日本の華族とおなじなのか? これは,日本の華族と同じというと語弊があるのですが,ダウントン伯爵はその地方の有力者の一人でしかないという事になります。 イギリスの地方自治は,国王大権に基づき特許状が授与されるか,法律制定によって法人格を付与されることを根拠とします。 これは1835年の市町村法人法が制定された事によります。 それ以前は,個別事に団体が設立されその統治範囲もバラバラでした。 これを整理して制定されたのが市町村法人法です。 よって,ダウントン伯爵家は土地と人を支配しているわけではありません。 >また、先述の大貴族であるダウントン伯爵ですが、 >お城の周りの人間、領民?にかなり、尊敬されていますが、 >これはどういうかたちなのでしょう? 断片的にしか観てなかったのですが,改めてドラマの概要を見ると,ダウントン伯爵が所有する「カントリー・ハウス」を中心にしたお話のようです。 恐らく,「お城の周りの人間、領民」というのは,このカントリー・ハウスで働く労働者や農民・使用人たちでしょう。 カントリー・ハウスとは,地方の貴族やジェントリー(下級地主・資産家)が所有する邸宅です それを持つには,最低4 km2の土地が必要でした。 これは日本で言えば一つの村を所有するということになります。 当然,その村を維持するには多くの人手が必要です。 そこで,貴族達は多くの農民や使用人を抱えていました。 >もし、イギリスで日本の明治維新にあたるもの、廃藩置県、 >版籍奉還ののようなものがおこなわれたのだとしたら、 >いつごろ、どのような形でおこなわれたのでしょうか? イギリスの歴史は,王権と貴族と庶民の三者が相争ってきた歴史と言えます。 コモン・ローやマグナカルタ,ピューリタン革命と名誉革命,ビクトリア女王時代のに成立したとされる「君臨すれども統治せず」はその象徴でしょう。 前段に挙げた1835年の市町村法人法が,廃藩置県みたいなものでしょうか。(地方自治改革として) とは言え,イギリスの地方自治権はその後も色々と改革されており,2002年頃にも大きな改革が行われています。 権力関係としては,産業革命による資産家の増加や労働者階級の台頭,それに対抗するために、王権と既得権益を守るために貴族院に所属する貴族になる人物の大量叙勲が特徴的でしょうか。(庶民院に対抗するため) 選挙権については,WW1の末期に普通選挙が実現しています。 なので「日本の明治維新のようなもの」となると,やはり産業革命と近代法治国家の理論の確立(モンテスキューやミルなど)でしょうか。 産業革命の結果,貴族以外の資産家や労働者階級が増大し,王権や貴族院の改革と普通選挙制度の確立など。 ダウントンアビーは丁度その頃の史実を下敷きとしたドラマで,日本で言いう大河ドラマという感じですね。 因みに,英国では貴族の称号と爵位は現役で日本みたいに廃止されていません。 なんせ貴族院には(一代貴族含め)700人以上が所属してますから。 最も,税制改革や膨大な土地の維持費が工面できずに没落する貴族や,世襲貴族に対する存在意義の批判など,今後はどうなるか分かりませんが。 ダウント・ンアビーも,そんな没落の危機にさらされている貴族の物語ですね。

sg10000
質問者

お礼

 回答ありがとう。 カントリーハウスですか。 すっきりしました。ダウントンではお殿さまですが、 ww1の時に出征した兵士はイギリス軍扱いで (ダウントン伯爵軍)ではなかったので、 どっちなんだろうと思いました。 日本では明治維新でほぼ一気に封建体制が終わりましたが、 イギリスは百年ちかくかけて段階を踏んで封建体制がくずれていった、 ということでしょうか。また、その名残もまだ残っていると。  ものすごく、大雑把なたとえですが、土地持ち領主だった ダウントン伯爵家が時代を経て、裁判権、徴税権などを 失い、(ある意味)日本の江戸時代の庄屋さんになってしまった、と。 で、さらに、ドラマの中で庄屋さんから貴族号をもっている ある程度のお金持ちになってしまったと。そういうことなんでしょうか?  あと、ここで追加の質問はいけないのでしょうが、 部隊となっているハイクレア城ですが、 xメンファーストジェネレーションという映画でも つかわれていませんか?

その他の回答 (3)

  • tyr134
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回答No.4

>xメンファーストジェネレーションという映画でも >つかわれていませんか? 私はxメンファーストジェネレーションは観ていないのですが,ちょっと気になったのでググってみました。 すると,予告映像に確かにハイクレア城っぽい映像がチラッと映りますね。 以下リンクの予告映像2の53秒あたりにチラッと。 https://eiga.com/movie/56050/video/ 他にこれといってハイクレア城だと特定できる情報は見つけられませんでした。 因みにハイクレア城は代々カーナーヴォン伯爵家のお屋敷だそうで,現在は8代目が所有してるようです。 こちらに面白い記事が載っていました。 https://www.kateigaho.com/home/12685/ 面白いなと思ったのは,最後の方の以下の一文。 >「でもダウントン・アビーのロケ地に選ばれたお陰で維持費が確保できたうえ、訪れる観光客も増え、ドラマの映画化も決まりました」と笑顔の彼女は本当に前向きです。 お城の維持費を賄うために,ロケ地に観光というビジネスで賄ってるのかと思うと,貴族も大変だなーと改めて思っちゃいました。 他にも,カーナーヴォン卿がドラマのディナーシーンに文句をつけた(食器の配置や使用人について)なんて小ネタもありました。 http://www.news-digest.co.uk/news/news/tabloid/11052-2013-09-09.html 人気の差なのか,ハイクレア城を紹介してる個人やライターさんの旅行記や写真なんかは出てきますが,決まって「ダウントン・アビーのロケ地」としての紹介でした。 あれだけのお城だと,恐らく別の映画やドラマでも使われてそうなんですけど。 ではでは,ご参考になれば幸いです。

sg10000
質問者

お礼

二度目の回答ありがとう。 ものすごく似てますよね。 モデルの伯爵一族がずっと住んでいるんですね。 ハリウッド映画などでは原作者・モデルがものすごいチョイ役などで でてきたりするそうですが、さすがに貴族はでてこないようですね。

回答No.3

ダウントンアビーという海外ドラマを見ていませんが、ご質問は日本の封建制度とヨーロッパの封建制度の違いが原因です。 大雑把にいいますと日本の封建制度もヨーロッパの封建制度も支配層の主従関係ではほぼ同じです。 領主と領民の関係が根本的に違っていました。 >ダウントン伯爵はものすごいお金持ちで昔からの貴族でリスペクトされていて、小作人たちや借家人たちにものすごい影響力をもっているだけなのか? ヨーロッパには古くから農奴と呼ばれる人達がいました。 農奴は支配層の人達の私有物と看做されていました。 ドラマのダウントン伯爵は大勢の農奴を持っていたと考えられます。 日本には農奴という制度がなく領民は支配層の私有物とは看做されませんでした。 ヨーロッパでも日本でも主君の命で家臣が領国を移動することがありましたがヨーロッパでは農奴は私有物ですので家臣である領主が移動する際に引き連れていきました。 日本では領民は私有物ではありませんので領主が移動する際にはそのまま残されていました。 鎌倉時代以降江戸時代にかけて主君の命で家臣が頻繁に領地を移動していました。 結果として「地頭は当座の者百姓は末代の者」という言葉がうまれました。 >イギリスで日本の明治維新にあたるもの、廃藩置県、版籍奉還ののようなものがおこなわれたのだとしたら、いつごろ、どのような形でおこなわれたのでしょうか? 歴史的に日本は明治維新だけでしたが、イギリスは数多くの革命や反乱を経て現在の政治体制になりました。 農奴を開放したのは1381年に起きた農奴による反乱(ワット=タイラーの乱)が直接的なものでしたが当時すでに封建制度という枠組み自体が緩んでいました。 現在のイギリスは正式にはUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)です。 オリンピックなどではUKという略号がよく使われます。 現在も女王を頂点とした貴族制度があります。 農奴は所有していませんが広大な私有地を持っています。 蛇足 封建制度という用語と言うか制度は古代中国が始まりです。 明治時代に外国語(Feudalism)を翻訳する際に古代中国の制度を無視して用語として借用しました。 結果として封建制度という古代中国の制度に基づいた漢字としての意味と外国語(Feudalism)の意味が混在してしまっています。 これも言葉の定義の問題ですが、明治維新と言って明治革命と言わないのは、当時の政権交代が身分間での交代ではなく武士層内部だけで行われていた為です。 ご指摘のように明治政府は新しい身分制度を定めていました。 日本で天皇家を除いて身分制度が廃止されたのは敗戦後に制定された現在の憲法が施行されてからです。

sg10000
質問者

お礼

 回答ありがとう。 ドラマを見ていて、ダウントン伯爵はお屋敷周辺で 中世のお殿様をしていますが、それと同時に 近代イギリスもしていて、どっちなんだろうと思いました。  うまく説明しずらい、質問しずらく、封建制度という 言葉をつかい、日本でのたとえをつかいましたが、 逆にややこしくなりました。ですが、封建制度の違いが よくわかりました。  ドラマの中でダウントンの小作人、借家人たちは 先祖をたどれば、代々のダウントン家の領民で 一代の関係ではなく、今でも、自分たちのお殿様と おもっているということでしょうか?ほかの回答に カントリーハウスのことが書いてありました。 やはり、むりやり、日本の明治維新で例えると、 維新後お金をもっていた元大名がお城とその周辺の土地を 明治政府のもとで私有財産としてもっていて、 そこではたらいているのはもともとからの代々の領民と その子孫というかんじでしょうか?で、大貴族の力が 弱まっていき、元領民たちもはなれていくと。ただ、 ドラマ外ですが、いまだに広大な私有地を持ち続けている 家もわずかにはあると。

  • 9133313
  • ベストアンサー率19% (267/1349)
回答No.2

ダウントン伯爵→知らない。 中国(香港・マカオ・九劉)などはヨーロッパの植民地だったので、資本経済が成り立ています。 中国本土は共産主義なので、前出の文化を散りいれたくないのです。 (取り入れてしまったら、中国って人を縛りつけ何の価値があるの?と批判を招きます) イギリスの産業革命は技術的な変化が与えられた時代。 日本の廃藩置県とは全く異なる要素です。 イギリス産業革命を応用しているのが、日本企業。 廃藩置県なんてお役所どまり。 ことの重大さを知ろう。

sg10000
質問者

お礼

 回答はどうも。

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