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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:何時の誰が連合国と枢軸国を決めたのか?)
第二次世界大戦の連合国と枢軸国の決まり方は?
このQ&Aのポイント
- 第二次世界大戦における連合国と枢軸国の概念は、戦後の解析によって成立しました。
- 歴史的には、フランスやイタリア、ソ連などの立場は途中で変化したため、その表現は実際の立場とは異なる場合があります。
- 「米・英・仏・ソ・中の連合国と日・独・伊の枢軸国の戦い」という表現は、戦後の解析に基づいて定着したものです。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E8%BB%B8%E5%9B%BD Wikipediaにもありますけれど、元々はハンガリーの首相が「ベルリンとローマは枢軸の両端を成している」と演説したのがきっかけだったようです。 それで、ドイツとイタリアが接近するときにヒトラーとムソリーニによって「ベルリン・ローマ枢軸」という言葉が盛んに宣伝されたんですね。それで、ドイツ・イタリア両国を「枢軸国」という呼び方が広まってきたのです。 そしてそこに日本が参加してご存知、日独伊三国同盟となったので、それを日本でも「枢軸同盟」というような呼び方をして、日独伊三国が枢軸側と認識されていったのです。 で、第二次世界大戦の歴史を語るときに「連合国」というと概ね、特にミリタリー的にはアメリカ、イギリス両国を指します。これにドゴールの自由フランス軍も入れる場合もありますね。ソ連は連合国という括りとはまたちょっと置かれます。連合「側」ではあるけれど、連合「国」ではない、というとなんとなく伝わりましょうかね。中華民国となるともう中華民国そのものがほとんど国家の体をなしていませんでしたから、「蒋介石軍」というような言い方をしても「中華民国」という括りにはし難い部分がありますね。当時の中華民国というのはスケールの大きいヤクザの組長の集まりみたいなものでした。 誰かが決めたというより、なんとなくそう認識されてきたって感じですよ。歴史って、誰かがきっちり決めている訳ではないのですよ。
お礼
回答ありがとうございました!!
補足
ウィキペディアの説明文では第二次世界大戦における枢軸国とは連合国と対立した国々言う意味になっていますが、これは戦後に国連(実質アメリカ)が決めたのではないでしょうか?