新実在論「なぜ世界は存在しないのか」を読むために

このQ&Aのポイント
  • 新実在論の本「なぜ世界は存在しないのか」を読むにあたって、こういう本を読んでおいたらより面白く読めるよ、という本はありませんか?
  • マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」が読みたくて図書館で予約しました。順番がくるまで1ヶ月くらいあると思います。その間に関連性のある本があったら読みたいと思うのですが、哲学に関する知識が不足していて何を読んだらいいのか分からないのです。網羅的に読むのが一番いいとは思うのですがたぶん発狂してしまうと思います。
  • 図書館にあるような本か、安価で入手できる本を紹介していただけると有難いです。あるいはネットサイトとかでも。哲学に関してはプラトンとデカルトなら何となく知っているというくらいの素人一般人です。どうぞよろしくお願いいたします。
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新実在論「なぜ世界は存在しないのか」を読むために

新実在論の本「なぜ世界は存在しないのか」を読むにあたって、こういう本を読んでおいたらより面白く読めるよ、という本はありませんか? マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」が読みたくて図書館で予約しました。順番がくるまで1ヶ月くらいあると思います。 その間に関連性のある本があったら読みたいと思うのですが、哲学に関する知識が不足していて何を読んだらいいのか分からないのです。網羅的に読むのが一番いいとは思うのですがたぶん発狂してしまうと思います。 何かアドバイスいただけないでしょうか? 図書館にあるような本か、安価で入手できる本を紹介していただけると有難いです。あるいはネットサイトとかでも。 哲学に関してはプラトンとデカルトなら何となく知っているというくらいの素人一般人です。 どうぞよろしくお願いいたします。

noname#232875
noname#232875

質問者が選んだベストアンサー

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  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.1

ガブリエルの「なぜ世界というのは存在しないのか」というタイトルに惹かれて、図書館でその本をちょっと読みましたが、がっかりしました。 良かったら買おうかと思っていましたが、つまんないので、買うのをやめました。 それに新・実在論と言っていますけど、私の考えているパットナムや野矢茂樹のいう新・実在論とは違いました。 パットナム・野矢茂樹のいう新・実在論は観念論を経てきて、ふたたび実在論に戻ってきたものとすれば、ガブリエルのいう実在論とは、従来の観念論でも実在論でもないものです。 だいたい言っていることを大雑把に言うと・・・・・・ (1)存在するとは、あるものが「意味の場」において現象することである。 (2)世界というのは、あらゆるものを包括する全体である。 (3)あらゆるものを含む全体としての世界が、何らかの「意味の場」において現象することはあり得ない。 (4)よって、世界は存在しない。 いっぱい言っていることに疑問がたくさんあります。 (1)「意味の場」って何だ? (2)その「意味の場」に現象するって何だ? (3)存在するとは、存在することなのではないか? (4)世界はあらゆるものを包括する全体、と言っているが、ウィトゲンシュタインはそんなことは言っていない。世界とは、物の全体ではなく、事実の全体と言っている。そして世界とは「論理空間」と言っている。 要するにガブリエルのいう「意味の場」としての世界とは、私たちのいう世界ではなく、ウィトゲンシュタインの言う「論理空間」のこと。 だとすれば、分かる。 (5)よって、世界は存在しない、と言っているが、「意味の場」としての「論理空間」は存在しないと言っている。 それが彼のいう新・実在論! 要するに、世界は事実でなく、物によって成り立っているというのが、新・実在論。 ああ、つまらない! かつてライプニッツが同じようなことを言っていました。 世界に存在するあらゆることには、存在するだけの充足理由・根拠があるが、世界そのものにはそれが存在する、いかなる充足理由・根拠はない、と。 言い換えると、世界はいかなる充足理由・根拠もなしに存在している、ということです。 世界が存在していないわけではない。 ガブリエルも同じで、「意味の場」としての「論理空間」は存在しないけど、物の集合としての世界は存在する、と「暗に」主張している!(笑) タイトルに「偽りあり」です。

noname#232875
質問者

お礼

ご回答いただきましてありがとうございました。 最初に回答していただきましたのでベストアンサーに選ばせていただきました。

noname#232875
質問者

補足

ありがとうございます。興味深く読ませていただきました。「世界は事実ではなく、物によって成り立っている」というのは何だかつまらないと私も思います。 タイトルと内容にズレがある本というのが最近増えて来ていますよね。私もタイトルに惹かれていたのですが…。 ところで、パットナムというのはHilary Whitehall Putnamのことでしょうか?はじめて聞く名前なもので…ネットで調べてみたのですがあってますでしょうか。図書館にも蔵書があるようなので読んでみようと思います。

その他の回答 (2)

回答No.3

 「およそこの世のものは、他と区別される独自の性質として存在する。」  この辺が主題らしいです。自分なりに考えてみると、例えば双子のAとBがいて、ほぼ同じの場合、AはBと区別された存在として際立たない。同じ茶碗などは、まさに1個ごとの存在は意味がない。取り換えのきく非正規社員は、そこの場においては、個の存在価値はない?(「俺俺」みたい)  「世界はあらゆる性質を含み、他と区別がつかないので、存在しない。」    まだ300頁中100頁しか読んでないので、そこから先はわかりません。「存在と性質」どこかで聞いたような?  一応ニーチェ批判も載っていたので、ニーチェの本とか読んでおくといいのかもしれませんが、果して図書館の2週間で理解できる本でしょうか?  確かに、文学も音楽も芸術も他と区別して、存在感や際立ちがわかるので、世界にそれしかない場合、その存在とは何なのかどうわかるのでしょう?いわゆる実在論ですね。

noname#232875
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。回答を読ませていただいて、また少し読むのが楽しみになりました。 確かに2週間では難しいかもしれません。哲学書を読むことと、哲学することは違うのだという事を今思い出しました。プラトンがソクラテスに師事したように生きた哲学を学べればいいのですが。 大変参考になりました。ありがとうございました。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6244/18614)
回答No.2

哲学のことを形而上学などと称して ただの言葉遊びに過ぎないものがたくさんあります。 うがった見方をすると 学校ではスポーツのうまい人が評価されて 運動音痴の人は馬鹿にされている。 それがコンプレックスになり 見返してやろうと 難解な言葉遣いで理屈をこねくり回すと言うような人が書いた文章。とでもいうものですね。 結局 何が言いたいのか誰もわからないという。 それに対して「口語で語る哲学」という人もいます。 上記のようなものを小乗仏教としたら 対して 大乗仏教とでもいうもの。 誰でもわかりやすい哲学。 日本人では 池田晶子さん。(1960~2007)なのでほぼ現代の哲学です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)

noname#232875
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「ただの言葉遊び」かもしれないという予感はしていました。言葉による思考の限界でしょうか。「口語で語る哲学」面白そうですね。言葉も口語となるとぐっと自由になる気がします。喋っている言葉って生きていますものね。(そんな気がします) 池田晶子さんの本、読んでみようと思います。ありがとうございました。

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