「死んじゃった」が持つ語感・ニュアンスについて
ニュースで芸人さんが事故死されたと拝見し、まずはご冥福をお祈り致します。
この件に関して、スポーツ新聞が「○○くん、死んじゃった」という大きな見出しで記事を書いたことで、ネットでは半炎上のような状態になっています。
概ね以下のような意見のようですが、かなり多くの人がこの件に怒っているようです。
・不謹慎だし、本人にもファンにも失礼
・遺族にどう説明するのか
・なぜこのような見出しで発売に踏み切ったのか
・飼っていた虫が死んだのを母親に知らせる子供レベルの見出し
・マスコミによるペンの暴力だ
私も皆さんと同様な印象なのですが、ふと思ったのですが、この件は日本語が元々持つ難しさも原因ではありませんか?
1.「~した」 (事実を伝えるのみ)
2.「~してしまった」 (完了形、英語のhaveや中国語の了に相当)
3.「~しちゃった」 (2.の口語版で子どもっぽく、公的には使えない)
ほとんどの日本人が、1~3の言葉の使い方、微妙なニュアンスを理解して使用していると思います。
今回の記事が、もし1.や2.だったらここまで炎上したでしょうか?
ググったところ、英語でもdieの代わりにpeg outだとか、中国語でも「去世」の代わりに「完蛋」といった口語やスラングがあり、やはり無礼な感じがするとのことです。(人の死に関することですからなおさらですね)
しかし、日本語のように、平仮名をちょっと変えただけでニュアンスがかなり変わってくるというのは、ひょっとして珍しいのではないか?とも思いました。
小中学校の時に、丁寧語・尊敬語、健常語というのをやりましたよね。面倒くさかった記憶があるのですが、やはり日本語は外国語に比べて「行間を読む」だとか「ニュアンスを読む」みたいなところはあるんでしょうか。
もしそうだとすれば、それによるメリット・デメリットはありえますでしょうか?
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。