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北海道に方言が少ない

逆の最南端の沖縄は方言が濃く、同じく北端途中の青森までは方言が濃い しかし北海道の方言がそこまで濃くない理由は先住民をほぼ絶滅させたからですか? 過去の日本人がアイヌ人を殺さなかったらは沖縄や青森より独特で濃い方言になってましたか? あと逆になぜ日本人は琉球人は殺さずにアイヌ人だけ殺したのでしょうか?

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  • SPS700
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回答No.2

1。先住民をほぼ絶滅させたからですか?  いいえ、そうではないと思います。その土地に定住した期間が短く、比較的広い地域に拡散した時には方言さが少なくなります。  スペインより、中南米のスペイン語に方言が、イギリスより、豪州や、北米の方が、本州より北海道の方言差が小さいのは、みんな同じ理由です。 2。過去の日本人がアイヌ人を殺さなかったらは沖縄や青森より独特で濃い方言になってましたか?  いいえ。 3。あと逆になぜ日本人は琉球人は殺さずにアイヌ人だけ殺したのでしょうか?  沖縄は独立国であった、海に囲まれ面積が狭かった、言語的に似ていた、土地がすでに細分され所有権があった、などで同類と見る色々理由があったのでしょう。

その他の回答 (5)

  • tzd78886
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回答No.6

明治維新までは殺戮に近いこともあったようですが、以降は同化政策をとったことにより生粋のアイヌはいなくなったのです。現在アイヌを自称している人も和人の血が入っている人が大半のはずで、そうで無い人はまずいないのではないかと言われています。 琉球人というのは沖縄に昔から住んでいる人の子孫ですが、こちらは元々島津藩の支配を受けたりして交流があったのと、海洋民族で貿易立国のようなところもあったので血縁的には和人(ヤマトンチュ)と明確に区別できるものではありませんでした。島によって使われている言葉も違い、まるで通じないということもあるそうです。一般的には沖縄本島の言葉を「沖縄方言」と便宜的に呼んでいるだけです。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11129/34640)
回答No.5

現在北海道民のほとんどは、明治以降に入植した開拓者の末裔です。北海道には「北広島市」「伊達市」といった地名がしばしばあります。北広島市は元広島藩の人たちが多く入植してきたから、伊達市は元伊達藩の人たちが多く入植してきたからです。 明治維新によって多くの武士、特に下級武士が失業しました。おそらく一番困ったのは江戸に住む各藩の藩士だったと思います。この人たちは所属こそ各地方の藩ですが、生まれも育ちも江戸なので、地元にはツテがなにもないのです。かくいう私の父方のご先祖もそのクチで、元は津藩の江戸藩士だったそうですが明治維新による失業で有志を募って北海道に移植したそうです。 かように北海道には各地から多く移民してきた人たちがいたので、ある特定の方言にはならず、各地の方言がシャッフルするような感じで独特の方言と文化が生まれていったのです。 元々アイヌ語というのはものすごい素朴な言葉だったそうですよ。例えばリーダーを示す言葉は「酋長」に該当する言葉しかありません。藩主とか将軍とか代官とかそういう言葉はないのです。だから文明度の高い生活を送るには言語がついていけないんですね。 この問題はあの池上彰さんがテレビ番組でいっていて、日本人が英語がなかなか不得意な理由として「日本語が完成度が高い言語だから」と指摘していました。外国では現地の言葉が素朴な表現しかなくて高度な学問についていけないので大学のような高等教育は英語でやらないといけないみたいな事情の国があるということでね。 また沖縄方言はあまりに言葉が強いので、最近は沖縄語は日本語の方言というくくりは違うのではないか、という言語学者も出てきているそうです。ラジコで聞けるラジオ日経の番組で沖縄の地方放送の「民謡で今日拝なびら」というのがあります。そもそも「今日拝なびら」からして「ちゅう、うがなびら」といいます。DJは沖縄人のおじさんで方言で喋っているのですが、これが何をいってるんだかサッパリ分からない・笑。まあ沖縄も北と南じゃだいぶ方言が違うらしいですけれど。 元々アイヌ人の人口は少なかったうえに、そこに移民がどどっと押し寄せてきたので飲み込まれてしまった、というのが現実だと思いますね。 北海道はそういった歴史がありますから、今でもよそ者にはものすごく寛容なところがあります。「北海道、三日住んだら道産子」なんて言葉もあるほどです。白系ロシア人であったスタルヒンが北海道の英雄として扱われるのもそのせいだと思います。

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.4

北海道には色々な地域から人が集まり、 結果標準語に近くなりました。 東京の上町の言葉をベースに標準語にしました。江戸弁とは違います。 そうしないと通じないからです。 アイヌの方の絶対数が元々少なく、 また蔑視対象でしたので混ざらなかったと思います。 多く殺したのは、多くの武力反抗があった為と思われます。 沖縄は薩摩侵攻前に既に統一されており、 トップが負けると、組織的反抗が少なくなり、 アイヌは統一されず、部族単位ですので、 反抗件数が多かったと思います、 また部族間の抗争自体もあったと思われます。 北アメリカで当初百数十人の白人に、全土奪われたのに似てます。 沖縄や朝鮮が統一されていたため虐殺数が少なく、 アイヌや台湾(出身地別、数十の先住部族)は統一されず、個々に反抗したので虐殺されやすかった筈です。 方言と虐殺数とは関係ないと思います。 台湾では、出身地別の方言と数十の先住民の言葉があり、あい抗争してました。 個々日本に反抗してましたが、日本語を標準語にして、協力して日本に反抗してます。

derorian
質問者

お礼

たしかにアメリカとアイヌは似てるなと思いました。

回答No.3

当方、ほんの少しアイヌの血が混じった北海道人です。 まず「アイヌ人」と言う表記ですが「アイヌ」は、アイヌ語で「人間」を意味する単語で「人」を付けるのは不適切です。「アイヌ」のみで「アイヌと言う人種」を意味します。 >しかし北海道の方言がそこまで濃くない理由は先住民をほぼ絶滅させたからですか? 「絶滅」はしていません。今でも「アイヌ」は居ます。 アイヌの数が激減したのは事実ですが、理由は、和人との接触が増えると同時に、和人を通して天然痘などの伝染病にかかり、伝染病を治療する手段を持たず、また、伝染病に免疫のなかったアイヌが、伝染病で死亡したからです。 >あと逆になぜ日本人は琉球人は殺さずにアイヌ人だけ殺したのでしょうか? 「わざと殺した」のではありません。アイヌだって「むざむざと無抵抗で殺されるに任せる訳がない」です。弾圧されれば、シャクシャインやコシャマインなど、蜂起して抵抗する部族がいました。 数が減った主な原因は「和人が伝染病を持ち込んだ」からです。 免疫を獲得して発病しない状態になった「保菌者の和人」が、免疫を持たないアイヌに接触すれば、どうなるかは自明です。 あと、アイヌは「文字を持っていなかった」ので、アイヌ語が後世に残らなかった大きな理由になっていて、また、和語とアイヌ語が「翻訳が必要なほど大きく食い違った」のが「方言になり得なかった」理由になったと思われます。

derorian
質問者

お礼

どこの大陸でも侵略者のもちこんだ伝染病で壊滅ってよく聞きますね。北南のアメリカ大陸の文化も文字が無くて現在では解読できないといいますしそれと似ているのかもしれませんね。

  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.1

北海道には、開拓団として本州、四国、九州の貧しい農民達が沢山入植したからです。

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