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昔の歴史ってどうやってわかるんですか?
昔の歴史ってどうやってわかるんですか? 昔の歴史ってどうやってわかるのですか? 人物の家系とか領土がここまであったとか資料集に書いてあったりしますが、領土がここまであったとかそんな細かいことがわかるだけの証拠があるのですか? 例えば俺はここまでの領土を支配したとかそこに記録を残すんですか? 紀元前あたりだとそんなの不可能だと思うんですが
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そうですね、昔の領地領土というのは西洋や中東では城壁のある 城の周辺の地域を中心に決めていたところがあります。また、 遠征して征服した場合は飛び地としての領有権を宣言した場合も ありました。しかし、それは不安定なものであり、別の征服者が 現れて武力で領主を追い出した場合は新たな征服者のものになる 場合が多かったようです。 中世ヨーロッパでは、東ローマ帝国の領地の変動がよくそれを 表しています。 日本の場合は、武士社会が領地の奪い合いをしていましたから、鎌倉 幕府成立の後も様々な戦で変動がありました。 現在の歴史研究家の間では、古文書による領地設定よりも遺跡発掘に よるものが多くなり、より現実性を帯びています。
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- 441moe
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(1)埋蔵文化財 (2)古文書 (3)想像 に科学的分析加えて判断します。 領土に関しては当時の記録と地図です。 当然細かい事まではわかりません。 例えば、今話題の竹島ですが、1905年より前の正確な地図ありません。島の名前も確定すら出来ません。 明治の公図は、山の峰、川が境界です。 昭和以降、測量して今の境界を確定しました。 文書だけの場合は、今の地図に照らし合わせて判断しますが、当然いい加減です。 邪馬壹国が九州、近畿、沖縄、グアム島と候補があります。 昔は今のように厳密にする必要もありませんでした。 逆になりましたが、家系図は90%以上は明治に作られ、正当な物でも、途中書き足すので、 信憑性低いです。
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- ichikawa2017
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>昔の歴史ってどうやってわかるのですか? 「歴史」と一括りにされていますが、学問的には大まかに歴史学、考古学、民俗学に分けられます。 歴史学は文書や碑文などの文字資料に基づいた研究です。 考古学は物(遺跡、遺物)に基づいた研究です。 民俗学は文字や物としては残らない伝承や習慣について研究します。 学校の教科書などはこれを総合して記述されています。 >領土がここまであったとかそんな細かいことがわかるだけの証拠があるのですか? 有る場合もあれば無い場合もあります。 大半は無いと考えて差支えはありません。 資料集などに書かれているのはあくまでも推定です。 このように考えても差支えないだろうと学会で合意されたものが使われています。 現在尖閣諸島や北方四島の帰属でもめているのは、明確な資料が無いのが最大の原因です。 クリミヤ半島の問題のようにどの資料に基づいて帰属を決めるかという点でもめています。 現在「国」というのは国民、領土、統治機関の三つがそろったものとされています。 これに対して歴史的には徴税権を行使できる範囲を意味していました。 この地域に住む住人から税を取り立てることができるようになったという記録はあります。 税を取り立てる対象の人達が住む地域を明確に区分して記録したものはありません。 だれも住んでいない山岳地帯や砂漠地帯を自分のものだと言っても意味がありません。 日本の藩幕体制でも領国の周辺部の村落の人達が自分達の村落はあそこまでだと認識していた範囲を目安としていました。 中央アジアの国の国名にアフガニスタン、パキスタン、カザフスタンなど末尾に~スタン(~stan)とつくのは彼等が住む地域という意味の言葉で明確に領域が決められていたわけではありません。 習慣的にお互いの領域を尊重していましたが、植民地時代にヨーロッパ諸国が地元の習慣を無視して地図の上で直線を引いて区分してしまいました。 中近東やアフリカに直線上の国境を持つ国が多いのはこの名残です。 >例えば俺はここまでの領土を支配したとかそこに記録を残すんですか? 残す場合もあれば残さない場合もあります。 大半は残していません。 残すとしても石碑を建てるなど点で表示します。 広開土王碑などが有名です。 唯一の例外が万里の長城です。 秦の始皇帝が紀元前214年に建設し歴代の王朝が継承して増強していきました。 中国の歴代の王朝は冊封体制というものを使っていました。 直接税を徴収するのではなく、定期的に貢物を持って来る(朝貢)集団を庇護していました。 琉球国は薩摩藩に砂糖などの税を納める一方で中国に貢物を届けていました。 現在中国で沖縄は中国の領土だと主張する人間が現れるのはこのためです。 歴代の朝鮮半島の王朝は中国王朝に朝貢をしていました。 これを根拠に朝鮮半島の歴史は中国の地方史の一部だと言って物議を醸しだしています。 >紀元前あたりだとそんなの不可能だと思うんですが 文字は紀元前にもありました。 粘土板や石碑に刻み込まれたものやエジプトの遺跡のように壁面などに書き残されたものもあります。 紀元で表記されるのは2000年程度の期間ですが、古代エジプトなどは紀元よりも前に3000年間続いていました。 現在のイラクにあった古代王朝は約3800年前にハムラビ法典と呼ばれる法律を壁面に文字で刻み込んでいました。 蛇足 現在の国民国家という概念が国際的に生まれたのは17世紀以降のことです。 この国民国家の統治が及ぶ範囲である領土については世界各国で紛糾しています。 尖閣諸島問題のような国境紛争は世界的にみれば沢山あります。 極地的な軍事衝突は頻繁に起きています。 現代ですらこのような状態ですので歴史的に領土の範囲などという考え方はきわめて曖昧です。
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- takuranke
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>紀元前あたりだとそんなの不可能だと思うんですが どのあたりの時代区分をさして言っているのか。 因みに紀元前って、 キリストが生まれる以前と言う意味で、 それよりはるか昔に栄えた、 古代エジプトや古代ギリシャは相応な文明があり、 中世ヨーロッパよりも進んだ技術などがありましたが。 それと他の土地を征服して版図を広げた場合、 その記録をつけなければ支配が難しくなります。 記録には、石や粘土、動物の皮、植物を使用し残していました。 ロゼッタ・ストーンは内容から、 紀元前196年に彫られたのがわかっています。 >昔の歴史ってどうやってわかるのですか? 直接的な記録資料(一次資料)やその写し(二次資料・三次資料)。 これは文献学 考古学での実地調査。 これは考古学 その土地の口伝など。 こっちは民俗学など シュリーマンはトロイの伝説を子供の頃に聞いて、 伝説ではなく実際に合った出来事だと信じ いつか見つけたいと思い、後年発見しましたが、 これは伝説・伝承などを元に場所を割り出しました、 実際には、伝承のトロイそのものではなく、 それ以降に築かれた別の町でしたが。 (もとあった都市を埋めて別の都市を作ることが良く行なわれたらしい) 伝説や伝承でも、実際にあったことが語られていたことが証明された有名な例です。 誰かが書き直してもわからないと書いている人いますが、 これは当然です。 ですが、記録に残されたのは勝者の歴史と言うのは、 昔から知られていたこと。 今現在でもおきていることです。 ですが、それ以前の記録の全てを消すことはできませんので、 それらのものが見つかれば比較することで実際のことが見えてきます。 司馬遷の史記も当初は、 記載されている国の 残存している一次資料とは異なった部分があったりしたので、 いい加減な記述が多いなどと思われていましたが、 遺跡の発見・調査、別の記録との比較などで、 かなり正確な記述であることが認識されるようになりました。 特に始皇帝の陵墓については、 規模がことのほか大きすぎるので、 いくらなんでもと眉唾ものだったのが、 兵馬俑が発見されたことで事実であることが証明されました。
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- staratras
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>例えば俺はここまでの領土を支配したとかそこに記録を残すんですか? 紀元前あたりだとそんなの不可能だと思うんですが 地域にもよります。例えば日本では西暦の紀元前に書かれた確実な記録(文字史料)は見つかっていませんが、お隣の中国には豊富に存在します。紙ではなく、木簡・竹簡や石に彫られたもの、青銅器に文字が鋳造されたものもあります。 また動物の骨や亀の甲羅に文字を刻んで占いに使われたと見られるものもあります。(甲骨文)今のところ確実に存在したとされるうちでは最古とされる殷の都の跡(殷墟)が発見されるきっかけとなったのは、日本で言えば明治時代になって北京の漢方薬店で売られていたこの「古い文字が刻まれた骨」を学者が見つけたことでした。この古文字は漢字の原型とされています。 世界遺産に登録されているこの殷墟は紀元前14世紀から11世紀ごろ、つまり今から3000年以上昔に殷の首都だった遺跡です。こうした古い時代の歴史が判明したのは殷墟から多数の甲骨文が発見されたおかげです。
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- eroero4649
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古代エジプトの王様なんかはオベリスクなんかを建てて、そこにヒエログリフで「偉大なる凸凹王は何年にどこどこに遠征して彼らを従えた」とか自慢する記録を残しておくのです。 そういうのは多分に「大本営発表」ですから、本当は負け戦だったのに勝ったことにしちゃったとかそういうことだってあったでしょうが、その業績を否定する資料がなければ残っている資料が一応正しいという前提で歴史の教科書に残ることとなります。 歴史が分かるのは、解読できる文字で残された記録と発見された遺跡だけです。
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- hkhk1450
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韓国を例に取るとわかりやすいですよ。歴史は、民度の物差しですしね。 王朝が、変わるたびにその王朝に都合よく歴史を塗り替えでいますから。 そして、都合の悪い歴史は消し去ったり、全部捏造したりしてますよね。 つまり、歴史がいらない国なんです。自分から分からなくしましたから。 ところが、日本はどうでしょう。何故歴史や記録が大事なんでしょうか。 領土も同じです。先人が残した交渉の歴史や記録を無視すれば、無意味。 残された証拠も捏造、実効支配できる。ロシア国境も参考になりますね。 非道徳的で非人間的だが、あとは要領とずる賢さと力関係で決まります。
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- jkpawapuro
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領土に関しては○○郡といった行政単位は古代からほとんど変わっていないのでね。 あとは所領安堵状、あるいは宛行状といった時の権力者がその土地の支配者に支配権を約束した資料を調べていきます。 知行宛行状で画像検索してください、たくさん出てきますよ。 https://www.google.co.jp/search?q=%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%AE%9B%E8%A1%8C%E7%8A%B6&rlz=1C1GTJE_jaJP724JP738&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjBi_v-45fWAhUCx7wKHYfiA4sQ_AUICygC&biw=693&bih=613#imgrc=EueaRja7aQXWHM:
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- あずき なな(@azuki-7)
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分かりません 特にメソポタミア文明の象形文字なんて現代人には読めないし だからある程度歴史には推測の部分もあります 辻褄を合わせて正当化したり それが歴史なんです
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- 92128bwsd
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いちいち測量もできないしすべての境界線を記録に残すのが大変なので山とか川とか地形の変わり目を境界にしていることが多いと思います。それと、辺境に集落があればその集落がどちらの領土に属するかは決められるので所属の別れる集落の中間地点を領界にするとかでしょう。そのくらいの大雑把なレベルで史書や文書に残っている事が多いと思います。 でも、古代中国は西域は砂漠で北は草原。領界は王朝によって変わるもののその領界外は異民族の騎馬民族や遊牧民が勢力を強めたり弱めたりしていて安定していないので中国の領界外が明確にどこの国と決めていないです。 https://matome.naver.jp/odai/2133394048336289001 当時は人の住めない砂漠や山岳地などを領地に含めても意味がなかったのでしょう。
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- wam_f756
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実際は、分かりませんよ。 昔の資料が,残ってたと、しますよね。 誰かが、勝手に書き直したって、保証は、どこにもありませんもの。
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