• ベストアンサー

現代の自由な社会にある欠点は何ですか?

現代は身分の縛りも無く、 宗教や思想の自由もあり、(国によってはありますが・・・) 言論の自由もあり、移動の自由もあり、、 科学技術も発達し、日常の雑務も時短可して、 昔よりも自由になりましたが、 まだ自由になれていない人間や社会の部分は何かあるのでしょうか? 例えば、精神とかはいかがでしょうか? 嫉妬心や所有欲などの醜い心は無くなっていない気もして質問しました。 無くなるものでは無いかも知れませんが、 精神が発達すれば、より自由になれるような気がして質問しました。。 よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.9

>まだ自由になれていない人間や社会の部分は何かあるのでしょうか? 恐怖からの自由でしょうか。 恐怖は無知から来るものですから、昔から恐怖を払拭した賢者はいたのですが、この賢者の比率が増えない。 つまり、現代社会は選択の自由を増大してくれたけれども、居教徒への恐怖や、死への恐怖や、疎外への恐怖や、貧困への恐怖、疾病や老化への恐怖など、要らぬ恐怖から自由になる人は少ない。 そして、この恐怖に商売人が目を付けるんですな。

go_in_me
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

go_in_me
質問者

補足

2件もご回答頂きありがとうございます。 努力出来る事は、やっぱり、本を読むなり、知識を増やす、くらいしか無いのでしょうか?

その他の回答 (8)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

go_in_me様、こんばんは。 >「まだ自由になれていない人間や社会の部分は何かあるのでしょうか?」 例えば「「アメリカにおける自由」は「金持ちの自由」だ」とかは、どうでしょう。 >「精神が発達すれば、より自由になれるような気がして質問しました。。」 ・・・で、「go_in_me」様としては、何を目指されているのですか?

go_in_me
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

現代の自由な社会にある欠点は何ですか?    ↑ 自由に振り回されているように感じます。 身分制時代なら、自分の職業は産まれながら定め られていましたから、迷いなどありません。 死ぬまでその仕事をやれば良いだけです。 その仕事で頑張り、極めればそれが天職となります。 ところが、現代のように自由が溢れ、選択肢が 広がると、何をやってよいかわからない、 それを探すだけで一生を終わるような人が 出て来ます。 これなどは自由の弊害だと思います。 まだ自由になれていない人間や社会の部分は何かあるのでしょうか?    ↑ 金持ちになれない、北朝鮮の人民になれない、 黒人になれない、不老不死になれない。 例えば、精神とかはいかがでしょうか? 嫉妬心や所有欲などの醜い心は無くなっていない気もして質問しました。   ↑ なくなっていないのではなく、昔と同じだと 思います。 何も変わっていません。 精神が発達すれば、より自由になれるような気がして質問しました。。    ↑ 精神よりも、お金が合った方が自由になれます。 嫌な仕事などしなくても済みます。

go_in_me
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.6

ご質問は社会的、法的、国家行政的に近代人権の制度ができ、問題は個人や人間一般の精神的発達の不十分さにあるのではないか、というご趣旨ですか。 私もそのように考えております。

go_in_me
質問者

お礼

ありがとうございます

noname#228945
noname#228945
回答No.5

自由だから逆に何の為に生きてるかわからないなんて人が増えてるのでは? 自由とは選択肢が多い状態ですから、何をしていいか、何を選べばいいかわからないなんて人もいるようです。 自分で選ばねばならんですから、また自由には責任が伴います。 これが取れない人も多いようです。 自由の履き違えですね。 皮肉な話ではありますがねぇ。

go_in_me
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.4

社会性(分業化・組織化)が未発達で、人類の生存単位が、 個人ないし血族(本能・感情的)であった場合、感覚的に 自由であれば、互いの淘汰圧(生存競争)により進化する。 しかし分業化・組織化し、自己の生が環境に依存して、 社会生命性を帯びるにつれ、自分の生きるための社会的 ニーズと、肉体に付属した感覚器官に由来する自己中心的 ニーズの間に乖離が生じる。 そこで、個々人の自己チューな判断を抑制し、他律的に 社会行動をとらせるための、法規や宗教といったムチ、 お金や出世といったアメを発達させたのだ。 つまり、本来、生命として生きる事が目的であり、社会 生命として自律的に働く(助け合う)事が根源的喜びで あるはずなのに、お金をもらうためにイヤイヤ働かされ るようになってしまったのだ。 自己の生の環境への拡張を自覚化し得るだけの認識の 深まりを可能にし、その社会生命的自覚によって自律的 に生きる=愛によって助け合うことで; 1.奪い合う社会のロスはなくなる 2.愛=互いの喜びを自らの喜びとする相乗効果 3.認識の深まりによる意識=幸福感の増進 によって、最大充足は可能になる。

go_in_me
質問者

お礼

ありがとうございます

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (448/2823)
回答No.3

嫉妬心や所有欲を持つことは醜いとは思いません。自身や社会を向上させる原動力になるからです。こういう心があるから、現代の自由な社会が出来上がったのだと思います。 醜い心は、他者との競争で絶対的な優位ではなく相対的な優位に立とうとしてしまうことだと思います。つまり、自身を向上させ、ライバルの上を目指す人と、自分はそのままでライバルを引きずり落とす人の違いです。 こういう話をすると競争そのものを否定する人が居ます。それは社会の進化を妨げる考えだと思います。如何にして、絶対的な価値観を持って思考できるようになれるかが大切だと思います。 抽象的な回答で申し訳ないですが、ニュアンスを掴んでいただけると助かります。

go_in_me
質問者

お礼

ありがとうございます

  • copemaru
  • ベストアンサー率29% (895/2998)
回答No.2

どんなに自由になっても、心が欲望に支配されていては本当の自由は得られません。 情報過多の現代は、あらゆる手段で欲望を増幅させようとします。 自らの欲望の奴隷になっては自由とは言えないでしょう。

go_in_me
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。 カントの定言命法を思い出しました。

  • ichizato
  • ベストアンサー率17% (28/158)
回答No.1

税金を払うために働き続けないと いけない事 立ち止まる事は、いずれ死に繋がる。 子供の頃を除けば まとまった自由な時間って無いまま 死んでいきそうなんですけど 私だけでしょうか

go_in_me
質問者

お礼

ありがとうございます

関連するQ&A

  • 航空幕僚長が更迭されましたが、言論に自由ってないの

    航空幕僚長が更迭されました。私個人としては彼の論文を指示しています。日本には言論の自由、思想の自由が宗教の自由が保障されていると思うのですが、なぜ自分の思想を論文にして公表しただけでそこまで叩かれないといけないんでしょうか?いくら政府のトップクラスの人間でも各マスコミに叩かれるというのはおかしいです。また政府も更迭なんてするべきじゃないんじゃないでしょうか?

  • 言論の自由、と云う思想?はいつ頃からですか。

     最近の“言論の自由”に関する質問を見て、いろいろと考える事になりました。  私が初めてこの言葉を聞いたのは随分と前の若いころの事で、漫画の社会に与える害悪を取り締まるべきだとの意見に言論界の人たちが“言論の自由”を阻害するものだと、反発した時のことです。  その時は社会に害悪を与えるんなら取り締まってもいいんじゃないの?と思いながらその線引きをどこにするかが難しい、とも思いました。  もちろん表現者たちは、線引きなんてとんでもない、線引きこそが“言論の自由・表現の自由”を侵すものだとの意見でしょうけど。  今日のニュースではフランスのパリで起きた事件について、ローマ法王がフィリピンへ向かう途中の機内でのコメントを取り上げていました。  それによると法王は「神の名においていかなる殺人もばかげている・他人の信仰を侮辱したり笑うべきでない・信仰の自由も表現の自由もいずれも基本的人権である・これらの権利は他人を傷つけることなく行使されるべきだ」と云っています。  私なんぞは全くその通りと浅い受け止め方しかできませんが、それでも武力と言力?の両者を批判し、自制を求めたのだと思います。  “言論の自由”と云う言葉には、私はいつも“言論の自粛”と云う言葉が浮かんできます。  「ペンは剣よりも強し」と云う言葉は言論界の人たちが云った言葉だと思いますが、それはペンの怖さを知っていると云うことですよね。  たぶん、フランスの風刺漫画家はその事を軽く受け止め、だから“自粛”ができなかったのかもしれません。  言論の自由、また表現の自由という思想?はいつ頃からですか。  マスコミが発達してからでしょうか。昔の西洋の哲学者たちの時代からのことでしょうか。    教えてください。  

  • 自由な精神障害者で本当に良かったです

    固定観念にがっちがちに縛られた健常者より、自由な思想を持つ精神障害者のほうが幸せそうだと思いませんか? 私には絶対的マイワールドがあり、誰にも脅かされることがありません。 すごく自由です。 現実を見ろとよく言いますが、現実など見る価値はないので安心してもらいたいです。誰も現実は見えてません。見えたら気が狂うんじゃないでしょうか。 実際どちらが幸せかは比べようがありませんが、 自由な精神障害者と奴隷のような健常者、どっちが幸せそうに見えますか? 自由な健常者ってどんな感じの人ですか?

  • イスラム教徒の信仰心が強い理由は?

    アフガンで、コーランを燃やされた報復に殺害するなどの事件が起きています。 イスラム教徒は現代においてどうしてこんなにも信心深いのでしょうか。 他の宗教であれば、科学の発展とともに信仰心は薄らいでいく傾向があるように思えます。 科学や文明が発達した社会に対する宗教的嫌悪感というものがあるのでしょうか? それは西洋文明に対する反発心でしょうか、それともキリスト教に対する反発心でしょうか。 よろしくお願いします。

  • 中国の思想、宗教について

    現代の中国で、思想、信教の自由はどの程度認められているのでしょうか。 仏教はOKで、新興宗教はだめ、なんてことはあるんでしょうか。 共産党以外の政党を作ると非合法になってしまうのでしょうか。

  • (西欧の教会と国家)権力の分散と自由の発達との関係は?

    サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳「文明の衝突」 神と皇帝、教会と国、宗教の権威と世俗の権威という二重性が、西欧文化に広く行きわたっていた。このように宗教と政治が分離していたのは、ほかにはヒンドゥー文明だけだった。イスラムでは神すなわち皇帝であり、中国や日本では皇帝すなわち神である。正教会では、神は皇帝に従属するパートナーである。教会と国の分離と両者のたび重なる衝突は西欧文明に特徴的で、他の文明にはまったく見られない現象だった。このように権力が分散していたことが西欧における自由の発達にどれほど寄与したかは計り知れないものがある。 さて、お願いです。 著者は、権力が教会と国家とに分散していたことが西欧における自由の発達に寄与したと、あっさり言っています。「権力の分散」と「自由の発達」との因果関係を知りたいです。 教会と国家の力が拮抗していて主導権を争うとすれば、両者が民衆を味方につける必要性から市民の力が大きくなり自由や平等の主張が声高になる、こういう仮説は思いつきます。一方でまた、教会と国家の力が拮抗していて強力であれば民衆は二者の圧迫を受けて忍耐の限界に早く到達するから自由や平等の主張も早い時期に声高になるだろう、こういう正反対の仮説も思い浮かびます。いずれにしても当てずっぽうの思いつきで、休むに似たりです。 人権思想の歴史や宗教改革の経緯に明るい方に著者の論理を代弁して欲しいです。もちろん、民主主義思想が西欧で進化した理由について著者とは見解を異にする説も拒否はしません。 よろしくお願いします。

  • 信教の自由

    小泉総理の靖国参拝が物議をかもしていますが。 信教の自由を標榜して反対する進歩的(?)な人々もいるそうですね。 アメリカではブッシュ大統領が大統領就任式(?)で聖書に手をついて、宣誓をしたと聞きました(間違っていたら訂正をお願いいたします)。 日本でもし総理大臣の就任式が有ったとして小泉総理が神道の形式で(又は特定の宗教の形式で)宣誓したら、それが公人として又は私人として行われたか、 又その行為が特定の宗教を宣伝していることにならないか等の議論が沸騰するだろうと思われます。 アメリカでそのような議論があるとは聞いていません。 ただ大統領の宣誓では当人の信じる(宗教の)形式で行う自由があり、キリスト教の形式で行われなくても良いそうです。 思うにアメリカでは個人個人の信教の自由が尊重され(公の場の大統領にも信教の自由があり)、日本では信教の自由といえども、公の場では(全体のために)制限されると言う風潮があるような気がします。 それに似ているのは多くの日本の田舎ではコミュニティー(隣組)で、神社の寄付などが個人の信教とは関係なく半ば強制されることがある、と聞いていますが。 この村落共同体的(大げさに言えば全体主義的)雰囲気がいまだに日本に根付いており、いわばそういう考え方とは反対だと(本人たちが)自負している進歩的な思想の人たちが、全体主義的な思想に侵されているように見えてなりません。 そこで質問ですが、日米の憲法における信教の自由は全く違う内容ですか?それともほぼ同じであるのに、日米の文化の違い、民主主義の成熟度の違いによって、全く別の政治的、社会的現象が起こっているのでしょうか?

  • 安保法案国会通過良かったです、左翼は言論の自由を忘

    なぜ左翼は大人が言わせているに違いないと決めつけているのですか? 1尖閣列島、竹島、北方領土を守れ 2中国韓国は教科書でウソをつくな 3安倍総理ガンバレ 4安保法案国会通過良かったです 日本全国の小学校で全部一律これだったら何か圧力がある、ですけど珍しいから動画があるわけで、これは個性というか言論の自由ではないですか? 政治活動がどうとかいうけど法律や化学の枠外のことを政治や宗教と決めて教育から排除すると、年上を敬えは儒教だし黙祷だって科学じゃない何らかの儀式で強制です 教育に政治や宗教を持ち込まないというそもそもの法律が無理があるし祖先から引き継いだ伝統の破壊で不遜ではないでしょうか?

  • 今、哲学は何をなすべきか?

    この現代のこの今 哲学に出来る事はないでしょうか? 道徳・モラル提示?思想・宗教提示?科学検証? 今価値観がバラバラで多様化だから良いと言う面と バラバラで分かり合えない面と在る様に思います。 いま哲学に何ができるか 再度質問したいと思います。 長文御免 哲学する人の責任でお願いします。

  • 信教の禁止

    世界中で宗教が原因で内乱、戦争、テロが起こっています。科学文明が発達している現代でも非科学的な宗教は必要でしょうか?処女懐胎、復活などあり得ない間違いです。進化論は正しいでしょう。神の姿に似せて人を作ったなど大間違いです。祈って物事がうまくなら、戦争など起こりませんし、祈りは他力本願で怠惰の証拠です。迷信であり人々を惑わす誤りである宗教を廃棄し、一切の信教を禁止した方が平和な世界になると考えますが、皆さんのご意見をお聞かせください。