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米メキシコ間の緊張を高めた電報
- 1917年2月28日、アメリカ大統領ウィルソンは、英外務大臣バルフォアから受け取った電報をメディアに公開しました。
- 当時のアメリカでは、反メキシコ感情と反ドイツ感情が強く、電報は緊張を高めました。
- また、アメリカでは、ドイツ系やアイルランド系の移民を中心にイギリスへの反感も存在しました。
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>On 23 February, Page met with British Foreign Minister Arthur Balfour and was given the ciphertext, the message in German, and the English translation. Then Page reported the story to President Wilson, including details to be verified from telegraph company files in the United States. Wilson released the text to the media on 28 February 1917. ⇒2月23日、ペイジは英国のアーサー・バルフォア外務大臣と会って、暗号文とドイツ語のメッセージおよびその英訳を与えられた。それからペイジは、アメリカ合衆国の電報会社ファイルから確かめうる詳細を含めて、筋書きをウィルソン大統領に報告した。1917年2月28日、ウィルソンはテキストをメディアに公開した。 >Popular sentiment in the United States at that time was anti-Mexican as well as anti-German, while in Mexico there was considerable anti-American sentiment. General John J. Pershing had long been chasing the revolutionary Pancho Villa and carried out several cross-border raids. News of the telegram further inflamed tensions between the United States and Mexico. ⇒その時のアメリカ合衆国の民衆感情は、反ドイツと同様反メキシコ的であったが、一方メキシコでもかなりの反米感情があった。ジョン・J.パーシング将軍は、長年革命家パンチョ・ビージャを追っていて、いくつかの国境を越える急襲をかけていた。電報のニュースが、アメリカ合衆国とメキシコの間でさらに緊張をあおった。 >On the other hand, there was also a notable anti-British sentiment in the United States, particularly among German- and Irish-Americans. Many Americans wished to avoid the conflict in Europe. ⇒他方ではまた、顕著な反英感情がアメリカ合衆国にあって、特にドイツ系とアイルランド系アメリカ人の間で強かった。(しかし)多くのアメリカ人は、ヨーロッパでの対立は避けたいと願っていた。
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