• 締切済み

教師にウンザリ。みなさんが思う教育とは?

Dr_Hyperの回答

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.9

どこの教員か分かりませんでしたのあなたが中学生以降の教員だとして, 同じ教師を志し,それでもバックグラウンドが異なる中で,あなたが憤りを覚えるほどの理想の違いはどこからきているのでしょうか? あなたに必要なのは「教育」ってこうですよね?という同意を求めることではなく,どうして教師である彼は,彼女は,あなたの理解できない信念で仕事を続けているのだろうか?という事だと思います。 そこにあなたの弱点があり,それを分析しきれなければ盲目的に自分は正しいですよね?と言うしかなくなっているように見受けられました。ここに寄せられた「理念・理想」をああ,そうですか。と読むだけではなく,なぜそうゆう結論に至ったのかを想像したり分析したりする事こそが大事ではないかと思うわけです。 例えば, 明らかに進学率だけ気にして授業をしている先生は,どうしてそこに行き着いたのでしょうか? 産まれながらに,それが正しいと思っていたのでしょうか?これまでどんな学生に巡り会い,その結果導かれたのか? それとも教頭先生になりたいから?ではなぜ教育者で出世を望んだのか。分析しても自分の知識能力が低ければろくな選択肢はでてきません。それでも性善説が必ずしもいい思考パターンではありませんが,最初は教育者と目指す人達においては一度はこの観点からあなたの疑問点を分析する必要があるのではないかと思います。これはあなたが先生になりたいと思った原点に返ることも同じです。 その上で,あきらかに間違っている。訂正すべきところが見えて初めて,あなたは教育の理想を生徒に向けられるのではないですか? 例外だらけの教育において,先生が受け入れる視野が狭ければ子供は自然と切り捨てられているとの同じです。 例えばあなたの文面からは,事情があれば進学をあきらめないといけない場合もあるということが読み取れます。 一方強権的にみんな進学。難しい人は私のところに来て下さい。学生ローンでもなんでもいいから進学しなさいというひとがいたときに。 私はどちらが最終的に素晴らしい教育なのか分からないと思いますよ。 親と先生のあいだに挟まれてかわいそうと思う人もいれば,むちゃだと思っていたけどあきらめなかったら博士を取ることができた。 ってこともあります。進学率だけを気にするひとのなかにそのような例外をあなたはどれだけ認識しているのでしょうか? 同僚の考えを深く考え分析できないのに未熟なとてつもない発想力のある生徒達をあなたは理想に導けるのでしょうか? どんなに生徒は思考が未熟でも,尊敬する先生を選ぶ権利はやはり生徒にあります。 担任は選べなくても,中学であれば十数名の先生とは授業等でふれあうわけですし,あなた自身も記憶にあるとおもいますが,良い先生。嫌いな先生いるとおもいます。そんななかで,この先生は変なところもあるけれど自分の本当の気持ちを分かってくれる。 そんな先生に生徒は卒業しても何十年も年賀状を送り続けるものだと思いますよ。 あなたが人間として広く人の思いや理想や感情を理解する姿勢を示すことこそ,あなたの理想に近づく一歩だと感じました。 的外れ名回答ではありますが,ご参考になれば幸いです。

cheese16
質問者

お礼

ありがとうございます。 仰ることは全てわかりますし、お答えしようと思えば全て答える自信もあります。 ただ、個々の例は細かすぎます。 一つだけ明確であるのは、数多ある選択肢の中から、生徒は選択する権利があり、いかに生徒自身が自分自身の「今」と「未来」について考える材料を教師が与えられるかは決め手になるということです。 私が定期的に、一定のタイプの生徒たちから嘆かれるのは、「他の先生に質問してもまともに答えてもらえない」「自分ではわからないから質問してるのに、質問してもいい答えがもらえなくて、結局自分(学校外)で探すしかない」「自分一人で至った結論だと『こういう見方もあったのか』っていう盲点があった時にすごく落ち込みそう。誰かが相談に乗ってくれれば、ある程度これで良かったって納得して進めそうだから先生方に相談したいのに、でも先生に相談してもろくな回答を得られないからガッカリしてる」という内容です。 私は、信念や理想の所在の話をしているのではなく、信念や理想の欠落を是として、深い考えもなくバカの一つ覚えで教育に従事している教員の批判をしているのです。そういう教員こそ「板挟み」を起こします。 正しい生徒理解のためには、思考や認知についての緻密な分析と正確な知識も必要です。例えば、フロイトが述べた防衛規制が、どのような心理状態の時にどのように人の心理に作用するか、などの心理学的な知識を含めてです。 私から見ると、私が批判している教員多くには、カウンセリングマインドの欠落と、認知行動学に対する知識の欠落が如実です。 しかし、大学で教員免許を取得する際に、必ず授業で子どもの発達段階と教育心理学は勉強するはずです。 つまり、教員になって以降の実務経験の中から、本来必要であるはずの知識が抜け落ちている状況です。それは一言で言えば、「その教員個人の勉強不足」に他なりません。 実務も忙しく、研修などで学校を空けることが難しい教員という職種において、教員全員に有効な研修を行うことも難しい現状があります。 それでも研究と修養を積むのが教員だろう、と単純に私が思うだけです。 個々の生徒の好き嫌いはともかくとして、多くの生徒が「この学校の先生はさ~」と口にするような学校の教員全体をどのように思いますか? 今の私にはそのように返させていただくしかありません。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 高校教師に求められるもの

    こんにちは。 公立高校の英語教員志望です。 高校教師に一番必要なものについてはいろんな意見が ありますが、僕は英語をわかりやすく教えたい という気持ちが強いです。 しかし、周りの教員志望者はどっちかというと 「俺は勉強なんかより生徒の気持ちがわかるとか、 人間的な部分を大事にする先生になりたい」 と言う人が多いです。 確かにそうですが、どっちも大事だと思います 「勉強なんかより…」 という言葉にひっかかります。 教師である以上、教科を指導する能力はかなり重要だと 思うんです。 しかし、実際に教師になればやはり生徒指導が中心で 教科指導なんて適当って感じになってしまうんですか? 高校によると思いますが、生徒指導が大変でも教科指導 への熱意も忘れてはならないと僕は思ってます。 この考えは甘いですか?実際はそんな理想論言ってられない って感じでしょうか?

  • 教育のことについて

    教育のことについて様々な問題が立ちはだかっている一方で先生などの教職員側の疲弊は見ていてすごいものがあります。 ほんとうに先生の生徒や児童に対する情熱で成り立っているのではないかというくらい。 最近でも西日本の某お偉いさんが教育のことについて自分の思い通りにならない教職員はクビといったことをいってましたが、そもそも教職員にも勉強を教えるのがうまい人、人間性を育てるのがうまい人それぞれいろんな考えや理念をもって接している人がいてそれぞれが刺激しあってより良い教育をしているとおもうのです。 データや表面上の数字や文章だけでそういうことを決められては教職員の皆様も溜まったものではないとおもいます。 そこで質問なんですが、教員免許も持っていない、もしくは教育実習にさえ行ってない人が内部の実態も理解せず提案するのはどうかとおもうのです。(本人は理解しているとか言っているが) 教職員の皆様の負担が増えると思いますが、そういう提案をするなら少なくとも4週間の教育実習の経験をさせるべきだとおもいますがどう思われますか? 文章がうまくなくてすみません。みなさまの教育に関する政府などの意見をお聞かせください。

  • 日本の教育について

    私は今、中学3年生です。 日本の教育について皆様の考えを聞きたいと思います。 私は日本の教育は本当に最悪なものだと思います。 なぜならば、日本の教育現場は「全体主義」「記憶力を重視しすぎる教育」「教員の生徒への不関心」などを実践してきているからです。 具体的には、私の学校の社会のテストでは「何年に」「誰が」「何という事件・運動・改革」を起こしたかだけを問われます。地理も「どの工業地域で」「何を生産しているのか」だけを問われます。そして私はこれらの回答に適切な語彙だけを覚えます。これは非常に残念なことだと思います。なぜならば大切なのは「知識よりも考える力・自分の考え」のほうが大切だと思うからです。つまり、私が歴史の問題を作るならば、「あなたは2つの大戦を学んで、これから社会はどのように変化すべきだと思いますか」、回答:「いまだに内戦などがおこっているので、その事実をもっと多くの人が知れるような社会にしていくべきだと思いました」、などと自分の意見がはっきり言えているのならばよしとします。 他にも、日本の生徒は積極性に欠けます。なぜなら、日本が前述の「暗記教育」を行っているからです。先生が教卓で話しているだけで、先生が板書をかいたらノートに写すだけ。そのような教育では生徒の主体性は伸びません。いじめが原因で生徒が自殺しても、教員は責任転嫁の連続。 他にも日本の社会、マスコミ、政治など言いたいことはたくさんあります。しかし、長文になると読むのも大変なので内容は以上です。 皆様は日本の教育どう思いますか? 回答をよろしくお願いします。

  • 教師の指導方針がわからない

    中学や高校では各部活に顧問なり監督なりがいることと思います。 私の学校にも色んな先生がいて色んな指導方針があるのですがそれにはすごく考えさせられます。 ある2人の監督と顧問がいてそれぞれ別の部活を指導しています。 ある監督はとても名将と評判で、昔はバスケの実力者でした。部活はまず人間教育から、というのが基本にあります。 厳しく練習をして人間関係や練習のルールマナー厳守が徹底され、かつ人間的愛情を持って部活を教えています。イジメ問題が起きた時には犯人を怒りの鉄拳で制裁し、この先生の元で多くの生徒が更生し晴れ晴れとした部活人生を送ってきたと思います。 輩出した選手や、実績も素晴らしいものを残してます。 一方でとあるテニスの顧問は部活とは人間社会の縮図である、というのがモットーでした。 顧問の元でなら全ては生徒たちのなすがままにしていい暗黙のルールというものを独自に作らせていました。 暗黙のルールとは強いものが弱いものをいじめ、顧問に害が無ければ何でもアリだということです。 もちろんマナーなんてのもほぼ無く、縦関係は崩壊し外でのマナーも最悪でした。 顧問もレギュラーの人間とゴマスリだけ可愛がり、あとはポイでした。 ただその顧問は社会人としては真っ当で、個人的に社会のルールはとても守っていて悪いやつではあるけども仕事が出来るタイプでした。 私はこの顧問の指導方法には未だに納得いきません。 全ては社会の縮図、というモットーのせいで入部した生徒たちは悪さをすることを沢山学びひたむきさを失ったと思います。 弱い奴は淘汰されろ、という考えの人です。 中学や高校のレベルでは、まず人間教育をして愛情を持って育てなければ伸びないのは明白です。 確かに人間社会の悪い部分を沢山感じて勉強になった事はありますが、人間形成の面で非常に悪いと思いました。 実際にその部活のOB達は社会人でも悪さをよく働く人間が多いです。 皆さんはこういった指導の違いをどう思いますか? 私は未だに顧問の意見を受け入れられません。 後者の顧問はそういう悲しい生き方しかして来なかったからそういう指導しか出来ないのでしょうか。 前者の監督は心の種というものを植えたし、愛情持っていたし沢山更生もさせました。 一方で顧問は悪さを助長し、無理に競争させました。心の種というものは植えませんでした。 私はどう考えてもバスケの監督が素晴らしく、テニスの顧問はクソ人間に見えます。 皆さんはどうですか?

  • 高校教育の意義とは。アドバイスをください。

    高校の教員です。大学院まで出て、小・中学校の免許も持っています。 高校現場で働いてもう何年にもなりますが、ずっと抱いている不満があります。 私は、教育とは ・社会で自分を生かせる個性の伸長 ・持続可能な社会の実現 のためにあると思い、教育に当たっています。(実際には教育基本法に書かれていることが理想理念ですが、長くなるので割愛します。) よって、勉強ができたり、得意なことがある子には活躍の機会を与え、才能を伸ばします。 また、不登校などの問題を抱えている子どもには、自分のマイナス思考に捕らわれないようにアドバイスし、先を想定して具体的に行動することを示唆し、他の人との関わりによって視野を広げるように、根気強く向き合います。 教育活動とは、地味なものだと思っています。引きこもりをできるだけ減らし、納税者を増やし、ゆとりある前向きで明るい社会を目指し、地道に地固めをする仕事だと思っています。それに、「個性を伸長」するわけなので、大勢いる生徒たちのそれぞれの価値観を尊重できるくらい視野は広くなければならないと思います。 なのに、進学実績だけにこだわったり、目新しいことをして新聞に載ったり、そんなことばかりが評価の対象になることが許せません。 真面目にコツコツと働いている人たちがいるから保たれている平和が、 自分の言いたい放題意見するだけの単なる目立ちたがりの我が儘を「個性」と呼んだり、 他人を見下して自分の利益だけを取っていくことを「優秀」と呼んだりする人たちによって搾取されることが許せないんです。 一番許せないことは、教員自体が一番そうだという事実です。 私も、大学院まで出て、きちんと学歴を有していますが、周りの教員たちを見ていると、「これが本当に高等教育まで受けてきた人たちの実態か!?」と思ってしまいます。 公務員は、社会秩序を恒久的に維持するための仕事であり、教員は、社会が維持されうまく回っていくような未来の人材を育む仕事だと思うのですが…。 でも結局、学校の先生になるような人たちは、自分が周りに認められたいだけの優等生の「いい子」ちゃんがそのまま大人になっただけで、自己承認欲求の方が強く、 公務員としての本来の然るべき志なんか持ってないんでしょ?と言いたくなります。 すみません、ただの愚痴なのですが、何かアドバイスをいただけると気持ちも楽になるのではないかと思っています。 よろしくお願いします。

  • 教師を続けるか、辞めるか

    大学卒業後より、私立高校で専任講師をしております。受験指導や海外研修など4月より様々な公務に携わりました。英検やAO入試など昨年度よりもずっと結果を残しました。ゆくゆくはこの学校の中枢になると言われていたので、12時間勤務なんて短いと思い連日頑張ってきました。 しかし先週、校長から来年度の更新はないと伝えられました。理由は生徒との距離が近いことと言われました。 確かに童顔でかつ身長が低いこともあり、生徒にはちゃん付けで呼ばれるしばしばあります。しかし指導をしていくうちに、しっかりと先生と呼ぶようになっていたので気にもしていませんでした。その場でピシャリと注意することだけが教育ではないと考えていますし、必ずしも上下関係をこちらから示す必要はないと考えています。 また教員は常に完璧でいるべきだ、というのにも賛同しかねます。人間らしい部分や欠点を晒すことは教員として間違えていますか? こんなにも4月から働いてきたのに、半年で見切られるような人材だったことにショックを隠せません。来年度以降教員を続けようか、早めに民間に切り替えるか悩んでいます。民間ならなんでもいいのかと感じるかもしれません。実際、その通りです。 私の考え方は教師としてズレているのでしょうか?やはり完璧な人間として生徒の前に構えているべきですか?

  • 教師に関して

    僕は高校生の者です。教師を見てたら授業中一人称「俺」を使う人が多いんですが皆さんどう思いますか??授業のような勉強する厳粛な場では普通一人称は「私」を使えと言われた筈です。生徒に指導して皆の模範となるべき人間として間違ってませんかね??彼は勉強さえできればいいと思っているのでしょうか?

  • 上越教育大学

    私は、高校の音楽の教師を目指している高2です。 教員採用試験に向けての勉強などをたくさんしているということや教員採用合格率が高いことなどを聞き、上越教育大学が良いなと最近思うようになりました。 しかし、上越教育大学は、おもに小学校の教師を目指している人が進学する大学なのですか? それとも、私のように高校の音楽の先生を目指している人でも、教員採用試験などにむけて音楽の勉強をしっかりと勉強できるのですか? それか、上越教育大学ではなく、他の大学の教育学部の「音楽」としっかりあるところに進学したほうが良いのですか? 教えてください。 よろしくお願いします。

  • 教育現場における心理的教育指導

    私は、教員志望です。 いじめ、登校拒否など心的な要因で起こる生徒の問題が多く存在しています。そのような場合に教育指導者として、どのような指導をしたらいいのですか?  教えてください。

  • 義務教育の期間

    正直、義務教育って小学校まででいいと思いませんか? 勉強する気のない生徒が中学に進学したら 他の真面目な生徒の迷惑になりますし、 とりあえず、読み書きと計算ができれば 生きるのには困りませんし。 もし、小卒で社会に出て何か勉強したいことが出来ても、 読み書きと計算が出来れば独学で勉強もできますし。

専門家に質問してみよう