- ベストアンサー
西遊記の妖怪や怪物
唐僧・玄奘三蔵法師が取経のために白馬・玉龍に乗って三神仙、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、幾多の苦難を乗り越え天竺へ旅する物語。西遊記は唐の都からインドへの旅だと存じます。 旅の途中で彼らはいろんな妖怪や怪物に出会います。 彼らの出会った妖怪や怪物は唐の都からインドへの途中のいろんな民族や種族に突合させることができるでしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- お礼率100% (4030/4029)
- 歴史
- 回答数2
- ありがとう数5
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 あなたの説は、ある意味では合っているのではないでしょうか。 砂漠や山岳民族をモチーフにしていると考えられますが、特に限定的な民族名は出てきません。 ただ、一つ下記のURLで「ソグド人」が特定されているようです。 http://ethnos.exblog.jp/760102/ http://kojintekinakansoudes.blog.fc2.com/blog-entry-128.html
その他の回答 (1)
>彼らの出会った妖怪や怪物は唐の都からインドへの途中のいろんな民族や種族に突合させることができるでしょうか? シュリーマンのトロイアの遺跡発見以来、神話や伝説に史実が含まれているという考え方が根強くありますが、無理やり当てはめるとご都合主義の牽強付会になってしまいます。 旧約聖書に書かれていることを証明するといってセッセと発掘をしている人達もいます。 聖書考古学と呼ばれています。 中国には古くから山海経とよばれる、地誌と博物誌を合体させたような書籍があります。 別に実際に見て来て書いたものではありません。 現代の目から見れば妖怪事典のようなものです。 日本の妖怪もこの影響を強く受けています。 ある意味では日本の妖怪のルーツのような書籍です。 中国には中華思想があって周辺民族を北狄・東夷・西戎・南蛮と呼んでいました。 この狄・夷・戎・蛮をイメージとしたものが基本となっています。 お供の孫悟空も沙悟浄も猪八戒もこの山海経の妖怪からの連想の産物です。 道中一行を悩ませる妖怪も同じように山海経から連想されたものでしょう。 参考 山海経動物記 表紙 - 珍獣の館 www.chinjuh.mydns.jp/sengai/p01.htm 沢山妖怪が掲載されています。 蛇足 邪馬台国論争も三国志や後漢書の東夷の条にある倭人に関する記述を基にしてにぎやかにやっていますが、この歴史書に記載されたの他の地域については、その旅程といいますか距離が相当にいい加減であることが知られています。 北九州説にせよ関西説にせよ、遺跡が見つかる度に旅程の方向を都合よく変えています。 牽強付会そのものです。 邪馬台国論争を歴史学者が相手にしないのはこのためです。 シンポジュームなどで前座話として好都合なので取り入れているだけです。 他がいい加減なのに邪馬台国への旅程だけが正確だなどという保証はない、ということです。
お礼
そういう側面も存じております。 アクセスありがとうございました。
関連するQ&A
- 今やっている慎吾くんの西遊記
1/2、1/3とフジテレビでやっている慎吾くんの西遊記(再放送?) ですが、3つほど、教えて頂きたいことが… 1.なんだか放映の順番が違うような…全部 順番通り放映 されているのでしょうか? フジテレビのWEBを見たら >第1日目は今回あらためてより楽しみやすい形にしてお届けします。 >第2日目は天竺を目指すご一行のがんばりを一挙にご覧いただきます。 とあります。エンディングテロップもあるので、一挙放送だと 思っていましたが、2日目はともかく、1日目は時間的に見ても、 (一挙放送ではなく)総集編と思ったほうがよいのでしょうか? もっとも、途中から気づいて見たので、全部見てないから そう思ったのかもしれません。(^^;)ゞ 2.三蔵法師から、孫悟空、沙悟浄、猪八戒が、鈴をもらっている (返してもらっている?)場面がありましたが、これってどんな 意味があるのでしょうか? 3.三蔵法師を助けようと、孫悟空、沙悟浄、猪八戒が相談している 場面に須藤理彩が居たのは何か意味があるのでしょうか? よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- ドラマ
- ウィルコムの西遊記CMの配役、どう思います?
三蔵法師(佐々木希)、孫悟空(高田純次)、沙悟浄(バナナマン設楽)、猪八戒(バナナマン日村)ってどう思います?私は三蔵法師の佐々木希にどうも違和感が。今でも夏目雅子が一番似合うと思っています。
- ベストアンサー
- アンケート
- 法顕 (ほっけん) について
NHKの「シルクロード」でも 玄奘三蔵の次くらいに名前の出てくる 法顕 ですが、なぜ、 玄奘三蔵の唐の時代よりもず~っと 以前に、しかも高齢だったのにもかかわらず、インドに行って、経典(きょうてん)を持って、無事に中国に帰ってくることができたのでしょうか? 想像をはるかに絶する旅だったのは、まちがいないと思います。 玄奘三蔵のように行きだけでも行程は、 1人で旅をしたのではないとは思いますが・・・ 詳しい方いらっしゃいましたら、教えていただけるでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- インドに経典を求めた者
仏教の発祥の地であるインド(天竺)に経典を求めて旅をした人物が2人いるというのですが、 「玄奘三蔵」とあともう一人が判りません。 ご存知の方、ご教授くださいませ。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 大唐西域記・西遊記
大唐西域記。 これは唐の時代の僧、玄奘三蔵法師が求法の為にインドに旅した折のいろんな地域のお話です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%94%90%E8%A5%BF%E5%9F%9F%E8%A8%98 西遊記。 これは時代がずぅっと下って明時代に成立した伝奇小説です。 これらの二つの書物(主として大唐西域記)における、登場する人物や地域、或は事柄について今でいえばこの地域だとか民族だとか、こういう事柄だとか創造でも結構なのでご解説していただけないでしょうか。 西遊記の怪獣や妖怪などについても敷衍したり、解き明かすことがありましたらどうかお願い申し上げます。
- ベストアンサー
- 歴史
- 玄奘三蔵がインドから持ち帰ったオリジナルの経典類
大雁塔は、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔ということですが、漢訳をしてしまったあとの梵語の経典が保存されているということを聞いたことがありません。玄奘三蔵がインドから持ち帰ったオリジナルの経典類はどこにあるのでしょうか。漢訳したものを保管して、原典を廃棄したということも考えられるでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 天竺に行きたい
天竺(てんじく)とはどこにあるのでしょうか? 西遊記で三蔵法師の一行は天竺を目指しました。 Wikipediaによると、「天竺(てんじく)とはインドの旧名。西遊記で知られる玄奘三蔵一行が目指した地がこの天竺とされる。ただし、現在のインドに相当すると言っても昔の呼称なので正確に対応するわけではない。」とのことですが・・・ えっ!?インド??マジで? インドの方には失礼ですが、現在のインドが天竺だとは、わたしには到底思えないのです。 大昔のインドは天竺だったのでしょうか? 天竺という言葉のなかには、単にインドあたりの地方の事を指している以上の意味があると、解釈しています。瑠璃の水が流れる川があり、蓬莱の玉のなる木があるというような、極楽的なニュアンスも含まれていると思うのです。ええもちろん、瑠璃の水も蓬莱の玉も現実にはあるわけもないことは重々承知しています。ほんとうに観念的な意味での喩えです。 三蔵法師の一行が目指したような「天竺」に行ってみたいのです。 天竺はどこにあるのでしょうか? 注:インドについて悪く言っているわけではないのです。わたしは仏教徒ではありますが、ヒンドゥー文化に深く傾倒していますし、健康のために毎日ヨガを欠かしたことはありませんし、カレーも、ボリウッド映画も大好きです。そして、インドの混沌としながらも懐が深く言い知れないパワーに満ち溢れているところには、畏怖の念すら覚えています。
- ベストアンサー
- その他(海外旅行・情報)
- 日本人はいつから西方を知らなくなったのか。
昔の日本人の世界観は、本朝、唐土(中国)、 天竺(インド)の三国しかなかったとよく言われます。 しかし正倉院の所蔵物にはペルシャ渡りの水瓶があったりします。 また遣唐使は唐の都でいろんな国の人間を見てるはずです。 ならば上流階級、知識階級に限定されるとはいえ、奈良時代頃にはインドより 向こうにも国々がある事は知られてたと思います。 いつの時代からそれが忘れられて、三国的世界観になったのでしょうか?
- 締切済み
- 歴史
お礼
ありがとうございます。 さすが文月先生、こんなページがあったのですね。 30の頃建てた家が50年近くなるので業者と打ち合わせで明日、読みますありがとうございました。
補足
お供の三神仙のことはよく出ていますね。 途中の妖怪、怪物の解説が少し欲しいなと思いました。