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自分のために死んでほしいという人の心理
- 自分のために人に死んでほしいと願う人間の心理とは何なのか?依存心や甘えなのか、ゆがんだ愛や憎しみなのかについて考えてみましょう。
- 人は誰かに自分のために死んでほしいと思うことがありますが、それは根本的な願いなのでしょうか?自分を愛してくれる人への依存や信頼によるものなのか、それとも何か他の感情が絡んでいるのでしょうか?
- 映画「教祖誕生」の中で描かれているように、誰かに自分のために死んでほしいという思いは人間の願望なのかもしれません。それは愛なのか、それとも残酷な法悦なのか。
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難しく考えることはない。あなたのお父さんはおかしい。以上です。 子どもであるあなたは認めたくないかもしれません。だから、あれこれ理由を探るのでしょう。でもね、なぜかなんて誰にもわからない。理由がわかったとして、お父さんのその価値観を覆すこと、できますか? それは、火事場でいましも爆発しそうなのに、「火事の原因はなんだろう?」と考えていることと同じです。そんな場面に出くわしたら、原因なんてとにかく後回し。まずは火事場から逃げますね。あるいは火を止めようと消火活動をしますね。 原因、理由をさぐるのは、それからでしょう? なぜお父さまがそのような考え方になってしまうのか。いろいろ考えられる原因はあると思いますが、感覚がずれている人というのは存在するものです。 発達に問題を抱えているのかもしれないし、知的レベルに問題があるのかもしれません。 なんらかの事件を起こして捕まった人たちが後に知能指数を調べてみたところ、実は、見た目で判断できないだけで平均以下であったという話もよく聞きます。 >>父は外面は至って良く、友達には優しい人と評判で無理しておごったり人付き合いのよすぎる人です。 つまり、物事を深く考えられないということです。 今ここで動くと結果どうなるか。そういった未来予測が出来ない。 ≫誰かに自分のために死んでほしいという思いは人間の根本にある願いなのでしょうか?確かに自分のために命を懸けてくれる人の愛は疑いようがありません。信じられるものです。 違います。心から愛する人のためには、なんとしてでもその人のために命をかけて「生きよう」とするものです。もちろん、交通事故にあいそうになった子どもを助け、自らが犠牲になる、といった話には、私もかけねなしの愛を感じます。でもそれは、結果として生まれた愛の証です。 自分を愛しているなら死んでみせろというのは、愛情ではありません。 単なる自己満足であり、愛されてるんだー、この人支配してるんだ自分ー。そんな自分すげー万能ー!という、優越感を得る行動でしかないと思います。 愛情ではなく支配欲。自分のために死んでくれる人がいるという全能感。 歪んだ愛ではありません。自己顕示欲であり自己愛が肥大化しただけのアホタレです。 お父様の過去はたしかに、同情すべき点はあると思いますが、そこに多くの理由を求めたり、問題の原因解明をしたとしても意味はありません。 それにしてもお母様、そんなことを言われてよく離婚もせずに添い遂げていらっしゃいますね^^; 私なら、子どものために逃げますよ。愛する子どもを守るために、しっかりと話し合いますし、戦います。本来、あなたの問や不安は、お母様が抱えるべきものだと思います。 また、お母様が、そんなショックな事を、子どもであるアナタに教えた理由もわかりません。 だから用心してね、なのか。なんなんだろう。私としてはお父様よりお母様の心理のほうが気になりますね。実はお父様よりもお母様のほうが闇が深い気がしてなりません。 とにもかくにも、自衛して下さいね。単にお父様がお母様になにか反応してほしかったり、構って欲しくてそんなこと言っただけかもしれませんし。あれこれ悩むより、自分自身が毒に侵されないように、たくさんの人とふれあい、あたたかな人生を歩まれて下さい。
お礼
鋭い観察眼敬服いたします。お察しの通り、母もずれた人で娘に言うべきでない虐待のことを平気で話したり、父からいつまでも逃げずに子供をいじめさせ、父を憎ませるようにいつも愚痴をこぼしておりました。私は特別悪い両親に生まれたのでしょうか?毒に侵されたようで、重度の精神病に苦しむ日々です。孤独に同じ毒に侵された兄だけ友に生きております。私もゆがんでいて、好きな人に殺されたいとか詩で書く馬鹿だったので、まともな方の適切な意見をありがとうございます。私もそう思います。できればそういうずれた人間にはもう関わりたくないです。もう十分苦しんだので、あたたかな人たちとふれあいたい。