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キリストの復活について。
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ルカによる福音書第24章36節~43節にはこうあります。 >こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。そして「安かれ」と言われた。 >彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。 >そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。 >私の手や足を見なさい。まさしく私なのだ。触って見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見る通り、私にはあるのだ」 >こう言って、手と足とをお見せになった。 >彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが 「ここに何か食物があるか」 と言われた。 >彼らが焼いた魚の一切れをさしあげると、 >イエスはそれを取って、皆の前で食べられた。 この様に、復活されたイエスは御自身が霊体などではなく、肉体が備わっている存在である事を自ら証明しておられます。 【参考URL】 ルカによる福音書(口語訳) - Wikisource > 24.36 24:36 https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#24:36
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.2ですが 意外とみなさんが関心を寄せていると思われ再投稿します。 かつて 【Q:復活とは? 不死の境地とは?】(noname#80116 はわたしです)。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4367998.html を問うています。2008年ですね。71件の回答が寄せられました。最近は流行らないと思っていました。 さて《復活》について 福音書を離れますが パウロの預言(=解釈)を見てみます。 ▼ (コリント前書 15:51-55) ~~~~~~~~ 51: わたしはあなたがたに神秘を告げます。 わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。 わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 52: 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。 ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。 53: この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。 54: この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。 「死は勝利にのみ込まれた。 (イザヤ書25:8の意訳) 55: 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。 死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(ホセア書13:14) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ コリント前書の15章が全体で復活を説明しています。 いわゆる終末論は わたしは やはり物語として捉えますから 経験思考にとっては――預言のごとき確信があって言うわけではありませんが――けっきょく《最後のラッパが鳴るその一瞬》というのは 考え得るところとしては 突然変異のようなことが想い起こされます。 人間(現実)が変わる。 ヒトが 種として変わる。 イエスとて 旧約からの伝統に立っている見なければならないでしょうから イザヤ書をもここに掲げます。 ▲ (イザヤ書65:17~25)~~~~~~~~~ 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。 初めからのことを思い起こす者はない。 それはだれの心にも上ることはない。 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。 わたしは創造する。 見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして その民を喜び楽しむものとして、創造する。 わたしはエルサレムを喜びとし わたしの民を楽しみとする。 泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。 そこには、もはや若死にする者も 年老いて長寿を満たさない者もなくなる。 百歳で死ぬ者は若者とされ 百歳に達しない者は呪われた者とされる。 彼らは家を建てて住み ぶどうを植えてその実を食べる。 彼らが建てたものに他国人が住むことはなく 彼らが植えたものを 他国人が食べることもない。 わたしの民の一生は木の一生のようになり わたしに選ばれた者らは 彼らの手の業にまさって長らえる。 彼らは無駄に労することなく 生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。 彼らは、その子孫も共に 主に祝福された者の一族となる。 彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え まだ語りかけている間に、聞き届ける。 狼と小羊は共に草をはみ 獅子は牛のようにわらを食べ、 蛇は塵を食べ物とし わたしの聖なる山のどこにおいても 害することも滅ぼすこともない、 と主は言われる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 牧歌的な感じのところもありますが 《霊のからだ》にしても ちょうどいまヒトがその自然本性として持つ《身と心》と同じようにそれとしての肉体をもそなえていると考えられます。(そういう意味においてでなければ 復活を言っても結局はおとぎ話になります)。 牧歌的なくだりが出たところでさらにわざと次を掲げます。: ▼ (イザヤ書 11:6-7) ~~~~~~~~ 狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。 子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。 牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を食らう。 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまり何が言いたいかと言うと 復活したあとどのような世界と社会なのかがむしろ重要なのではないか。 人びとは子どもも動物と《仲良く》暮らす風景が描かれていますが 要はそのときにも《狼も豹も熊も獅子も》なおいるということです。生き続けています。 ひとつに 危険な危害を加え得るものも なおいるということ。 そうして そのような存在が居続けるということは 復活したわれわれ人間も 肉体をもって生きているのでしょう。 ですから イエスのキリストとしての復活は これらかつての契約のもとでの人びとの生活とそこでの預言内容をふまえて捉えることが 筋ではないかと考えますし その方向で展望するのがよいと思われます。 なお 《あたらしい契約》としては むろんエレミヤ書31:31以降に述べられた内容であり これは 新約でへブル書8章に引用して確認されています。 イエスのキリストとしての登場(十字架上に去って行ったという歴史)によってそのあたらしい契約が成就したと見るのですが その内容とは 次の二点だと思います。: ( a ) 神は人びとの罪をもう覚えない。忘れる。(ひとはゆるされる) ( b ) 神を知れと言って人びとが互いにおしえることは要らなくなる。 (オシへがあたかもそれを信じよと言うまでに人びとを拘束することがなくなる)。 《復活》は こういった土壌のうえにナゾのごとく示されたものと思われ イエスのあとでは そのことが 将来起こり来るものとしてわれわれが臨むことがただしいと考えます(――アウグスティヌスをそう解釈したものです)。
お礼
回答ありがとうございます。 ただ・・・内容がむずかしすぎて理解できません。 調べてみますw
- eld3399
- ベストアンサー率4% (16/345)
彼は、「あまりの痛さに気を失っていた」と聞いています。 それを「復活」と言葉を変えたのだといわれています。
- kia1and2
- ベストアンサー率20% (482/2321)
疑問など無視して、信じなさいが教義です。三位一体説も同じです。DOCTORINA(日本語では知らん)の世界です。 南無阿弥陀仏 - 阿弥陀様を疑わずに信じましょう、それと同じです。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
キリスト教にとってはその問題は大変重要なのです。 歴史的に大論争された問題だと思います。 その結論がどうだったか記憶がないのですが・・・どちらの派が勝ったのだったか・・・ ただ、キリストは復活した時に、自分の脇腹の傷を弟子に見せています。 もし、霊として復活したのだったとしたら、そのようなことをする意味はないと思います。 ですから、肉体を伴う復活だったのだと思います。 もう一度死ぬ必然性については、もう神なのですから肉体のまま昇天することも可能だと思うのですがいかがでしょうか?
お礼
>歴史的に大論争された問題だと思います。 知りませんでした。 >肉体のまま昇天することも可能だと思うのですが~ 昇天とは高次元(神の国)へ移行することだと思うので、肉体を持って行くことは不可能ですし、肉体を持って行く必要性がないと思われます。(単なる自論ですw) いずれにしても、「人はどのように救われ永遠の命に預るのことができるのか・・・」 これは、キリスト教の中で最も重要な部分だと思うのです。 それがこんないい加減で良いものかという思いから質問させて頂きました。 (stmimさん、回答ありがとうございました。)
- hikaricom
- ベストアンサー率25% (195/772)
例えば、磔刑によって見せしめが終わった後に、十字架から降ろされたキリストが、3日後に意識を取り戻し、40日後に亡くなったと考えれば良いのではないでしょうか? 神話とは事実である必要は必ずしもある必要はありません。そのことによってキリストの教えが薄まることもありません。 キリストの教えから汲み取られる真実に応じてあなたに信仰者にとって真実になるのですから。 どうでしょう。
お礼
>神話とは事実である必要は必ずしもある必要はありません。そのことによってキリストの教えが薄まることもありません。 その通りです。 しかし・・・ 「キリストの復活」はキリスト教の根本を支える教えなのです。 「永遠の命を得る。」ための重要な箇所です。 それがこんないい加減なことでいいのだろうか・・・そう思うのです。
- tonmatang
- ベストアンサー率18% (40/213)
イエス・キリストは十字架で死んでは居ない。 十字架で死んだのはイエス・キリストの弟のイスズ・キリストだ。 イエス・キリストは弟のイスズ・キリストが十字架で死ぬのを知ってゼッセネマで慟哭を上げて泣いた。 それでイエス・キリストはどおしたかと言うとイエス・キリストは日本に来て天空坊と名のり修行したとな。
お礼
勘弁してください・・・((+_+))
- urigadai2013
- ベストアンサー率37% (92/244)
キリスト教徒ではないので、あくまで想像ですが、キリスト教では最後の審判で、誰が天国に、誰が地獄に落ちるか、これまですべての死者が復活して、審判を受けると言われています。 そのために、死体を焼却せず、そのまま葬ります。 死体を焼却してしまうと、魂が戻れない、と考えられているから。 そうしたことから推論すると、イエスが復活した時も、肉体と共に復活したのではないでしょうか? 聖書にはイエスの妻のマグダラのマリアが墓に行ったら、死体が消えていて、復活したイエスを見たと言っています。 ただし、復活したイエスを見たのは、マグダラのマリアただ一人でした。 そしてイエスが復活したと叫んで、地下墓地から飛び出して、みんなに触れ回ったということです。 まあ、イエスの死体がなくなっていたのは事実でしょうが、復活したというのは幻想か、妄想ではないでしょうか? しかも、妻のマリアの前に現われた、というのも、もっともだという気がします。 でも、イエスの死体はどこへ行っちゃったんでしょうネ? 誰かに盗まれたんでしょうか? まあ、こんなことを言うと、キリスト教を信じている人たちから怒られるかもしれないけど。
お礼
回答ありがとうございます。 イエスの死体が無いという事は、肉体を伴う復活を遂げた・・・ということを示唆しています。 それなのに「二度目の死」の記述はまったくありません。 「昇天した・・・」の記述のみです。 変ですよねw
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
物語です。 ただし イザヤ書に あたらしい天とあたらしい地の物語もあります。 あるいは あなたの指摘されているように パウロは 自然のからだと霊のからだということを言っています。 物語以上の話だとすれば 将来して来ることとしていま臨めばよいと考えます。
お礼
回答ありがとうございます。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、イエスは「肉体を伴う復活」をしたのでしょうか?それとも、「霊として」? A、どちらでもありません。 死んだ人間が生き返るなんてことはありえませんよ。
お礼
>死んだ人間が生き返るなんてことはありえませんよ。 私は、実話か神話かを知りたいわけではないのです・・・w
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