伊勢物語「小野の雪」の読み手の行動の理由とは?

このQ&Aのポイント
  • 伊勢物語の「小野の雪」の読み手が「泣く泣く来にける」という行動を取った理由について説明します。
  • 解答に書かれている「雪をふみわけて君にお目にかかろうとは思わなかったから」という表現は、感情を伴った意味を持ちます。
  • 現代語訳では、「雪をふみわけて君にお目にかかれたのに帰らなくてはいけないから」という解釈がされることが多いです。しかし、なぜそうなるのか疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
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伊勢物語の「小野の雪」の質問

伊勢物語の「小野の雪」の質問 (前文略) 「忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪ふみわけて 君を見むとは とてなむ泣く泣く来にける。」 この時、この歌の読み手がなぜ「泣く泣く来にける」という行動をとったのか説明しなさい。 という問題があったのですが、解答に 「雪をふみわけて君にお目にかかろうとは思わなかったから」とあるのですが、納得がいきません。 これはつまり、「雪をふみわけて、君にお目にかかろうとは思わなかった(のに、お目にかかったからうれしい)」という感情だってことですよね? でも現代語訳を読んでいっても、私には、「雪をふみわけて君にお目にかかれたのに帰らなくてはいけないから」という回答しか思いつかないのです。 なぜこの答えになるのか教えてください お願いします。

noname#211174
noname#211174

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  • fujic-1990
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回答No.1

> 「雪をふみわけて、君にお目にかかろうとは思わなかった > (のに、お目にかかったからうれしい)」という感情  ではない、と思います。  「雪をふみわけて、君にお目にかかろうとは思わなかった(のに、こんなところでお会いしなければならなかったのは、残念だ。ツライ)  という気持ちだと思います。  私も現代語訳をちょっと見てきたのですが、詠み手が使えてきた「君」は雪をふみわけて訪ねなければならない地で出家したようです(斜め読みしてきたので、内容はご自分で確認してください)。  出家するというのは、家の犠牲となる(家族の誰かが出家して家の罪を償う:贖罪)となるか、そうでなければ、なにかやらかして責任を問われたか、えん罪か、とにかくめでたい状態ではない場合が多いのです。  武士だと、高野山へ追放され、出家して人生終わりです。拒否すれば死刑です。つまり場合によっては出家は死刑にと同格でした。  詠み手は、仕えてきた「君」が、本来は大出世して我が世の春を謳歌するはずだったのに、そうはなれず、出家して、雪深い、誰も訪ねてこないようなところで、寂しく坊さん暮らしをしているのを見た・・・ 見てしまったわけです。  「君」が女性なら、中宮になるかと思って仕えてきた・・・ のに出家させられて・・・ 。  極端に意訳するとですよ、  「『総理大臣になるかノーベル賞を取るかと思って尊敬してきた貴方の姿を、雪深い網走番外地の刑務所の中に、見ることになるとは』と詠い、泣き泣き帰ってきたのだった」 という話です。  「お目にかかれてうれしかったぁ、長く居たかったぁ~。別れが辛かったぁ~」という心境になるでしょうか?  なりませんねぇ。  やはり、現代文で言うと、(権力の中枢である京都のど真ん中ではなく)「雪ふみわけてこなければならない場所で、 君の姿を見ることになってしまったから」というのが正解でしょう。

noname#211174
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  • kifimi
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回答No.2

解答の「雪をふみわけて君にお目にかかろうとは思わなかったから」というのは、 (「君」の住まいとしては想像も出来ない、こんな雪深い場所で)雪をふみわけて君にお目にかかろうとは思わなかったから(悲しくて泣いた) という意味です。 挙げていらっしゃる解答は、補う内容がどちらにも取れそうな曖昧な表現ですが、ここは「雪をふみわけてお目にかかる」という状況そのものが親王の不遇を意味していますので、会えて嬉しい、という解釈にはなりません。 このお話の前半部に、「馬の頭なる翁」(歌の詠み手)が、主君であった惟喬親王(出家前)に、引き留められてなかなか帰してくれなくて、早く帰りたいなあという気持ちを歌に詠んでいますよね。これが三月末のことでした。 それが、その後、惟喬親王は思いがけず出家してしまった。出家するということは、俗世とのつながりを絶つことで、有望なはずの若い人が出家するのは、政争に負けたとか皇位継承権争いに負けた、あるいは自ら出世争いから離脱する、ということを意味します。(第一皇子の惟喬親王がなぜ皇位継承権争いに負けたかは、ここでは省きますが、興味があったら調べてみてください) 出家後の惟喬親王が住んだ「小野」(このお話の舞台)は近江国にあり、都から離れた場所です。雪を踏み分けていく、というのは、ただ単に雪深い山里だというだけでなく、それだけ親王を尋ねる人がいない(人がよく来るならば、雪が降っても通り道ができているはずだから)ということも意味しているでしょう。 「翁」は、正月に親王を訪ねるわけですが、前半のエピソードが三月ですから、ほんの9ヶ月の間に、親王をとりまく状況は一変してしまったわけです。まさか親王が政争に敗れて出家してこんな場所で生活することになるなんて、翁は思ってもいなかったのです。 昔は、親王はいろいろと振る舞ってくれて引き留められて、むしろ早く帰してほしいなあと思える状況であった。でも今は、親王も手持ちぶさたで悲しそうで、翁も、親王のお側にいたいのに帰らなければならない。 昔は想像もできなかった「正反対の状況」のギャップの大きさもあるでしょう。 「思ひきや雪ふみわけて君を見むとは」には、そういった「以前の親王の状況と、いまの親王の状況がいかにかけ離れているか」ということへの思いが込められているわけです。 「忘れては夢かとぞ思ふ」という表現からは、いまの親王の状況を夢かと思う、つまり、これが現実ではなく夢だったら良いのに、という気持ちも見えますよね。 ですから、帰らないといけないから悲しい、のではなく、いまの不遇な親王の様子を見るのがつらい・悲しい、と解釈した方が良いでしょう。

noname#211174
質問者

お礼

ありがとうございました!!

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