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分かったつもりの比喩表現?

日本人なら日常的にある比喩表現ですが 哲学で比喩表現だけで済ますというのは如何なものか? いや哲学でなくても比喩表現だけでは本当に妥当かどうか分からないのでは? 比喩表現の水掛け論になることもあります イエスも今は言っても分からないから比喩で話すのだと言っています 分かったつもりになるこの比喩表現 みなさんはどうも思いますか?

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回答No.3

「日本人なら日常的にある比喩表現ですが・・・・・」という場合の「ある」という言葉は通常は物体について言われるものですが、比喩とか比喩表現は物体的なものではなく、物体に「なぞらえたモノ」。 したがって、それも比喩表現です。 また「哲学で比喩表現で済ます・・・・」という場合の「済ます」という言葉は行為の完了を意味しますが、比喩表現は抽象的な概念なので、行為ではないし、行為に「なぞらえた」比喩表現です。 また「比喩表現の水掛け論・・・・・」と言っていますが、「水掛け」とは文字通りに解釈すれば、「水を掛けること」ですね? 比喩表現に「水を掛ける」ことはできない、なぜって比喩表現は物体じゃないし、物体に「なぞらえる」比喩表現だからです。 ジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンの共著「レトリックと人生」という本で、かつては比喩表現でありながら、現在ではそれを比喩表現では思われていない比喩表現がいっぱいある、と言って、それを死んだ比喩表現と言っています。 「時間を浪費している」「時間を節約する」「修理するのに時間がかかった」「君の考えは分かった」「気分は上々だ」「胸が高まる」「気分が沈んだ」「眠りに落ちた」「朝早く起きた」「バッタリ倒れて死んだ」「彼は私の支配下にある」「彼は高い地位にある」「気分の絶頂」「景気は上向きつつある」「彼女は真っ直ぐな性格だ」「そんなことをするのは下劣だ」・・・・・・・etc 私たちの身の回りには、それが比喩表現なのに、比喩表現とは思っていない、比喩表現があふれています。 あなたは「哲学で比喩表現で済ますというのは如何なものか?」と問いながら、比喩表現を至る所で使っています。 「分かったつもりになるこの比喩表現、みなさんはどう思いますか?」と質問しながら、あなた自身が至る所で、比喩表現を使っているとしたら、ぜんぜん、「分かったつもり」ではないのではないですか? つまり、右手で知っていることを、左手が知らないと言っているようなものなんではないですか? 私たちは、それを比喩表現と意識しないで、比喩表現を日常的に使っているので、むしろそれを使わないで済ませられないのです。 哲学だって、それは同じです。 比喩表現なしで済ませられない。 だからあなたの質問は逆。 「どうして比喩表現で済ませられないのか?」と問うべきです。 そしてその答えは、言語表現には比喩が避けられない、ということです。 もし、それを避けようとしたら、数学しかありません。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 ほんとにそうですねえ 無意識に近い形で使ってますねえ 比喩表現を。 言葉に比喩はつきものですねえ。 僕が言いたかったのは特に女性が操る比喩による干渉の事だったのですが しかしごく自然にそうなったのかもしれませんね どうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1119/8885)
回答No.2

ずれるかもしれませんが私も似たようなことを感じることが多いです。た追えばオオカミの生態など何も知れない人が○○は狼のように残忍だというようなことをいう場合です。あるいはマラソンなど全く体験していない人がマラソンのように辛い仕事であるというような言い方をすることです。つまり比喩を行う人が、比喩の原材料のことを熟知していない場合、その比喩は全く意味がないということではないかと思います。

yuniko99
質問者

お礼

「言葉では何とでも言える」みたいな所もありますねえ 猫を良く言ったり悪く言ったりして比喩に使う人など 言葉の使い方で何とでも言える と言う感じです でもその事によって事実は曲げられていると思います。 言葉が軽んじられている気がします 私が幼稚なのでしょうか?? どうも大変ありがとうございます

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

 〇〇「人なら日常的にある」比喩表現でも、安心出来ないと思います。 1。例えば、日本語の「敷居が高い」ですが、足を踏み入れにくい、という意味だと誤解されがちですが「自分に落ち度があるので、顔を合わせるのが気づまりだ」という意味のようです。 2。外国語でも「転石苔を生ぜず」のもと、A rolling stone gathers no moss.は、「いつも仕事や住まいを変えている人は、偉くなれない」と言う意味から「いつも動いている人は時代に取り残されることがない」と言う意味にかわってきています。  ですから〇〇人なら、日常的に決まっているとは限らないわけで、おっしゃる通り比喩表現だけでは、非比喩表現同様、分からないと思います。

yuniko99
質問者

お礼

何か同じ事柄でも反対の意味の諺があると言ってた人もいます 三度目の正直 とも言えば 二度ある事は三度あるとも言います。 どっちでも都合のいいほうを言えるわけです 思い立ったが吉日 急いては事を仕損じるも 状況は違うのでしょうけど どちらとも言えます。 それを揶揄に使う人が居るのです。 どうもありがとうございます。

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