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親の老後の面倒を見る事は当然、大学は、どう教える?
子が、親の、老後の面倒を、見ることは、当然で、 妻は、夫の、親の、老後の面倒を、見ることは、当然だと、 私は、伯母から、教えられて、育ってきました。 身近に、大学を卒業した人が、居るんですけど、 彼は、大学では、違う考えも、教わるんよと、言っていました。 大学では、親の、老後の面倒を、見る事は、当然だと、教えないのでしょうか。 大学では、違う考えも、教わるんよと、いうのは、どういうこと、なんでしょうか。 どういう、学問・授業が、それに当たるのでしょうか。 それとも、大学教授さんの、個人の、お考え、なのでしょうか。
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私見です。子供は親の面倒をみなくていけないということはそうあるべきという一種の教えです。育ててもらった感謝は当然というのも同じような考えです。これは確かに理想でもありますが実際どうでしょうか?面倒みれるのはあくまで経済的、身体的に自立している間だけです。それが出来なくなった時どうなるでしょうか?日本人は将来の不確定なことへの対処が苦手です。親は子供に迷惑をかけないとは考えている人は多いが、まあいけるところまで行こうその時に考えればいいという行き当たりばったり。子供も不安を感じているのに親がいつまでも達者で自活できているという都合の良い願望に頼っている。 どちらが良いと言うわけではありませんが欧米と比較してみることも面白いです。 欧米では家より家族という概念が強く、妻は家族の一員。また子離れ、親離れが相当早い。従って老後の面倒は子供が見るという概念はない。むしろ親は子に面倒みてもらうのを嫌う様です。親たちは子供に面倒を見てもらうよう必要性がでる前にすでに手をうっています。当然老後の費用はあくまで親たちの財産で行う。子供も親の財産は親のものという考えが強い。(もちろん例外もある) 日本では家族より家を守るという概念があり(今でもほとんどの結婚式が○○家△△家と書かれている)、妻はよそからきた他人、財産は子供に残すためであり、従って老後は色々な意味で子供に依存しなければならなくなる。 双方(親も子も)ただ面倒見て欲しい、面倒みなきゃという気持ちだけでは限界がある。 おそらく文化人類学や社会文化学がこういった事を学べるのでは?
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- fujic-1990
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教えません。大学はもちろん、高校、中学、小学校、どこでもそのようなことは教えません。 むしろ、大学で日本の法律や税制を一生懸命に学ぶと、日本では「親の面倒は、みたい人、みるだけの余裕がある人が見れば良い。みられる人がいないならみなければいい」「親の面倒をみると、損をする」「泣きながら親の面倒をみた子供も賞賛されないし、親を殴って金を盗んで家出した子供も非難されない。みな法の下に平等だ」というシステムになっていることが分かってしまいます。 親の老後の面倒をみたいと思う人は減るように、仕組まれているようにさえ見える、ようになります。 例えば、親に1億円くらいの土地があったとしましょうか。それを売って充実介護付き豪華老人ホームへ放り込んでしまえば、誰も面倒をみる必要が無いのです。もう忘れてしまっていい。 他方「花子さん、私の財布盗んだでしょ」とか言われて泣きながら、自分の稼ぎで親を介護して親名義の1億円の土地を残すと、相続税がかかるのです。自力で面倒をみたことに対して、国から罰金を課されるようなものです。江戸時代、孝行息子は幕府から金一封渡されて賞賛されたものですが、いまはゼニを盗られるのです。 罰金はいやだが、税金ならいい、という話にはならんでしょ? さらに、相続税を払った後に、なんの面倒もみなかった連中がやってきて「平等に相続」を主張してぶんどっていきます。それを「良し」とした、そういう制度なんです現代日本では。 「子が、親の、老後の面倒を、見ることは、当然」なら、その当然のことをやらなかった人間にはそれそうおうの非難・不利益が課されて当然です。それがないどころか、逆に、当然のことをやると罰金みたいなのが課される。 まるで、親の面倒なんてみるな、と言っているかのような制度に感じます。大学ではそういう日本の現実を教えます。 みるな、というのは言い過ぎでしょうが、現代日本では老いた親の面倒をみるのは子として当然なことではなく、「親の面倒は、みたい人、みるだけの余裕がある人が見れば良い。みられる人がいないならみなければいい」という仕組みです。 大学の法律学部ではそういう「現実」を教えます。たぶん、会計学でもそうでしょう。
お礼
ありがとうございます。 大学の法律学などを学ぶと、そういう現実が、見えてくるんですね。 見る人のほうが、不利で、見ない人のほうが、有利とは・・・。
- kifimi
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No. 2です。お礼と補足を拝見しました。 >生活保護についても、削減の方向で、 >親族が扶養すべきという、考えが、強く、 No.2にも書きましたが、民法にもあるように、子が親を扶養するのは「直系親族」、つまり血の繋がった子の義務として法律に規定されています。そういう意味では「当然」かもしれません。 生活保護云々については、不正受給や、子に余裕があるのに扶養の義務を拒絶するような例を念頭に置いてのことでしょう。 それでも、質問者さん自身が「考えが、強く」と書いているように、多数派ではあって100%ではありません。少数派の「その他の考え方」も存在するのです。ケースバイケースで、子に親を扶養するだけの余裕がないことだってあります。 また、100%の回答であっても、それが普遍的に正しい考えかどうかはわかりません。 何が正しいと考えるかは、時代や、個人の価値観にも左右されます。 また、子に親の扶養義務があるとしても、あなたの質問文にある >妻は、夫の、親の、老後の面倒を、見ることは、当然だ というのは、女性蔑視の封建的な考え方に基づくものです。民法に従えば、夫の親の面倒を見るのは、妻ではなく、直系血族である夫です。 確かに、夫が一家の大黒柱として働いて家族を養い、妻は専業主婦で家庭内の全てを取り仕切る、という家庭内の役割分担が明確な場合は、夫の親の介護=家庭内の仕事=妻の役目、という考え方もあるでしょう。質問者さんより一世代上である伯母様にとっては、特に珍しくない価値観だったかもしれません。 ですが、それもまた「たくさんある考え方の一つ」に過ぎず、すべての人にとって当たり前のことではありません。 >私の高校時代は、91年度~93年度、だったのですが 高校時代が平成3~5年度ですか。ならば、当時の学習指導要領は昭和53年に改訂されたものですね(平成元年改訂の指導要領が高校で実施されたのは平成6年度からなので)。 その時代ならば、家庭科が男女とも必修だったのは小学校だけですね。 小学校の家庭科でも「住居と家族」の単元はありますが、被服や食物に比べると扱いが小さくて記憶に残らなかったのかもしれません。また、その当時の家庭像や夫婦の役割分担は、現代から見ればやや保守的なものであったかと思います。それでも、妻が夫の親の扶養をするのが当然とは習わないはずですけどね。 平成元年に改訂された学習指導要領では、家庭科は中学(平成5年度実施)・高校(平成6年度実施)でも男女必修になっています。質問者さんの学年は、前の学習指導要領で学んだ末期のほうの学年ということになります。 学習指導要領の改訂から実施までは数年のブランクがあります。 平成元年の改訂で中高の家庭科の男女共修が決められたと言うことは、平成元年よりも前に、既に世の中が「男女ともに、中学校でも高校でも、家庭科を学ぶべきだ」という考え方が定着してきたという証拠でしょう。 もし質問者さんがあと3年遅く生まれていたら、中学校でも高校でも、家族関係について家庭科で学ぶ機会があったでしょうね。 なお、義務教育や高校の学習指導要領は、慎重に協議を重ねますから、あまりに時代を先取りするような先進的な内容は採用しません。 ですが、大学は学習指導要領は無関係で、学問(思想)の自由が守られている場所です。時代を先取りするような、あるいは時代に反するような、様々な思想が展開されているのが当たり前の場です。 昭和53年改訂の学習指導要領で学んできた世代の学生は、大学に入ってから、高校までとは違う価値観(家庭像、男女の役割)があることにショックを受けたかもしれませんね。ジェンダー論の授業が大学で重視されるようになったのも、質問者さんの世代が大学に進学するくらいからだったように記憶しています。
お礼
ありがとうございます。 学習指導要領の変遷について、勉強になります。 私の友人は、大学に行き、女性学という学問を、学んだそうですが、 田嶋陽子さんのような、女性の教授で、授業の内容に、びっくりしたそうです。 なぜなら、私も彼も、小中高で、複数の先生から、 男は男らしく、女は女らしく、と、 複数の先生から、教わっていたからです。
- kifimi
- ベストアンサー率72% (425/586)
>子が、親の、老後の面倒を、見ることは、当然で、 >妻は、夫の、親の、老後の面倒を、見ることは、当然だと、 これは東アジア圏では儒教的な思想から来ていますね。 封建的時代では「当たり前」だったかもしれませんが、いまはもっと多様な考え方があります。 特に「妻は」に関しては、女性解放や男女平等の観点から語られるでしょう。 家族関係については、大学に入る前、つまり義務教育や高校の家庭科で、封建時代よりも多様な家族関係があることや、男女平等という観点から夫婦関係について学びます。最近は夫婦別姓についても学びますよ。 法律での規定ということならば、社会科で学びます。 民法では「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。」とありますから、直系血族ではない妻は、夫の親を扶養する義務はないのです。直系血族や兄弟姉妹でも、自分の生活や人生を犠牲にしてまで負担を義務づけているものでもありません。 したがって、あなたの伯母様の教えは、個人的な価値観とも言えるでしょう。 まあ、封建的な考え方が主流であった時代や地域ではいまも残っている考え方ですから、そういう時代や地域ではある程度「当然」かもしれませんが。 そういった価値観は古い時代のものであるということは、現代では、高校までに習うことです。ですから、あらためて大学で「科目として」習うことはないでしょう。 もし習うとしたら、ジェンダー論とかそういう授業で、歴史的な経緯を踏まえて「習う」ことはあるでしょう。この場合、担当教員の個人的な見解や持論であることもありますが、客観的な事実の観察として語られることもあります。 ただ、「大学では、違う考えも、教わるんよ」と言った彼の発言は、そういう具体的な授業があるという意味ではないと思います。 彼が言いたかったのは、大学では、「世の中には多様な考え方があり、どれか一つの思想が絶対に正しいということはない」「物事は常に多角的に見るべきであり、常識とされることでも常に疑ってみる必要がある」ということを学ぶのだ、ということだと思いますよ。
お礼
長文の、ご回答を、ありがとうございます。 とても参考になります。 >>家族関係については、大学に入る前、つまり義務教育や高校で、 >>封建時代よりも多様な家族関係があることや、 >>男女平等という観点から、夫婦関係について学びます。 >>最近は夫婦別姓についても学びますよ。 >>法律での規定ということならば、社会科で学びます。 私の高校時代は、91年度~93年度、だったのですが、 そういうこと、習った記憶なんて、ないです。 今では、高校までに、そんなん、習うんなら、凄いなあ。
補足
今でも、ニュースなど、見ていて、 アンケートを取ったら、 親の老後の面倒は、子供が見て当然という、回答が、 若い世代で、多いそうで、 生活保護についても、削減の方向で、 親族が扶養すべきという、考えが、強く、 自民党は、老後、生活保護、どちらも、その方針でしょう。 なんだか、価値観が、多様化しているようには、見えないんだよなあ・・・。
- f272
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大学では、統一的な価値観は教えません。教えるとしたら講義を担当している人の個人的な考えです。 それも学問の自由のひとつの側面でしょう。
補足
まず、 子が、親の、老後の面倒を、見ることは、当然、 妻は、夫の、親の、老後の面倒を、見ることは、当然、 は、 どの国家も、どの時代も、共通の考え、なんでしょうか。 他の考えは、存在するのでしょうか。 日本や世界に、他の考えが存在するとして、 他の考えが、あることを、授業で教わるのでしょうか。 また、どういう、学問の分野が、それに、ふれるのでしょうか。
お礼
欧米は、家族を大事に、日本は、お家を大事に、なんですね。 欧米では、親の老後の面倒は、子供が見る、という、考えは、マイナー、なんですね。