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こどもが、死の恐怖に気づき、どうしたら良いでしょう

こどもが、死の恐怖に気づき、どうしたら良いでしょうという質問をよく見かけます。 どうしても違和感がぬぐえせん。 自分で産むことで、 しかも、大人ですから、そのこどもがいずれ死ぬことがわかりながら、 生と、残酷にも死を与えたておきながら、 的確な質問がくると動揺する。回答に困る。 あげくには、嘘でごまかして、その場だけをとりつくろう。 なぜ、このような無責任なことができるのか? かきぶりが、キツイかもしれませんが、こづくりを悩んでいます。 自分が、しょうじき、死の恐怖を克服できていない。 自分にやられていやなことは、他人にしてはならんと教えられました。

みんなの回答

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2209)
回答No.6

我々の祖先は子孫を残すと言う事で、種の保存を図る事を選択した。 一般的に、死とは個の生命活動の終わりを示すが、その生死を繰り返す事で種は生きている。 その脈々とした流れのなかに参加出来る喜びを感じられたなら、その死への恐怖はなくなるだろう。 母は強し。それは、命のバトンを受け渡す役目が有るから。 ただ、そんな不安があるのなら、無理に子作りされなくとも良いと思う。 また、幼い子が成長する上で、己の死に恐怖するのは、通る道。動物の意識とは違う、未来と言う時間を把握した証拠。 たまたま、あなたの周りの大人の対応がまずかったのかもしれないけれど、普通は、「限り有る時間のなかで自分の生を楽しみなさい」と、その子の旅立ちを見守るだけで、子どもは安心するもの。 先ずは、あなたの生を楽しまれたら如何でしょうか?

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回答No.5

私も、小さな頃、漠然と死んだらどうなるのかなと怖くなったりしました。死んだら美味しいものも食べれないし、それを考えるとドキドキしました。親にどうなるのと聞いた事もあります。怖くないの、とも。 親の詳しい言葉は忘れましたが、親はビクともせずお母さんも小さな頃思ったことがあるよ、と言いました。お母さんは死ぬの怖くないのときいたら、もうそれほど怖くないといいました。そのときはよくわかりませんでしたが、今は親の言うようにあまり怖くなくなりました。死というものに耐性ができたのでしょうか? 生がある以上、必ず死があります。あなたはこれまでの人生を一生懸命生きてきましたか?自分のやりたい事をやってきましたか? もし、してないならこれからしてみて下さい。人生は有限です。だからこそ、悔いのないように生きたいものです。いつ死んでも後悔しないようにです。 生は奇跡です。一つの卵子と精子が出会うことによって偶然にも私がこの世にいるのですから。 私は、生を与えてくれた親に感謝します。今年50歳になりますが、途中20代の頃は30歳になるのが怖かったりもしましたが、懐かしいです。決っして人生が計画通りになっていませんが、一生懸命生きてきました。不思議ですね、小さな頃の漠然とした怖さはありません。 なお、私は宗教は勧めません。もしなにか拠り所が欲しいなら、哲学を勧めます。難しいものではありません。高校の時の倫理社会の教科書程度のものです。肌にあいませんか?私は副読本の資料が面白かったので、高校の時はまりました。手記や哲学者の笑えるエピソードがかいてありました。教師が教えないところまで読みました。そのなかには宗教もありますが、一つの考え方として吸収しています。 今、公共放送でも語学や楽しい教育番組がありますよ。そういう所でちょっと自分の拠り所をさがしてみるのもいいかもしれません。 最後に、子づくりに悩んだまま子どもを産んだら、子どもを育てていけますか。子どもを不幸にしないようにあなた自身が学んで下さい。この世には親から虐待を受けるこどももいます。そういう親にならないようにしてください。でも、過剰反応しないで下さいね完璧な人間などいません。

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noname#207011
noname#207011
回答No.4

大人だから 自身の愛を授ける事が出来るのです・・・ 子供を産むと言うのは 簡単な様で難しいのですよ・・・ その子供に 付きっきりで世話をしないといけないのだから・・・ 死があるから産まないなんて・・誰が言ってるのか知らないが 産まれてくる赤ちゃんには まだまだ関係無い事だけです・・ そして 産まれなければ 死を見ないのか・・・という事では無く 産まれるから喜怒哀楽が解かるのです・・ 産まなければ それで良いと言うのでは無いのが生命な だけ・・・ 頭が こんがらがるが 産む前に生命体がある訳では無いので 産まない間は「無」なだけ・・・ 文章にすると難しいな(笑) 要は 精子と卵子が結合しなきゃ 単なる細胞・・・結合して初めて生命個体となる・・

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回答No.3

文法がおかしく全ての意味がわかるわけじゃありませんが 死ぬ恐怖は死んでないからわからないし 死んだ後どうなるかも死んでないからわからないですよね わからないことより 生きる楽しさと素晴らしさを説いたらいいんじゃないですか? エゴでも子供が欲しいと思うのは人の性なので

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  • pigunosuke
  • ベストアンサー率19% (1063/5528)
回答No.2

あなたの質問の意味がイマイチよくわかりません >こどもが、死の恐怖に気づき と書かれていますが 経験値の浅い子供が、死の恐怖を気付くとしたら 動物の死 又は 祖父母の死 など 身近な人の死に直面した時でしょう それから >そのこどもがいずれ死ぬことがわかりながら と書かれていますが 順当に行けば、子供より先に死ぬのは親です 子供の死を、そんなに簡単に意識出来る親は少ないはずです あなた 文法を間違ってませんか? あなたの書いた文章では、意味が全然分かりません もう少し判り易い文章を希望します

macmac55
質問者

補足

こどもが、死に気づき、ですか。 これは、他の方の質問の要旨の抜粋です。 よく、こどもに、死んだらどうなる、死にたくないなど、いわれて、とよく書いてあります。きっかけはこどもにとってさまざまかと。 こどもを産む時に、数十年、平均では80年ぐらいですか、男女の差はありますが、先には死ぬことは、どんな親であれ理解しているはずと、考えています。 あるときは、計画的に、あるいは、一時の性欲にまけた例もあるかもしれませんが、人生のどこかで、死について悩んだ経験も少なくとも、よい大人ならあるはずです。

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  • Sakura2568
  • ベストアンサー率42% (2042/4853)
回答No.1

だからってどうしようもないじゃありませんか? 死ぬのが怖いから生きない。というわけにもいかないんですから。 生死ってのは自分で何とかするもので誰かに教えてもらったり答えてもらうもんじゃないよね。 でも考えずにはいられないので宗教は生まれたわけで どうしても誰かにこたえてほしいなら宗教は一つの答えはくれるかもしれません。 生と死を与えるのは親じゃないよ。 子供に自分が与えたわけじゃないんだ。 自分も与えられたけどそれは単なる親じゃないって思えばいいんじゃない? それが誰かのかを考えるのもたぶん宗教の担当。 坊さんや神父さんに考えてもらえばいいじゃない。 私も子供を産んだ時は「なんという事をしてしまったのだ」とおののいたけど 子供を寝かしつけた後にはこの子を残しての死など絶対に受け入れられないと 悩む日もあったけど朝になればそんなこと考えている暇など無くなるのです。 自分などはその疑問に答えられるわけがないって悟るんです。 だって死んだことないんだもん。 誰も答えなど出せないんですよ。だって死んだことないもん。 どうしても自分なりに答えが欲しいなら宗教の門を叩いてみるのもいいでしょう。 本やほかの人の意見や、哲学書や、高齢者や、医者に聞くのもありでしょう。 でもどうせ死んだことのある人などいないんだから。 子供の生死感は子供のもの。親と言えどそれを勝手に決めてはいけない、決めたところで植え付けなどもできないと思います。 本当のところ、それが原因ではないのでは? 子供を望む望まないの理由はほかのところにありませんか? 幼少期や家庭環境、パートナーとの関係にあるのでは? もう少し深く自分を探って カウンセラーなどと話すほうがもっと具体的な対処が見つかるかもしれませんね。

macmac55
質問者

補足

ごめんなさい。 よく理解できない部分が多いのですが、 産まれなければ、死の恐怖もあじあわないですみますし、存在しなくて済すめば、しななくても済む。 子どものものだから、という整理は、どうにも変えられない結論を与えておきながら、あまりにもと感じるのは、難しく考えすぎですか? また、それに加えて、それならば、自分は忙しくて忘れられてるかと、子供はそうとは限らない。 その場合は、どう対処すればいいのですか?

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