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辛い事ばかりでもう死にたいと言う人に どう言うか?

最近というかもう随分前から鬱病が増えました。自殺も少しは減りましたが まだまだ多すぎます。 メンタルトピでは「もう死にたいです」という人は多いようです。 そう言う人に、哲学の立場から 生きる事の意味をどう言いますか? なぜ死なない方が良いのか?死んで何故良くないのか? どう説得しますか? 貴方なら?

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  • ベストアンサー
  • inugirai
  • ベストアンサー率40% (132/328)
回答No.5

死にたいのではないのですよ。 おそらくは逃げたいだけです。 逃げたい、逃げたい、逃げたい、今抱えているもの全てを放り出して もう何も考えず、悩まず、ひたすら眠れる場所に行きたい・・ たぶん そうなんだろうと思います。 ここはQ&Aサイトですが、 実際には答えのない問題が世の中には山積みです。 どうしたって人の力の及ばない問題が多くあるんです。 そういうものに出会った時、どうするのか。 例えば(1)という苦しみに襲われるとします。 1から逃げると当然2も3も耐えられない。 1をみつめ、それを自分なりの解決に導くことで 次の1には免疫ができて同程度の1は少なくとも耐えられる。 そして1を超える2の苦しみが襲う。 要するに人生はこれの繰り返しなんです。 行き着く先は想像したくないような苦難が待ち受けているんですが それまでに心をどう鍛えてきたかというプロセスによって 苦しい時間の過ごし方が変わってくる。 だからね、少なくとも逃げるのではなく、耐えること、逸らすこと、 その時間が通り過ぎるまでの過ごし方を 病院の薬や他者(カウンセラー)ではなく自身の中に蓄積させていくんです。 これが『免疫』になり、最大の『妙薬』になる。 短い時間しか生きていない若者には見通せないだろうが 最悪が襲った後は安らぎも訪れる。 不幸は二人三脚でやってくるけど、 去る時は個人行動で、しかも歩きです それでもね、苦しみの去った後には一時の平穏が訪れる。 必ず、必ず、必ず訪れる。 だからこそ人は生きていられるんです。 長く生きている人たちは楽しい人生だから生きてきたわけではなく、 苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、その果てに生きています。 苦しみが残していったものを味わいながら・・ >なぜ死なない方が良いのか?死んで何故良くないのか? >どう説得しますか? ここがそもそも違うんだと思うよ。 説得なんか意味がない。ただ寄り添うだけでいいんです。 泣くなら泣けばいいし、苦しいならとことん苦しめばいい ただ、ひとりじゃなく必ず傍らに居るからと、共に苦しむからと そう伝えて、それだけでいいんだと思うよ。 死ぬのが悪いわけじゃない、生きないことが悪いのです。 苦しみの中から自分なりの「回答」を導き出すこと、 それが『生きる』ってことだと私は思うよ。

yuniko99
質問者

お礼

確かに成る程と思うご意見です。 私は納得します。寄り添うだけでいい。そうですね それが大きいですね。 辛くてうつ的になって死にたいという人は、なかなかその話さえ届かないことがあります しかし寄り添いながら 折に触れて 逃げないように 苦しみながらも答えを探そうと 伝えていければいいですね。 分かりました、どうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (11)

回答No.12

>哲学の立場から 生きる事の意味をどう言いますか? 65歳未満なら働いて納税しなさい。 65歳を過ぎたなら死ぬも生きるも好きにしなさい。 と言います。

yuniko99
質問者

お礼

なかなか厳しいような経験から来るようなお言葉 ありがとうございます。 私もそうしたいものです しかし・・・これでは65歳以下のうつ病や絶望した人は救われないかもしれませんね どうもありがとうございます。

回答No.11

死にたければ、死ぬ前に借金返せ、それから死ぬのならば何も言わない。 君達は今まで生かされているからこそ命をつないできた。 その生かされたことへの感謝が借金返済だ。 俺様は、やみくもに人様を生かしてきた金貸しだとも。 未来が判るんでな。 希望を授ければ生かしてやれる。 その借金取りにとって、死とは究極の夜逃げだ。 金を返したのなら、お前さんが死のうと知ったことじゃない。 今のところ、愛を知る者が、愛を知らぬ者の全てを所有している。 君には無断で死ぬ自由なんてない。

回答No.10

 ★ (No.8お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~  しかし親も亡くなり 兄弟姉妹も居なくなった人はどうすればいいのでしょうか?  ・・・  孤独な人はどうすればいいのでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ひとはみな誰もが 孤独です。それを忘れないように。  そして ほかの人間が助けてやらなければならないという感覚を捨てましょう。  そもそもは 本人が誰の助けよりも大きいチカラを持って自分を助けるものです。それをも忘れないように。  甘っちょろい考えは捨てましょう。

yuniko99
質問者

お礼

とほほ。 どうも でした。

回答No.9

たとえば冬山に単独行で一週間も十日も一人で冬山を 攀じていて、吹雪でテントに閉じ込められると、死に そうな孤独感にさいなまされ、どんなに嫌いな奴でも ここに来てくれれば大歓迎するのに、と思える。 『死にたい』と思う人間は、本当に(生物として) 死にたいのではなく、社会的な二次的な情報=お金や 名誉、恥といったもの騙され、殺されようとしている のだ。 そこには、本質的な自己認識が欠け、社会的な従属に 関わる選択が先入化され、もっと大きな選択が見えな くなっているのだ。 たとえば過疎地にIターンして自給自足をするのもいい、 最悪、犯罪を犯して刑務所で暮すのも死ぬよりマシか も知れない。 人は、生きる=意識において行動する=死による幸・ 不幸0の状態からプラスを目指して生きているはずが、 いつの間にかお金をもらうために怒られながらイヤイ ヤ働かされ、法規や人目により自由を奪われ、他律的 に生かされる=かろうじてマイナス(苦痛)から逃げ るだけの生に堕してしまっている。 とはいえ、認識を深め自律的に生きるのも無理なら、 社会との関係を絶って、サバイバル生活をするのも、 死ぬ(0)よりマシでしょう。

回答No.8

 ★ (No.2お礼欄) どういう事が言われたいのでしょう 絶望の淵にいる人は?  ☆ ということになると 今度は 誰が言うかが問題です。しかも 何を言うかは あまりチカラがないのではないでしょうか。  つまりは つねに寄り添っている人 何か問題が起きたときにはつねに傍にいるかまたは来てくれるという人 でないと まづ言葉だけでは効かないでしょう。  一生ものとしておつき合いすることが 大事になると思います。    質問者さんの望んでおられる方向では おこたえできずの回答になりましたが 締めとしてつづりました。

yuniko99
質問者

お礼

長く寄り添ってくれたる人がいるといいですねえ。 しかし親も亡くなり 兄弟姉妹も居なくなった人はどうすればいいのでしょうか? ベートーベンの第九でも 友無き者は去れ?と言う様な言葉も見えたような 孤独な人はどうすればいいのでしょうか? 大概は孤独な人の悩みですよねえ ある意味。 どうも大変ありがとうございます。

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.7

「生きる」ことに意味や意義がある。病気や障害に負けず、強くやさしく生きることから、自分が自分であるということが見えてくる。つらくても、自分らしく、自分の人生を。 つらい想いをしている人には、ただ寄り添って、話を聞いてあげる。鬱の人は、疲れてると思うので、元気づけようとかするより、ただそばにいてあげることが大事。人のぬくもり、人とのつながりです。 たとえ人生を終わらせて、亡くなってから「また生まれたい」と思って生まれても、何かしらつらさや苦しさはあると思うんです。だから、今、つらさや苦しさに対処しておく、その方法を学んでいく、ということが大事になってきます。

yuniko99
質問者

お礼

なかなか一つの道のようですねえ 苦しい事や辛いことは大概はある、今それを乗り越えることで それに寄り添うことでお互いに自分らしい人生を生きて行ければいいと言う様な事でしょうか 成る程どうも大変ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.6

”そう言う人に、哲学の立場から 生きる事の意味をどう言いますか?”      ↑ 生きる意味などありません。 だから生きる意味が欲しければ、自分で創り出すほか 無いのです。 ”なぜ死なない方が良いのか?死んで何故良くないのか?”     ↑ ・本人という視点で  人間はいずれ死ぬのです。死のうが生きようが同じです。 ・本人から離れて  命は自分だけのモノではありません。  親から授かり、その後社会から色々なモノをもらって  育ってきたのです。  だから、命は自分の判断だけで絶ちきることは出来ない  のです。 ”どう説得しますか? 貴方なら?”     ↑ 理屈ならいくらでも考えつきますが、それがどれほど効果が あるか、疑問です。 死を想っている人には、激励は酷で善意は悲しい。 説法も言葉もいらないのだ。 きれいな青空のような瞳をした 透き通った風のような人が側にいる だけでいい・・・。

yuniko99
質問者

お礼

良い事言いますねえ^^ 理屈よりも人がいるほうがいい それはなるほどです でもどうせ死ぬから、死なない理由はないと言うのは?ですねえ。 どうもありがとうございます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.4

・・・もう、いいでしょう。 (「トラワレ」から、脱出しましょう)

yuniko99
質問者

お礼

トラワレ? 私がですか? それとも死にたい人が? 拘りを捨てるというようなことでしょうか? どうもありがとうございます。

回答No.3

昔、若い時でしたが、死のことばっかり考えていて、死とは何か? 自分が死ぬとはどういう意味なのか? 自分が死んでも世界は存続するのか? 死んだら自分はどうなってしまうのか、そんなことを考えてノイローゼになりました。 仕事が手につかず、夜もよく眠れず、頭の中は死のことばっかり。 何か狭い世界に閉じ込められてしまい、脱出口が見つけられない、ひじょうに息苦しい日々でした。 そんなときに、たまたま仏教系の出版社・春秋社の編集者と知り合い、鎌倉の浄妙寺で、安谷白雲老師が座禅会を主催しているので、参加してみませんか、と言われ、鎌倉に一緒についてゆき、座禅を始めました。 当時は鈴木大拙の英文の禅の本が世界的な「禅ブーム」をひき起こしている時で、鎌倉に外国から禅の修行にたくさん来ていて、私どもの座禅会にも外国人が多数参加していました。 私も、ご多分に漏れず、鈴木大拙の全集を集めて、禅に関心があったので、興味半分、もう半分はもしかしたら私の疑問が解決するかもしれないという期待で、参加しました。 毎週、土日の朝から夕方まで、浄妙寺の方丈で50人位の修行者に混じって、座禅三昧の日々。 外国人が7~8人参加していました。 中には外国人の綺麗な女性も交じっていて、ああ、キレイだなあ、とため息が出ました。 結跏趺坐という足を曲げて膝の上に交差させて座るのですが、20~30分すると足がしびれてきて、気を失いそうになります。 25分すると座禅会の世話役が「チン」と鐘を鳴らし、それを合図に立ち上がって堂内を合掌しながら「経行(きょうきん)」と言って、歩き回ります。 そうやって足のしびれを取るわけです。 禅風は曹洞宗と臨済宗の「よいとこどり」という感じで、座るのは「面壁」、つまり壁に向かって座り、そして「公案」という問題をもらって、それを解こうと集中します。 私の場合、中国の高僧・趙州の「無字の公案」をいただきました。 「無字の公案」と言うのは、姿・形の無い文字を見てきなさいという問題です。 禅の公案というのは、たいてい無理難題です。 合理的に考えたのでは、解決できません。 このほかに白隠禅師の「隻手音声」という公案もあります。 こっちは片手で鳴る音を聞いてきなさいという問題です。 一日中座って、「ムー、ムー」と心の中で呟きながら、何とか解決しようとしますが、なかなか解決しません。 解決すれば「悟り」ですが、少なくとも10年間は禅の修行に専念しないと解決しないと言われました。 昼食をはさんで、老師から「提唱」という禅のテクストを使った講義がありました。 私の時は「臨済録」がテクストでした。 あと、午後3時頃から「参禅」が始まります。 「参禅」とは老師と一対一で禅問答を交わすことです。 別室に控えた老師から鈴の音がして、用意ができたから来なさいという合図があるとすり足で合掌しながら、その部屋の前で膝まづいて三拝、膝で前進して老師の目の前に進み、さらに三拝、そして初めて禅問答が始まります。 私の場合初心者だったので、座禅の仕方について質問しました。 そんな修行を半年間やりました。 「悟り」には到底至りませんでしたが、来ている人と雑談して、中には戦争で仲間を失い自責の念に駆られて座禅をしているとか、私と同じように死が怖くて来たとか、「悟り」とはどんなものか知りたくて来たとか、いろいろでしたが、その半年間で、死の恐怖感から何とか脱出しました。 こんなことを言っては、怒られるかもしれませんが、今になって思うと、たいていの若者は若い時に一度はその門をくぐらなければならない、と思うようになりました。 いわば「ハシカ」のようなものです。 それからも、仕事のことで苦しいことが度々ありましたが、いつも自分に言い聞かせたものです。 「何事も、永遠には続かない、いつか終わりがくる。だから苦しかったら、時間が頭の上を通り過ぎるのをじっと辛抱して待っていれば、いずれ時間が解決する」と。 事実、たいていのことは時間が解決してくれました。

yuniko99
質問者

お礼

う~~む 成る程。 座禅と何時か時間が解決するですか。 死が怖かったのですね? 苦しい事があっても何時か時間が解決すると思って 人生を粘るのがいいのでしょうねえ。 しかし解決せず 死ぬまで苦しむ人も多いですねえ。 ただ待っているとますます悪くなることもあります レット・イット・ビー ケセラセラ とは社会に入るときによく聞かされましたが 明日の事を思い煩うなかれ 明日は明日 自らが思い煩わん 一日の苦労は一日にて足れり という聖書の言葉もありますねえ。 辛くて辛くてもう死んでしまいたいという人 一人っ子を亡くした母親 痛みや苦しみに苛まれる病人 そう言う人にどう言えばいいのかと思ったのです。 禅問答というのもおかしなものですねえ。悟れるのでしょうか?10年座禅すると??? どうもありがとうございます。

yuniko99
質問者

補足

ちょっと体調が悪いので 今度お礼を書きます すみませんm(_ _)m

回答No.2

 ★ (No.1お礼欄) れっきとした病気  ☆ そうとするなら 社会としての国としての治療の問題でしょう。

yuniko99
質問者

お礼

病気といっても精神の病気ですからカウンセリングとかもいいのでしょうけど 哲学の立場から何か言えなかと思ったものですから どういう事が言われたいのでしょう 絶望の淵にいる人は? どうもありがとうございます。

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