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大日本帝国時代、なぜ「空軍」がなかったのですか。

米、英、仏、独などには「空軍」があったようですが、日本では「空軍」として独立していません。 空軍を創設する動きはあったのですか。 よろしくお願いします。

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  • eroero4649
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回答No.6

だれも書かないので私が書きますが、アメリカも第二次世界大戦のときは「空軍」はありませんでした。現在の空軍にあたるのは、陸軍航空隊です。第二次大戦後に陸軍航空隊が独立して空軍になりました。 フランスやイギリスの事情にはちょいと疎いのですが、原則的に空軍はアメリカ軍のように陸軍航空隊が独立するものが多かったと思います。まあ、そりゃそうですね。海軍航空隊は陸軍航空隊より後に作られたものが多いでしょうし、多くの国では小規模なものでした。海軍航空隊がデカかったのはアメリカ軍と日本軍くらいじゃないかしらん。 そうなると、日本軍の場合も陸軍航空隊から独立するということになりますが、まあぶっちゃけ「そこまで組織が大きくない」というのが最大の要因だと思います。組織を独立させると、予算も独立です。独自に予算をぶんどってこられるほど大きくて強い組織を持っていないということでしょうね。それよりも陸軍の予算の中から新鋭機の開発から生産、パイロットや整備士の育成、基地や人材の管理をしたほうが合理的です。 陸軍航空隊にしても、海軍航空隊にしても、組織としては典型的な中小企業だったんですよ。先のことを考えてパイロットや整備士を育成するってこともできなかったんです。だから海軍航空隊では、42年後半以降はパイロットそのものの不足と特に練度の高いパイロットが急速に枯渇してしまいます。神風特別攻撃をしなきゃいけなくなったのは「爆弾を当てられる技量を持ったパイロットがほとんどいなくなったから」です。 一方陸軍も負けじと(?)、整備士の育成でちぐはぐなことをやっています。整備士が足りないということで慌てて本来搭乗員にするはずだった人員を急きょ整備士枠に回しました。するとロクに教育を受けていない急増整備士が大量生産されました。彼らが急に現場に出たもんだから、それでなくても忙しい現場は大量の新人整備士を押し付けられて、結局どうなったかというと「教えてるヒマはないから見て盗め」となり、結局使い物にならない素人整備士だけが数の上では増えたという結果になりました。これ、典型的な「中小企業あるある」です。 ナチスドイツでは、そもそも空軍戦力の保有が禁じられていたので逆にゼロから作りやすかったというのはあります。ナチス党にはゲーリングという第一次大戦の英雄で知名度も高い元パイロットがいたので、独立組織として作るのに適していました。 ただし、ナチスドイツ空軍は「空飛ぶ砲兵」としての役割に徹した戦術空軍でした。組織としては独立していますが、実質的には陸軍の出先機関です。しかし何もしがらみに縛られなかった分自由度は高かったとはいえるでしょうね。 日本は戦後、自衛隊発足に伴って空軍である航空自衛隊が創設されました。このとき、人材は元陸軍航空隊と元海軍航空隊からそれぞれ出すこととなりました。それで隊員を募集したわけですが、元陸軍航空隊側から順調に人材が集まるのに、元海軍航空隊側からはなかなか人が集まらない。志望者が集まらないのです。 なんで海軍からは人が来ないんだろうなーと思っていたら、「空軍に行くやつはいるか?」と聞くとですね、パイロットが「自分は海軍に入隊したのであります!ですから海軍以外に行くのは嫌でありまァすッ!」と言い出したんだそうですよ。んで、パイロットもパイロットなら、その上官も「貴様よくいったッ!」と褒めたというのですよ。 つまり戦後になってもそういう気風が海軍にはありましたので、ましてや戦前に「海軍航空隊からも人を出してくれ」なんていったって人なんか集まるわけがありません。航空自衛隊ってなにげに創設にはそういう面での苦労があったそうですよ。 ついでにいうと、日本軍の陸軍航空隊と海軍航空隊では気質から用兵思想から何からまったく違います。質問者さん、第二次大戦における日本陸軍航空機ってどんなイメージをもってます?なんかパッとしないイメージでしょ?「航続距離が短い」とか「爆弾積載量が少ない」とかよくいわれます。それは事実なんです。 じゃ、なんで陸軍機は航続距離が短くて爆弾積載量が少なかったと思います?理由は「防弾対策をしっかりしていたから」なんです。防弾対策をしっかりすれば燃料タンクは小さくなるし、爆弾積載量も減ります。陸軍にとってパイロットというのは貴重なエリートだから、死なないような努力は怠らなかったのです。 一方の海軍は航続距離も爆弾積載量も妥協しなかったので、結果、安全対策はぜーんぶなおざりにしたのです。防弾対策がおろそかだったのは何もゼロ戦に限った話ではなく、一式陸攻もそうでしょ?防弾対策がなけりゃ、機体は軽くなりますから航続距離は伸びるし、エンジンの負担が減った分爆弾積載量に回せます。パイロットが死ぬのはあんまり考えないことにしたのです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ざっと調べただけですが、イタリアは1923年に、フランスは1933年に陸軍から「空軍」として独立しています。 イギリスは1918年、陸・海それぞれの航空隊が「空軍」として統合されています。 航空機の設計・製造は、英、独、仏の技術者を招いて指導を受けていますので、これらの国で空軍が創設された事情をよく理解していたと思うのですが、なぜか日本は空軍を作っていません。 しかし、ご指摘のようにアメリカも第二次大戦中は空軍が独立していないので、どんな理由によるものか、むしろこちらの方が大きな疑問となりました。 >日本軍の場合も陸軍航空隊から独立するということになりますが、まあぶっちゃけ「そこまで組織が大きくない」というのが最大の要因だと思います。 >組織を独立させると、予算も独立です。 >独自に予算をぶんどってこられるほど大きくて強い組織を持っていないということでしょうね。 なるほど! 独立させたとしても「空軍」と言えるほどの組織にはならない、ということですね。 >一方陸軍も負けじと(?)、整備士の育成でちぐはぐなことをやっています。 >整備士が足りないということで慌てて本来搭乗員にするはずだった人員を急きょ整備士枠に回しました。  パイロットだけではなく、整備士も重要ですね。  陸軍航空士官学校が1938年(昭和13年)に開校していますが、それまでは地上兵科中心の教育で獣医ま がいの教育まで受けていたそうです。 バカみたいな話ですね。

その他の回答 (7)

  • mm058114
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回答No.8

陸軍と海軍の仮想敵国が違ったのが、大きな要因です。 陸軍は、対ソ戦の為、地上部隊援護の戦術航空隊、 重爆による遠距離の要塞撃破、橋梁撃破の為に、 具体的目標を持って、開発、育成、整備された限定目標航空隊でした。 海軍には、空軍独立を、検討したことがあります。 確か、井上成美が、建立の上申書を海軍大臣に提出しています。 しかし、海上兵力の少ない日本海軍は、アメリカ海軍来航時の斬撃作戦時に、 陸攻1コ中隊でアメリカ戦艦に命中弾1発を与えるという、 戦術目標の為、手放す事はできません。 この陸海軍は、相入れる事はできずに、お流れになります。 海軍だけでもと、井上は粘りますが、結局実現できません。 大東亜戦争が劣勢になると、 新型開発の効率化、 兵器、部品の互換化(爆弾、機銃弾にまで至る) 搭乗員教育の統一、効率化、 等の為、空軍設立が検討され、 総長、次長まで候補にのぼっていました。 陸軍の縄張り問題、設立のための時間、予算問題、既教育者の扱い、 等で、実現せず、 陸軍が、海軍より爆弾懸垂装置、爆弾の融通を受ける。 適時、陸軍飛行戦隊を、海軍の指揮下に置く。 陸軍の既教育飛行将兵を、海軍学校、航空隊にて海軍航空隊教育を受けさせる。 等が、決まっただけで、多少実現されましたが、 そのまま終戦を迎えます。 ちなみに、アメリカ空軍の独立は戦後です。 それまでは、陸軍航空隊です。 B29も陸軍航空隊です。 B29の渡洋戦略爆撃の成功も、空軍独立を確固たるものにしています。 戦時中の陸軍航空隊は、予算こそ陸軍でしたが、 実質的には独立しており、対日、対独の戦略攻撃、戦術攻撃、防空を行なっています。 戦時中の格としては、海兵隊より上で、アメリカの3つめの軍相当と見られていました。 これで、答えになっているでしょうか?

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 陸軍と海軍とでは仮想敵国が異なるから航空隊を「空軍」として分離独立させることができなかった、ということでしょうか。 井上成美中将の提案は、海軍省、軍令部で黙殺されていますね。 陸軍も、再三、空軍創設の必要性が主張されています。 例えば、1936年(昭和11年)「大島遣独航空視察団」の報告書で同じ島国のイギリスを例に空軍の独立を提言しています。 しかし、なぜか空軍がつくられていません。 結局、陸軍省、海軍省とも航空隊を手放したくない、というただそれだけの理由だったのかな、と思い始めています。 それが官僚組織というものではないでしょうか。

回答No.7

そりゃそうでしょ 日本が航空機の重要性を認識したのは戦争末期ですよ? それまで航空機なんて戦艦の補佐や偵察に使う程度としか考えてなかった 真珠湾やマレー沖海戦で戦闘機や爆撃機が非常に戦力になると証明されても 日本は大鑑巨砲主義を変えず 航空能力を軽視していました 戦争末期にようやく航空機の重要性を認識しますが もう手遅れでしたよね だから日本に「空軍」を作る なんて理念は無かったのです 逆に欧米は日本によって航空機の能力が示されて それから「空軍」の重要性を認識しました それから 帝国陸海軍は共に飛行機を持っていました 空軍を作るとなると飛行機をそちらに渡さないといけないので それは出来ない と拒否したという背景もあります

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 空軍創設は大正時代から話題になっています。 石原莞爾も参謀本部作戦課長時代に空軍独立を言っていませんでしたか。

  • tef84754
  • ベストアンサー率33% (35/103)
回答No.5

戦闘機や爆撃機は、歩兵や戦艦の護衛程度にしかならないという考え方があったからみたいです。 そして、海軍側でも飛行機よりは強力な戦艦を持つということの方が重要視されていたというお話です。 第一次世界大戦の時のバルチック艦隊撃破により、日本は旧ソ連に勝てたという過去の経験から、そのような考え方になってしまったみたいですね。 第二次世界大戦に突入する前に日本海軍大将(当時)山本五十六は、これからは航空機の時代になるという考え方をしていたらしいのですが、大本営の首脳部はご存じの通り陸軍の意見が強く、山本五十六以外の海軍側の幹部の意見も航空機よりは大きな破壊力がある絶大な砲塔をもっている戦艦の方を重要視していたらしいのです。(それも、過去のバルチック艦隊撃破のイメージが強く影響をしているものと思われます) 相手国の陣地を占領するうえで、歩兵が上陸しやすくなるように、大砲や戦艦の主砲で砲撃を十分に行ってから歩兵が上陸をして、その陣地を占領するというような昔ながらの戦争のイメージを持っていたのでしょうね、ですが、第二次世界大戦はそのような戦争ではなくて、空からの爆撃で陣地を無人化にしておいてから歩兵が占領をするというやり方に変わっていたのです。 日本陸軍が中国を占領して行った時も、大砲や戦車が主力で占領をして行きましたので、爆撃機はあくまでもその陸上部隊の支援という役目だったみたいです。 また、この日本は、島国ですので、周りが海に囲まれていますよね? その影響もあってか、航空機よりかは船を重要視していたのだと思います。 海から相手国が攻めて来た時のことを重要視したのです(それもバルチック艦隊の影響ですね)、敵が上陸して来たら大砲と戦車で反撃をする、戦艦の主砲で反撃をする、航空機を使うほど日本の国土は広くもなく、爆弾もそれほどの量を運んでは爆撃できないので、効率が悪いと陸軍側も判断をしていたのかもわかりませんね? 第二次世界大戦の日本軍は、連合軍に対して、もはや時代遅れのやり方の戦争を考えていたのかもわかりませんね? ちなみに、真珠湾攻撃の奇襲作戦は山本五十六が考えた作戦だったらしいです、そして、半年間ならばアメリカとの戦争にも耐えられるという話を当時していたらしいです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「戦闘機や爆撃機は、歩兵や戦艦の護衛程度にしかならないという考え方」そして、「海軍側でも飛行機よりは強力な戦艦を持つということの方が重要視されていた」という結論ですね。 分かりました。 >第二次世界大戦の日本軍は、連合軍に対して、もはや時代遅れのやり方の戦争を考えていたのかもわかりませんね? そうですね、同感です。

回答No.4

1.大日本帝国憲法が出来た時に、飛行機自体まだ発明されていなかった。 2.憲法11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあり、それに基づいて陸軍省、海軍省が存在したが、憲法に空軍についての記載がなかった。 3.憲法改正をしようとすれば「勅命」が必要だった。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かにそうですね。 しかし、戦争するためであれば、憲法など都合よく解釈するなり、簡単に改正できるものと思っていました。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.3

独立させる発想自体無かったのでしょうね。陸、海軍それぞれ航空部隊を持っており、使われている飛行機も違いました。同じような用途であっても名称も統一されていなかったのです。両軍は同じ指揮系統に有ったわけではなく、別の省庁の管轄で、両軍に命令を下せるのは天皇だけでした。その航空部隊をそれぞれ抜き出して統合するなんて戦前は無理でしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >独立させる発想自体無かったのでしょうね。 >その航空部隊をそれぞれ抜き出して統合するなんて戦前は無理でしょう。 陸軍と海軍が別々に、航空機を開発し、製作していたのは不合理と思っています。 今日の発想ですから、そんなふうに思うのかもしれませんが。 しかし、独立させる発想自体無かったのですね。分かりました。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.2

大日本帝国時代といえば、外交面でいえば日本は四面楚歌です。 しかも産業革命以降から技術面で遅れているだけでなく、資源も ありませんでした。空軍を持てなかっただけかと。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 質問文が拙かったですが、陸軍も海軍も航空部隊をもっていたのに、なぜ、「空軍」に統合できなかったか、という疑問です。

回答No.1

空軍が不要だったからです。 航空兵力が不要、と言う意味ではありません。 空軍が独自に航空兵力を作戦指揮する必要性が無かったのです。 それに、空軍の創設には憲法改正などの色々な政治的手続きも必要でした。 なお、米軍に空軍が出来たのは戦後になってからです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >空軍が独自に航空兵力を作戦指揮する必要性が無かったのです。 私の知識ではよく理解できませんが考えてみます。 >なお、米軍に空軍が出来たのは戦後になってからです。 そうでした。ご指摘ありがとうございます。

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