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チャレンジド!

こんばんは。お世話になっております。 「チャレンジド」が自律・自立しているというのは、やはり凄いこと。 ・・・もっと敬意を払うべきではないか?

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回答No.1

人の生きる目的が、物質的豊かさ(やお金をかせぐ事)ならば、 ハンディキャップのある事は、保護されるべき弱者になるが、 精神的豊かさ(人生を通算した精神的充足量×全人類の総和) であるならば、いかに社会貢献への意志を保ち、努力をするか が本質的な評価基準であり、ハンディキャップのある者はそれを 乗り越える事が、健常者はより大きく生産に寄与する事が、 対等な社会貢献(精神的充足量において)である。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「いかに社会貢献への意志を保ち、努力をするか が本質的な評価基準」 そうですか。 「千差万別、諸子百家」ですね。

その他の回答 (2)

回答No.3

No.2です お礼ありがとうございます。 回答ではなく訂正。 チャレンド→チャレンジド 坂を昇る→坂を上る 「あたりまえのことがあたりまえの事だと気付けば、幸せな度合いは高まる。」→「あたりまえのことがありがたいものだと気付けば、幸せの度合いが高まる」 私は、誤字脱字が多くすみません。最後のノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの言葉は、数日前、日経新聞の下のほうにある広告をスクラップしたものからの抜粋で、このような格言が詰まった本が、最近出たようなので、興味があればご購入ください。

kurinal
質問者

お礼

訂正、ありがとうございます。 >「あたりまえのことがあたりまえの事だと気付けば、幸せな度合いは高まる。」→「あたりまえのことがありがたいものだと気付けば、幸せの度合いが高まる」 なるほど、そういうことでしたか。 >「私は、誤字脱字が多くすみません。」 想定外のことで。 >「最後のノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの言葉は、数日前、日経新聞の下のほうにある広告をスクラップしたものからの抜粋で、このような格言が詰まった本が、最近出たようなので、興味があればご購入ください。」 そうだったんですね。 「あたりまえのことがありがたいものだと気付けば、幸せの度合いが高まる」(渡辺和子) 「あたりまえ」と言えば、「水とナントカはタダ」でしたか 電気は値上がりしているのかな。

回答No.2

kurinarlさん おはようございます。 チャレンドが障害者を意味することを初めて知りました。 自立、自立と言っても「精神的」自立と「経済的」自立があると思います。 精神的自立は障害者はむしろ健常者より、早いのではと考えます。 健常者は「あたりまえのことが、あたりまえのことだと気づけば、しあわせの度合いが高まる」渡辺和子 ということが、わからない。 障害者は、なぜ自分はこのような不条理の体で産まれたか、または、なってしまったかと、自分自身で考えてたり、障害者仲間の交流でき気づく人が多いと思います。 しかし、経済的自立を考えれば法定雇用という枠はありますが、身体に障害があって車いすの人が、混雑する通勤電車に乗ろうとしたら、私は無理と思い、そんな障害者がいたら、自分があたりまえのものを持っている健常者は冷ややかな目で、場を考えろと怒り出す人も出てくると思います。 しかし、自分が高齢者になったら、老いのため、ベットで寝たり老人となり、車いすを使わないと動けなくないかもしれないことを考えない。 私の家は、坂の上にありますが、私が子供だったころ、親の世代の人たちが現役だった頃、坂を上るバスに対し、「うるさくて眠れないから、バスを夜走らせるな!」という要望が自治会に出され許可されたそうですが、現在、現役を退き、高齢者となったら、今度は「年をとり、坂を歩いて昇れないので、バスを増便してください」という要望が自治会に出されているそうです。 その話を、外見上から、80歳とわからない、かくしゃくとした、私が毎週、日曜日に会う、高齢者に話したら、笑って「私は、坂を昇ることなど、なんの苦痛でもない。日本の高齢者は精神的に未熟な自立していない子供のようなガキばかりが現実だ。そんな高齢者の言うことなど聞くな。」と言われました。 果して、健常者は障害者より精神的に自立(自律)して生きているか、私は、はなはだ疑問です。

kurinal
質問者

お礼

amenhotep2000様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「自立、自立と言っても「精神的」自立と「経済的」自立があると思います。 精神的自立は障害者はむしろ健常者より、早いのではと考えます。」 なるほど。 >「健常者は「あたりまえのことが、あたりまえのことだと気づけば、しあわせの度合いが高まる」渡辺和子 ということが、わからない。」 そういうもの、ですかねえ。 >「障害者は、なぜ自分はこのような不条理の体で産まれたか、または、なってしまったかと、自分自身で考えてたり、障害者仲間の交流でき気づく人が多いと思います。」 「中途障害者」というのも居りますが、そうですね。一口に「障害者」といっても、まさにそれぞれですね。 >「しかし、経済的自立を考えれば法定雇用という枠はありますが、身体に障害があって車いすの人が、混雑する通勤電車に乗ろうとしたら、私は無理と思い、そんな障害者がいたら、自分があたりまえのものを持っている健常者は冷ややかな目で、場を考えろと怒り出す人も出てくると思います。 しかし、自分が高齢者になったら、老いのため、ベットで寝たり老人となり、車いすを使わないと動けなくないかもしれないことを考えない。 私の家は、坂の上にありますが、私が子供だったころ、親の世代の人たちが現役だった頃、坂を上るバスに対し、「うるさくて眠れないから、バスを夜走らせるな!」という要望が自治会に出され許可されたそうですが、現在、現役を退き、高齢者となったら、今度は「年をとり、坂を歩いて昇れないので、バスを増便してください」という要望が自治会に出されているそうです。 その話を、外見上から、80歳とわからない、かくしゃくとした、私が毎週、日曜日に会う、高齢者に話したら、笑って「私は、坂を昇ることなど、なんの苦痛でもない。日本の高齢者は精神的に未熟な自立していない子供のようなガキばかりが現実だ。そんな高齢者の言うことなど聞くな。」と言われました。 果して、健常者は障害者より精神的に自立(自律)して生きているか、私は、はなはだ疑問です。」 よくぞ、述べて頂きました。 「子ども笑うな、来た道よ。年寄り笑うな、行く道よ」とか。

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