田舎のキリスト教教会での出来事と神父の仕事

このQ&Aのポイント
  • 田舎のキリスト教教会での出来事と神父の仕事について、センセーショナルなタイトルを生成します。
  • 田舎のキリスト教教会での出来事と神父の仕事について要約します。仕事で田舎に行き、郷土史編纂の手伝いをしている中、特攻隊の基地となった教会について調査しようとしたが、神父からは興味がないとの対応を受けた。この経験から、キリスト教の信仰と教会の歴史の関係について考えさせられた。
  • 田舎のキリスト教教会での出来事と神父の仕事についてまとめます。神父はキリスト教の信仰にかかる勤めが純粋に仕事であり、自分のいる教会には信仰以外の歴史に興味がないようだ。この経験を通じて、教会の役割や地元の信徒との関係について考える機会となった。
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田舎のキリスト教教会での出来事と神父の仕事

いま、仕事である(ど)田舎に来ています。御縁があり、ある地域の郷土史編纂の手伝いをしています。 ある地区での出来事です。 戦時中、特攻隊の基地があり、その地区にあった教会が特攻隊の本部にされました。 私はその教会に電話し、そういった歴史的事実をできる限り調査し、記録に残したいので、一度、訪問したい旨つげました。 神父さまから 「そんな話聞いたことありません。」「知りません。」 私は唖然とし言葉もつなげられず、思いました。  ・この神父さまはキリスト教の信仰にかかる勤めが純粋に仕事。  ・自分のいる教会について、信仰以外の歴史に全く興味が無い。  ・戦時中に敵勢宗教と抑圧されたので戦時中のネタはタブー。  ・田舎の教会だから地元民しか知らない面倒なネタに触れたくない。  ・単純にムカついていた などなど・・・ 私の自宅は大きな街の中心地になるところにあり、すぐ近くに小さいながらとても古い教会があります。道路から教会を眺めていると、そこのシスターは、「よろしければ中もご覧になってくださいね。」といつも笑顔で接していました。ほかでもおおよそ、似たような対応で私はキリスト教徒ではありませんが、教会やその関係者に対してとても暖かく良い印象でした。 しかし、この一件がありとても残念な感情が生まれました。(正確には、他の教会でも似たような扱いをされて計2件。) 来月、1泊2日の行程でそのエリアを含めた調査に行きますが、このような対応をされて、この2か所の教会は行く価値が無いと判断せざるを得ませんでした。(地元の方の協力により、信徒の方からの協力は得られる。) キリスト教の神父様、教会を職場(表現に語弊があれば申し訳ありません)としている方々からコメントを頂けると幸いです。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kifimi
  • ベストアンサー率72% (425/586)
回答No.5

教会関係者ではありませんが、私も教会や神社・寺院などの古い記録を調査しに行くことがあります。 まず、一般に公開されている資料館・文書館などでない限り、たとえ学術的に意義のあることであっても、「教えてもらって当然」「見せてもらって当然」ではないことのほうが多い、ということを忘れてはいけません。 自分は聞いたことがない、知らない、という事実をそのままその通りに言っただけかもしれないのに、なぜそこまで唖然とされるのでしょうか。 あなたには「自分が関わる教会の、こんな大事な過去の歴史に無関心だなんて!」という思いがあるのかもしれませんが、それはあなたの勝手な価値観です。教会は宗教施設であり、歴史資料館ではありません。 むしろその反応こそが、戦時中の記憶の風化を示す現実であり、あなたが「記録に残さなければ」と調査を行っていることの意味なのではありませんか? 他の方の回答にもあるように、神父さんは世襲ではありません。一度赴任したら終身そこにいるということもなく、国際的な転勤も普通にあります。 本職以外のことは、前任者から引き継がれていなくても、なんの不思議もありません。世襲のお寺でさえ、代替わりすると「父なら知っていたでしょうが、私は当時のことは知らないんですよ」「私は聞いたことがないのですが、昔からの檀家さんなら知っているかもしれません」となってしまうことが多いんです。 教会が特攻隊の本部にされていたということですが、軍部に建物を接収されたのだとしたら、教会関係者は特攻隊本部時代のことはよく知らなくても不思議はありません。教会関係者はその地区から一時撤退せざるを得なかったかもしれませんし、教会が接収されたあとの教区に関する記録を持っていないのかもしれません。 その神父さんの立場に立って考えてみてください。 まったく面識のない他人から、対面でもなく、電話で突然、問い合わせがあった。それは自分が赴任するよりはるか前の(たぶん、神父さんが生まれるより前の)教区の歴史。しかも戦争の悲劇に関わること。 知らないから知らないと答えるしかない。 もし知っていたとしても、うかつには答えられません。 問い合わせてきた人はそれらしい理由を挙げたが、本当にその人が信用できるのか、身元は保証できるのか。うっかり話した内容が、どんな風に流用されるか、わかりません。 現代・近代の歴史は、そこの教区信者さんや地域住民のプライバシーに大きく関係します。記録に残っていることだとしても、公開されていないことでしたら、それはプライバシーです。個人的には差し支えないことだと思っても、どこでどんな人に迷惑をかけるかわかりません。 もし当時のことを知っていたとしても、コミュニティ全体に関わることならば、軽々しく部外者に話すわけにはいきません。 歴史について語るのは、記録者との信頼関係があってこそできる行為です。 これまでにキリスト教関係の方にはあたたかい対応をされたということですが、それは、そこまで踏み込んだ話をしていないときですよね。 教会を眺めていたらシスターに「中もご覧になってくださいね」と言われた、これはよくある話です。教会(神の家)の扉は誰にでも開かれていますから、興味を持っていそうな人には「どうぞ」と声を掛けるのです。それは大なり小なり、宗教的な動機(神の家へのお誘い)によるものでしょう。 歴史調査に対する対応とは別物だと考えるべきです。 電話の問い合わせだけで、その地区の歴史や住民のプラバシーに関わるかもしれないことを聞き出そうとし、思ったような返事を得られなかった理由について穿った見方をするあなたの姿勢のほうが、むしろ無礼ではないでしょうか。 一般企業なら「知らない」どころか、「そういったお問い合わせにはお答えしておりません」とノーコメント回答されてもおかしくないところです。電話では言った言わないになるので、必ず書面で、そして身元がはっきりした人にしか応対しない、というのが普通です。 信徒さんやシスターが優しいからと、それに甘えてはいませんでしたか。 神父は、宗教者であると同時に、教区民をあずかる責任者です。もちろんいろんな人がいるでしょうが、宗教的コミュニティの指導者・教師であり、宗教的な疑似家族における「父親」の立場です。不審な部外者に対しては、毅然とした厳しい対応も取ります。 なにかの調査において、相手に「知らない、聞いたことがない」と言われたら、そこでいかに相手に興味を持たせるか、協力してもらうように話を仕向けるか、がポイントです。 その神父さんは、あなたの電話での問い合わせの時点ではその歴史を知らなくても、あなたの説明で興味を持ってくれたら、教会の上の方に問い合わせて当時の記録などを探して、そういう事実があったことを知るかもしれません。 「この教会は行く価値がない」と切り捨てるのは、自分の感情優先で、歴史の現場というその重要性は置き去りにする姿勢で、歴史を記録する姿勢としてはいかがかと思います。

hiro2841
質問者

お礼

長文回答ありがとうございます。 唖然としたのは、すぐに拒絶されたような回答を受けたからです。 たしかに、貴殿が仰る「自分が関わる教会の、こんな大事な過去の歴史に無関心だなんて!」という私の勝手な価値観があったのかもしれません。 貴殿のいろいろな言葉に「はっ!」とさせられました。 今回の調査の原点に戻り、より良い資料を作成したいと思います。

その他の回答 (4)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10494/33002)
回答No.4

神父さんということですから、カトリックでよろしいでしょうかね。神父さんは結婚を禁じられていますので、お子さんを持つことができません。え?チェーザレ・ボルジアは教皇の息子だろって?ゴホンゴホン、そこはいろいろあるのです。ほら、他ならぬマリア様は処女でご懐妊されたじゃないですか。 閑話休題。つまり神父さんというのは一代限りですので、70年前の出来事は「知らなくて当たり前」なのです。そもそもその地出身の方ではない可能性も高いです。お寺の住職に連絡するつもりで応対してはいけないのです。 さらにいえば、質問者さんは非信者です。そういう人が教会の歴史を詮索するのはあまり好ましいことではありません。もちろん質問者さんがカトリック信者であれば、信心に背くようなことは書かないでしょうから協力してくれるでしょう。カトリックは本来はカトリックの信者以外は「異教徒」と見る立場です。近年はさすがに時代に合わせて寛容路線となっていますが、「異端諮問裁判」はカトリックがやってたことですからね。 シスターが寛容だったのは、「(教会に来訪することで)早くあなたも神の道に目覚めてください」という意味合いも込められているのです。「信仰に目覚めるため」の来訪なら歓迎されますよ。でも、今回はそういうことではありません。 さりながら、カトリックは上意下達の組織でもありますので、もし質問者さんが司教の紹介状でも持っていけば歓迎されることは間違いありません。銀の燭台もプレゼントしてくれるかもしれません。教皇の了承でもとりつけようものならば、神父さんは感激して質問者さんにひざまずいて足にキスをすることでしょう。 あくまで私の個人的印象ですが、2000年近く続いている組織だけあって、カトリックは神のお役所って感じがありますね。

hiro2841
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。 私としては教会の方々にも戦争という時代背景から軍に協力させられたということを明記したかったのですが・・・。 それ自体が余計なお世話なのでしょうか・・・

  • kgrjy
  • ベストアンサー率54% (1359/2481)
回答No.3

> 神父さまから 「そんな話聞いたことありません。」「知りません。」 歴史学に関しては全くの門外漢ですが、感情にながされては科学的探究が泣きますよ。客観的にいえば、彼にとっては事実なのでしょう。それならそれで、彼の当地への赴任はいつからなのか問うとか、その教会の古老(古くからのその教会員)を紹介してもらう、といった手法をとればいいのです。 お書きになられたことからしてまだ未訪問のようですが、教会堂が立て替えられた、少し離れた地に移転した、といったことも考えられます。訪問する前から自分の心狭い感情を正当化しててはどうしようもないですね。

hiro2841
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 場所が変わったりということは無いのですが、新しい教会がすぐ横に建て替えられて当時の教会は博物館になています。 当時の教会で撮影された部隊の写真などお渡ししたかったのですが拒絶されたみたいで・・・。

回答No.2

神父は神社や仏教寺院と違い世襲では有りませんし地元生まれでもありません。 会派の本部から派遣されているだけなのですから。 特別の興味を持っていたりしない限り数世代を経ている70年前の事を聞いてもわからないのが普通でしょう。

hiro2841
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。 私が調べていることは、確かにわからなくて(知らなくて)普通の人です。

  • na22me
  • ベストアンサー率13% (22/158)
回答No.1

その神父も悪いけど それより・・・ あなた 何か勘違いしてませんか!? キリストに仕える人は怒らない・・・とかって・・・ キリスト教徒でも人間です 喜怒哀楽は持っています・・ そして キリスト自身も 神も・・喜怒哀楽はあるのです・・ それが 愛情から来るものなのか 憎しみから来るものなのか の違いだけなのです

hiro2841
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

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