• ベストアンサー

実数の虚数乗

実数の実数乗というのは理解できます。「実数の虚数乗」というのが理解できません。「理論のための理論」ですか?それとも、人間の生活のなかで実際に応用、適用されうるものでしょうか? 電気とか、その周辺で応用されるのでしょうか? どうぞよろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.1

電気とか制御とか信号処理とかいろんなところに出てきますよ.

kosakatoshiko
質問者

お礼

そうそうにご回答ありがとうございます。 お示しいただいキーワードを更に調べてみます。 感謝申し上げます。

その他の回答 (3)

  • spring135
  • ベストアンサー率44% (1487/3332)
回答No.4

「オイラーの公式」で検索してみてください。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%BC%8F
kosakatoshiko
質問者

お礼

御回答に感謝申し上げます。 検索してみます。 ありがとうございました。

回答No.3

有名な所では、こんな式があります。 cosθ + i sinθ = e^(iθ) この式は・・・機械屋も電気屋も画像処理でも音声の分野でもガンガン使う「フーリエー変換」という基礎中の基礎、物理屋を名乗るなら知らなきゃモグリ、というような算数があるのですが、そこで当たり前に使います。

kosakatoshiko
質問者

お礼

ありがとうございます。 基礎のなかの基礎ですか。 高校の数学教師も、少しくらい応用例を教えればいいのになと思います。 御回答に感謝申し上げます。

回答No.2

実数の虚数乗は複素数になりますが 回路理論を始め多くの分野で広く使われて います。オイラーの公式で検索してみて ください。

kosakatoshiko
質問者

お礼

ありがとうございます。 「オイラーの公式」を調べみます。 感謝申し上げます。

関連するQ&A

  • 虚数

    「i」を二乗すると「-1」になるという「虚数」の概念ですが、この「虚数」という概念は、実生活のなかで、なにか具体的に応用されていますか? それとも理論のための理論ですか? 虚数が電気回路で意味を持つなどという噂を聞いたこともありますが。宜しくお願いいたします。

  • 虚数の応用

    よろしくお願いいたします。 虚数というものは、日常生活のなかのどういう部分で応用、活用されていますか?

  • 虚数時間とか虚数質量という言葉をよく聞きますが

    啓蒙書などで相対性理論を勉強している者なので、とんでもない馬鹿な質問かもしれませんが。 よく、「虚数質量等を認めれば、タキオンは相対性理論で理論的にはあり得る。ただし、存在は確認されておらず、因果律を破るので、通常、タキオンは認められていない」と書かれていることが多いですね。しかし、それは本当なのでしょうか?(存在したとしても不安定、などとかも聞いたことがありますが、もっと初等的な問題として。) ローレンツ変換の式というのは、あくまでも、物理量が実数であって、平方根の中が負でない実数であることを前提としてますよね。従って、超光速が出てきて平方根の中が負の数の場合に、この式が形式的にそのまま当てはめられる理論的保障はあるのでしょうか? 光速度不変の原理は、慣性系で原点から光の球面波が発せられたとき、この球面波がc^2t^2=x^2+y^2+z^2 を満たす(原点を共有する慣性系で同じ形)と言うところから出発していますね。これはピタゴラスの定理から来てます。しかし、虚数質量とか虚数時間などを考えるとなると、「もしかしたら物理量は複素数かもしれない」という「仮の相対論」(物理量が実数のときは通常の相対論に一致する)を考える必要はないでしょうか?(光速度は実数だとしても) ピタゴラスの定理の複素数版は基本的にエルミート内積を使うので、「~」を共役複素数を表すとして、光速度不変の式は(t,x,y,zが実数とは限らないとして) c^2tt~=xx~+yy~+zz~ にならない保証はあるのでしょうか? 特殊相対論では(面倒なのでc=1の単位系を使うとして)、ds^2=dt^2-dx^2-dy^2-dz^2 が不変量とされてますが、もしかしたら、複素数まで認める場合は不変量はエルミート積の考え方で ds(ds)~=dt(dt)~-dx(dx)~-dy(dy)~-dz(dz)~ (別の書き方をすれば、|ds|^2=|dt|^2-|x|^2-|y|^2ー|z|^2)かもしれないという不安があるので、本当に単なる2乗で大丈夫なのか?がお聞きしたいのです。 というのは、量子力学では本質的に複素数を使うと聞いたからです(私は「『ブラベクトル』『ケットベクトル』って何???」というレベルなjのですが、とにかく、内積にはエルミート積を使ってますよね?)。状況によっては、量子力学と相対論を両方使わなければいけないことがあるはずですが、もしここで、虚数時間や虚数質量を使おうとした場合の虚数単位iの意味が相対論と量子論で別かもしれない不安がありまして・・・ええと、よく分からないが、量子論では、実数のかわりに自己共役作用素になるらしい、ということは、純虚数は反共役作用素になるのか? もっとも、自分でこのやり方で相対性理論を見ると、不変量が |ds|^2=|dt|^2-|x|^2-|y|^2ー|z|^2 に変わってしまうことになるので、若干意味が変わってしまうのがやばいとは気づいてます。 時間軸を虚数時間を使って cti 軸とするテクニックも使えなくなるわ、アインシュタインの略記法の意味も変わってしまうわ(↑を上付き添え字、↓を下付き添え字として、v↑μが反変ベクトル、w↓μが共変ベクトルのとき、v↑μw↓μ=∑[μ=0・・・4](v↑μ)~(w↓μ)となりそう)、などなど意味がどんどん変わってしまいます。計量ってのもよくわからないけれど(そもそもテンソルも分かってない)、意味が変わりそうです。 (ds)^2<0 となるdsは虚数を使えば存在し得ますが、|ds|^2<0 となるdsは複素数内でも存在しない。 従って、タキオンは因果律を持ち出さなくとも存在しない、めでたしめでたし・・・にはならないですね。 理論を変更するには多大な労力が必要ですが、苦労しても「今までできてたことができなくなった」というデメリットばかりなので、自分でも「これは駄目だわ」とは思うのですが。 それでも、理論的に、虚数時間などを使う場合に、ローレンツ変換のあの式がそのまま形式的に使えるかどうかの理論的根拠はあるのかどうか?が気になるので、あえて質問させていただきました。

  • 虚数を含む物理学の公式を数学で理解すると

    偶々ながめていた物理学の参考書のなかに「この公式で実際測定できるのは実数の部分で虚数の部分は測定されない・・・」と書いてありましたがこれは数学的にはどういうことを意味しているのでしょうか。虚数を含む公式は量子力学などにも沢山出てきますが、等号で結ばれている両項のなかで実際認識できるのは一部であるということと、認識できない部分を理解してしまう数学的な力との関係がとても魅惑的な感じがするのですが・・・この現象は数学を使わないと表現しにくいというようなことが専門家によってよく書かれていることとも関係があるのだろうと想像しています。

  • 虚数と無理数について教えてください

     オイラーの公式 で導出できる結果について、教えてください。  e^(ix)=cos x + i sin x  ・・・(1) (オイラーの公式)を変形したいくと、  e^(iπ)=-1 ・・・・・・。・(2)  となるのはご承知のとおりです。  また、(1)で x=π/2とし、両辺に iをかけると  e^(-π/2)=i^i ・・・・・・・(3)  上の(3)の値は、0.20787・・・・ ・・・(4)  ここで質問です。  (高校生です。できれば、高等な数学式より、考え方で教えてください) 1 なぜ(2)の値が「-1」と実数になるのかが、感覚的にわかりません。  [理由] 整数の数も、無限大ですが、無理数や少数の数は「無限大のレベルが異なる(無限大より大きな無限大)」と何かで読みました。  このことから、「無理数の虚数無理数乗」がなぜ、整数になるのか想像できません。たまたま偶然だとは確率から考えられません。  eの意味を知りません、教えてください。eは、『リミットt→∞〔(1+t)〕の1/t乗』の定義は習いましたが、この定義にどういう意味があるのかが分かりません。定義にπが関係しているので、実数になるのでしょうか。 2 (3)の実計算値、iのi乗がなぜ 正の実数「約0.2・・(無理数)」の値になるのか、感覚的に意味がわかりません。どのように考えればよいのでしょうか教えてください。  実数では、xのx乗は、約0.69より小さくならないのは、感覚的に理解できますが・・・。  iに大きさ(スカラー)はあるのかもわかりません。  僕自身わけのわからない質問と思っていますが、よろしく回答をお願いします。

  • 複素数と方程式の問題です

    二次方程式 x2-px+2p=0の解は虚数で、解の3乗は実数であるとき、 実数pの値を求めよ。  という問題です。解答を見ると、 1つの虚数解をαとすると   α2=pαー2p、α2=pα2-2pα=(p2-2p)αー2p2   α3が実数であるからp2-2p=0     答え p=2  と解説されているのですが、なぜこのような式になるのかが理解できません。  もっと詳しく教えていただけないでしょうか? (二乗、三乗の表記の仕方がわからず、読みにくくてすみません。) よろしくお願いします。

  • 《虚数》という想像力の世界に現実はあるか

     1. まづ タトエと推測とによって成り立たせようとするお話です。というのが 前提です。  趣旨説明を述べます。  2. まづ ことは ひとの意志行為です。これに注目します。  3. たとえば実数であれば 意志のあり方は――その表明にまで到ればなおさらですが―― イエスかノーかあるいはその中間でまだ決められないか この二つないし三つに分かれると思われます。まづほかにはないでしょう。  4. ところが 虚数の概念を仮りに導入したら どうなるか?    5. たとえば イエスもノーもまだまだ決める段階にはない。いえ その情況はすでに相手から答えを求められ決断を迫られている段階ではあるのですが どういうわけか(つまり これが 虚数の世界であるかも知れないのですが) 実数としての意志決定をしぶっている。  6. つまりは言いかえると これは 大きく見れば いまの段階としては不確かな実数の世界( a )とそして同じくいま考えあぐねているその想像の雲に乗った小世界( b i )とで構成される複素数( a + b i )としての実態である。ということになりましょうか? いえ どうなのでしょうか?  7. いまもし ひとがたとえば人間不信に落ち入っていて もはや実数としての意志決定を成し得なくなっているとしたら どうなるでしょう?    8. いまの仮説のかぎりで その人は 虚数の世界にのみあることになります。すべては 想像をめぐらしつづけている。と言えばまだ恰好がついているかも知れませんが 実際は その想像というのは うたがいに満ちさらにはその猜疑心が敵対心にまで広がっているかも分かりません。  9. もし人の生きることが 自己表現であり 自己表現は それとしておのれの文体を成すとしたら おそらくそれは《わたしがわたしであるそのわたしが わたしする》動態であると見ます。  10. 言いかえると わが自己表現の文体は 《わたしがわたしである》その自己同一性のさらに自乗として限りなくつづく過程である。   11. 《わたし》が 数として一であるならば 一の限りなき自乗として一である。と同時に ときには多少とも道草を食いつつまたそこから脱線をもしつつ 元の一に立ち戻って生きる。  12. ところが 現実は 複素数である。かも知れない。  13. 虚数の動きが 外から心に忍び込んで来るゆえなのか自分から何を思ったか紡ぎ始めるゆえなのかどうなのか 起きて来る。  14. おまけに《一》から脱線したときには 元の動態とその軌道が分からなくなる。もはやそこでは あたかもあの悪名高きムラカミハルキ・ワールドつまりモヤモヤ・ワールドのごとく 虚数なる想像一色の世界となる。  15. 自己表現の動態としてありつつも 実数としての意志決定が・したがって意志表明も できない。できなくなる。  16. 代わりに ひょっとするとその虚数なる想像力をたくましくしてあたかも巨大な繭をつむぎその時空間の中にあそぶというかのような虚構を生きるということかも知れない。    17. もしこの現実としての複素数なるわが文体が その中で実数が消えてゼロになり 虚数のみによって成るかたちを取ったとしたら どうなるか?    18. 《わたし》の自乗の動態は あたかも マイナス一( -1 )となる。  19. これでは 社会における交通(マジハリ)が成らない。成し得ない。    20. という憶測としての発見を得ました。  いづれの論点についてでもよいですから ご教授ください。  21. おまけもしくは余分: 悪名高きモヤモヤ・ワールドは 精神分析ワールドでもありますが 日本人のあいだでは やはりむしろブディズム――その悪しき部分――に放射能源はあるのではないか?    22. 余計でした。つまり《さとり》についての満ち溢れるゴミ解釈が社会の処理能力を超えて無限に造り出されていまいか? 虚数としてかんたんに誰でも言えるからのように。  余分と思っていないからなのですが 述べました。ご教示ください。

  • 虚数とは その名のとおりに想像力の世界なのか?

     まづ 推測がゆるされるとしたらのお話です。    ( あ ) 虚数は 現実とどうかかわっているのか?  この問いから出た考え(推測)ですが その名のとおりに    ( い ) 虚数とは 《想像をめぐらしたその観念の世界》である。  と言えるものであるのか? これが質問です。おしえてください。         *  さらに推測を交えた世界に入りますが 趣旨説明を述べます。  まづ ことは ひとの意志行為です。これに注目します。  たとえば実数であれば 意志のあり方は――その表明にまで到ればなおさらですが―― イエスかノーかあるいはその中間でまだ決められないか この二つないし三つに分かれると思われます。まづほかにはないでしょう。  ところが 虚数の概念を仮りに導入したら どうなるか?  たとえば イエスもノーもまだまだ決める段階にはない。いえ その情況は相手からその答えを求められ決断をも迫られている段階ではあるのですが どういうわけか(つまり これが 虚数の世界であるかも知れないのですが) 実数としての意志決定をしぶっている。  つまりは言いかえると これは 大きく見れば いまの段階としては不確かな実数の世界( a )とそして同じくいま考えあぐねているその想像の雲に乗った小世界( bi )とで構成される複素数( a+bi )としての実態である。ということになりましょうか? いえ どうなのでしょうか?  いまもし ひとがたとえば人間不信に落ち入っていて もはや実数としての意志決定を成し得なくなっているとしたら どうなるでしょう?   いまの仮説のかぎりで その人は 虚数の世界にのみあることになります。すべては 想像をめぐらしつづけている。と言えばまだ恰好がついているかも知れませんが 実際は その想像というのは うたがいに満ちさらにはその猜疑心が敵対心にまで広がっているかも分かりません。  もし人の生きることが 自己表現であり 自己表現は それとしておのれの文体を成すとしたら おそらくそれは《わたしがわたしであるそのわたしが わたしする》動態であると見ます。  言いかえると わが自己表現の文体は 《わたしがわたしである》その自己同一性のさらに自乗として限りなくつづく過程である。   《わたし》が 数として一であるならば 一の限りなき自乗として・つまりやはり一でありつつ また多少そこから脱線しても元の一に戻りつつ 生きる。  ところが 現実は 複素数である。かも知れない。虚数の動きが 心に忍び込んで来るのかどうなのか 起きる。おまけに《一》から脱線したときには 元の動態とその軌道が分からなくなる。もはやそこでは あたかもあの悪名高きムラカミハルキ・ワールドつまりモヤモヤ・ワールドのごとく 虚数なる想像一色の世界となる。  自己表現の動態としてありつつも 実数としての意志決定が・したがって意志表明も できない。できなくなる。代わりに ひょっとするとその想像力をたくましくしてあたかも巨大な繭の中にあそぶかのような時空間をすごすということかも知れない。    もしこの現実としての複素数なるわが文体が その中で実数が消えてゼロになり 虚数のみによって成るかたちを取ったとしたら どうなるか?  《わたし》の自乗の動態は あたかも マイナス一(いち)( -1 )となる。  これでは 社会における交通(まじわり)が成らない。成し得ない。  という憶測としての発見をきょう得ました。  ご教示ください。  * おまけもしくは余分:   悪名高きモヤモヤ・ワールドは 精神分析ワールドでもありますが 日本人のあいだでは やはりむしろブディズム――その悪しき部分――に放射能源はあるのではないか?  余計でした。つまり《さとり》についてのゴミ解釈が社会の処理能力を超えて無限に造り出されていまいか? 虚数としてかんたんに誰でも言えるのですよ。  ご教示を願います。

  • 複素数と実数が混在するように見える式について

    時系列解析で、自己相関係数のフーリエ変換がパワースペクトルになるというウィナーキンチンの関係というものがあります。その式では複素数が含まれているので、実数を入力として複素数が含まれている式で計算された出力結果は普通は複素数ということになります。しかし、自己相関係数は実数の系列で、パワースペクトルも実数になると思います(実部と虚部の2乗和なので)。実数に複素数を絡ませて変換して出てきたものが実数になるということになってしまいます。ここが理解できないのですが、どのように考えていくのでしょうか。絶対に虚部がゼロになるから、ということなのでしょうか。 一般にFFTによるスペクトル変換では実数列は複素数の実部にあてて変換する(例えば虚部はゼロにしておくとか)ので複素数から複素数を入出力するということで理解できます。 実際にプログラムでの処理を考えているので概念的な説明だけでは実装することできません。 なお、私は常に標準的なFFTでフーリエ変換しているので複素数での入出力ということなので実数となる系列では先に進めないという感じなのですが。もし出力が実数ということになったとき実部がそれ、虚部がそれ、実部と虚部の2乗和がそれ、というのならわかるのですが。 よろしくお願いします。

  • 【オイラーの公式のeとiについて】 虚数の指数部の意味・感覚を掴みたい

    【オイラーの公式のeとiについて】 虚数の指数部の意味・感覚を掴みたい。 お願いします。 数年前に「オイラーの贈り物」(だったかな?)という本に出会いまして、  exp(e,iπ)=-1   ・・・(ア) の式の意味を理解したくなりました。  exp(e,i・θ)=cos(θ)+i・sin(θ)  ・・・(イ) (イ)の式で、θ=0 の時に(ア)が導かれるのはわかりました。 しかし、指数関数の指数部が虚数になっている、ということが感覚的になじめません。というか、理解できません。 公式を導く過程を読んでも、「実数の虚数乗」には違和感がぬぐえません。アレルギーかもしれません(笑) 4年制大学を卒業(しかも理系)した者として恥ずかしいのですが、いい年したオヤジの錆付いた脳みそにも浸透する、 易しくて、いや優しくて、キラリと光る解説は望めませんでしょうか。 まことに厚かましいお願いですが、皆様の知恵をお貸しください。