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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:どんな《神は死んだ》のか?)

神は死んだとは?ニーチェの思想についての要約

このQ&Aのポイント
  • ニーチェの『喜ばしき知識』で宣告された《神の死》は、ヨーロッパの道徳の自己崩壊を象徴しているとされています。
  • ニーチェが闘っていたのは、一九世紀の再キリスト教化による生活形式と文化であり、その再キリスト教化自体が神の死を意味していました。
  • ニーチェの闘いは、観念の神に対する抵抗であり、時代遅れで劣った考え方を切り捨てるためのものでした。彼の思想はただの遊びではなく、真剣に燃えていたものでした。

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  • ベストアンサー
  • pikaruche
  • ベストアンサー率35% (6/17)
回答No.20

歴史も文献もすべて軽視自覚の上ですが、ニーチェが否定したかったのは、外から拘束してくる外在神でしょう。 観念化、教義化、制度化され、それゆえ、人を縛ってくるのが、外在神。 ニーチェに安らかさを与えうるのは、外在神でもあり内在神でもある、梵我一如であり、観念の縛りを越えた境地でしょう。 もっともキリスト教にも聖霊という内在神の面もありますが、観念化、教義化、制度化により、実質離れてしまってきていたのではないでしょうか? 観念、教義、制度の度合いを少なくしたクエーカーあたりに、本来の内在神との接触が残されてきているように思われます。日本では、梵我一如の同型として、大乗仏教や神道があり、これらに触れていれば、ニーチェも満足したかもしれません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 観念化、教義化、制度化され、それゆえ、人を縛ってくるのが、外在神。  ☆ そのとおりだと考えます。  しかも もしそれだとすると――それだけだとすると―― あたかも日本人の暮らす社会のごとく言わば《クウキ》として支配するような《神の観念 観念の神》がその《外在神》であるということになると思います。そうなってしまわないかとおそれます。  そうなってしまったのならそれは 人びとのただの疑心暗鬼のような――占い師の断言する口調に身のおそれを感じてちぢこまってしまうかのような――弱さであるに過ぎない。  弱さは 弱さを誇ろうとさえ言われる場合もあるほどなのですが それでも そのまま放っておいてはよくない。  つまり問題としょうとしているのは  ★ ニーチェが否定したかったのは、外から拘束してくる外在神でしょう。  ☆ と言われるごとく そのことが当たっているとしても その《否定する》といったニーチェの態度 またそれがもとづく思想 これらの生活態度やその思想に マチガイの元があるように思えるからです。  クウキは 必ずしも否定する対象ではないはずです。クウキを醸し出す人びとの考えを批判の対象にしなければならない。あるいは そのクウキのあたかも導こうとしている方向に従おうとしている人びとのやはり考えを問題としなければならない。  ということは 確かにおっしゃるように  ★ ニーチェに安らかさを与えうるのは、外在神でもあり内在神でもある、梵我一如であり、観念の縛りを越えた境地でしょう。  ☆ すなわち 同じ次元で《観念の神 神なる観念》に相い対するのではなく――そのような観念は持ちたければ好きに持つであろうから 持たせておけばよいのであって――問題は 《神は何であるか》または《神は観念ではない》と言いたいがために《神は何でないか》にあると考えられるからです。  《観念の縛りを越えた境地》とは ふつうに人びとが生活の中で歴史をつうじて受け容れ信じている神のもとにあれば すでにそこで実現している状態なのだと考えられます。    坊主が その樅の木の信仰生活に ああぢゃこうぢゃとクリスマスツリーのごとく余計なカザリをつける。だけだと考えられます。  ローマ教会がわるい。しかしそれはすでにルーテルらが言ったとすれば 坊主による支配体制がわるい。万人司祭と言っても そこには《司祭》がまだいる。そういった広い意味での《クウキ》を問題にし それがもとづく考えを検証し批判する。のが 筋であったはずです。  ★ 日本では、梵我一如の同型として、大乗仏教や神道があり、これらに触れていれば、ニーチェも満足したかもしれません。  ☆ 地方と呼ばれる地域社会 そこでの生活世界における生きたシントウがよいとわたしは思います。山里に暮らす人びとは つよいですよ。  (ただしたいてい 外から来るクウキにまづは 譲歩する姿勢を見せるとも思います。相手に従ったかたちをまづ採ると思います。・・・)(ニーチェは そういう生活の襞にかかわるようなものごとについて無知であったのでしょうか?)

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その他の回答 (23)

回答No.3

ニーチェはニーチェ あなたはあなた 神は誰に何を言われようが 構いません 怒りもしないし 手助けもしない 唯 見守るだけの存在 親だから・・・人間は神の子だから・・・神の領域に 人間が 人間自身の力で這い上がって来るまでは・・・・

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ぷれいめいと1さんは やはりご自分は自分であるということでしょうか。  ★ 神の領域に 人間が 人間自身の力で這い上がって来るまでは・・・・  ☆ ご自身は《這い上がって》行かれましたか? どうでしたか? 眺めは? 神とはどんな存在でしたか?  ニーチェはニーチェであるから 特別に構わなくてもよい。というお考えでしょうか。

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  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

むしゃくしゃしたから「神は死んだ」と書いた。 今は反省している。

bragelonne
質問者

お礼

 なるほど。  フリッツくんにしたら あり得るエピソードですね。  ★ 今は反省している。  ☆ これは 大きいかも知れません。ひとまづ大きな前へのあたらしい一歩であるかと思います。  ご回答をありがとうございます。

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noname#201839
noname#201839
回答No.1

●どんな《神は死んだ》のか? ニーチェが認識し神と思った存在 ●神とは何か? 個々人における神はあると思いますが、本当のことは我々人間の認識力では理解できないかもしれません ●ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か? 「君の思っていたのとは違う、神様がいたらしいよ」

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をあいりがとうございます。  ★ ニーチェが認識し神と思った存在  ● それは どんな神でしたか?  ★ 個々人における神はあると思いますが、本当のことは我々人間の認識力では理解できないかもしれません  ● おそらくそうなのでしょうね。  ただし哲学ですから そこをさらに何とか経験合理性においてその要素を抽象して一般的な見方として明らかにして欲しい。ところです。  【Q:信仰を哲学すると?】という質問も挙がっているようです。同じような問いだと思います。  ★ 「君の思っていたのとは違う、神様がいたらしいよ」  ● なるほど。もう少し考えを伸ばしてみたらよかったのにと。もう少し謙虚に聖書にしろほかの人びとの意見にしろ耳を片向けていれば 何かを得られたかも知れないのに。――でしょうか。  成仏して欲しいものです。

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