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古今著聞集です。現代語訳お願いします。

小侍従が番にあたりて、「いかにも、ここにぞ優なる事はあらんずる」など、人々申しければ、小侍従うちわらひて、「おほく候ふよ。それにとりて生涯の忘れがたき一ふし候ふ。げに妄執にもなりぬべきに、御前にて懺悔候ひなば、罪かろむべし」とて、申しけるは、そのかみ、ある所より迎へに給はせたる事ありしに、すべておぼえぬほどにいみじく執し侍りし事にて、心ことにいかにせんと思ひしに、月冴えわたり、風はだ寒きに、さ夜もやや深け行けば、千々におもひくだけて、心もとなさかぎりなきに、車の音はるかに聞えしかば、「あはれこれにやあらん」とむねうちさわぐに、からりとやりいるれば、いよいよ心まよひせられて、人わろき程に急ぎのられぬ。さて行きつきて、車寄せにさしよするほどに、御簾のうちより、にほひことにて、なえらかになつかしき人出でて、すだれ持てあげておろすに、まづいみじうらうたく覚ゆるに、立ちながらきぬごしにみしといだきて、「いかなるおそさぞ」とありしことがら、なにと申しつくすべしともおぼえ候はず。さて、しめやかにうち語らふに、長夜もかぎりあれば、鐘の音もはるかにひびき、鳥の音もはや聞ゆれば、むつごともまだつきやらで、あさ置く霜よりもなほ消えかへりつつ、おきわかれんとするに、車さしよする音せしかば、たましひも身にそはぬ心地して、我にもあらず乗り侍りぬ。帰りきても、又寝の心もあらばこそあかぬなごりを夢にも見め、ただ世に知らぬにほひのうつれるばかりを形見にて臥ししづみたりしに、その夜しも、人に衣置きかへられたりしを、朝にとりかへにおこせたりしかば、うつり香の形見さへまたわかれにし心のうち、いかに申しのぶべしともおぼえず、せんかたなくこそ候ひしか」と申したりければ、法皇も人々も、「まことにたへがたかりけん。このうへは、そのぬしをあらはすべし」と仰せられけるを、小侍従「いかにもその事はかなひ侍らじ」と、ふかくいなみ申しけるを、「さては懺悔の本意せんなし」とて、しひて問はせ給ひければ、小侍従うちわらひて、「さらば申し候はん。おぼえさせおはしまさぬか。君の御位の時、その年その比、たれがしを御使にてめされて候ひしは、よも御あらがひは候はじ。申し候ふむねたがひてや候」と申したりけるに、人々とよみにて、法皇はたへかねさせ給ひて、にげいらせ給ひにけるとなん。

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下記サイトをご覧ください。   http://www.eonet.ne.jp/~jujiro/setuwa/chomon322.htm 最初から少し進んだ部分からです。

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    一ノ十八 後大寺左大臣、小侍從と聞えし歌よみに通ひ給ひけり。ある夜、ものがたりして、曉歸りけるほどに、この人の供なりける藏人といふものに、 いまだ入りもやらで、見送りたるが、ふり捨てがたきに、立ち歸りて、なにごとにても、いひて來 とのたまひければ、 ゆゆしき大事かな と思へど、程經べきことならねば、やがて走り入りて、車寄せに、女の立ちたる前についゐて、 申せと候ふ とは、左右なくいひ出でたれど、なにともいふべしともおぼえぬに、をりしも里の鶏、聲々鳴き出でたりければ、 ものかはと君がいひけむ鳥の音のけさしもなどか悲しかるらむ とばかりいひかけて、やがて走りつきて、 車寄せにて、かくこそ申して候ひつれ と申しければ、いみじくめでられけり。 さてこそ、使にははからひつれ とて、後にしる所などたびたりけるとなむ 上東門院の伊勢大輔が墨するほどに けふ九重にといふ歌を案じ得、一間を居ざり出づるあひだに、 こはえもいはぬ花の色かな の末の句を付けたりける、心のはやさにも、劣らずこそ聞ゆれ。 かの藏人は、内裏の六位などへて、やさしき藏人といはれけり。   この文の訳をどなたかできる方か知っている方はお願いしますm(_ _)m

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    一五一 平等院僧正行尊詠歌して住吉神主の家に宿らざる事 こちらの話のオチがよくわかりません 特に後半の部分がわからないのですが、どのような状況なのでしょうか 平等院僧正諸國修行の時、攝津國住吉の渡りにいたり給て、齋料のつきにければ、神主國基が家におはして經をよみて立給ひたりけり。其聲微妙みめうにして聞人たうとみあへりけり。國基御齋料奉るとて、いづかたへすぎ過ぎさせ給ふ修行者ぞ。御經たうとく侍り。今夜ばかりはこゝにとゞまり給へかし。御經の聽聞仕らんといはせたりければ、とかくの返事をばの給はず哥をよみ給ける。   世を捨てゝ宿も定めぬ身にしあればすみよしとてもとまるべきかは かくいひてとをり給ひぬ。其後天王寺別當になりて彼寺におはしましける時、國基參りて天王寺と住吉との境の間の事申入けるに、しばし候へとてあやしく御前へめされければ、かしこまりつゝ參りたりけるに、僧正明障子引あけさせ給て、あの住吉とてもとまるべきかはといかにと仰られたりけるに、國基あきれまどひて申べき事も申さで、とりばかま取り袴してにげ逃げにけり。いと興有事也。 前半は ご飯を食べるお金が無くなった僧正が、國基の家で御経を読んだところ、声が素晴らしくて聞いた人が感激し、國基がご飯をお金をお渡ししましょう。どちらへゆかれる修行者ですか。御経が素晴らしかった。今夜ばかりはここにお泊まりください。御経がーーー(わかりませんでした)とおっしゃったところ、僧正は歌を読んで答えた 修行者の身であるので、住吉が住みよいところだからといってとどまるべきだろうか、いやとどまるべきではない こんな感じで訳しました。 後半は、僧正が天王寺の別当頭になって、そこに國基が天王寺と住吉の境のことで何らかのトラブルに相談に来たことはわかったのですが 僧正の前までいく部分の状況と、僧正が「私の歌はどうでしたか?」と聞いた國基が、なぜびっくりして聞きに来たことも聞かず、袴を持ち上げさっさと逃げ帰ってしまったのかわかりません。 よろしくお願いします。

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    ↓口語訳してください。おねがいします。 式部の大輔大江匡衡朝臣の息、式部の権の大輔挙周朝臣、重病を受けて、たのみすくなく見えければ、母赤染右衛門、住吉にまうでて、七日籠りて、「このたび助かりがたくは、すみやかにわが命に召しかふべし」と申して、七日に満ちける日、御幣のしでに書きつけ侍りける かはらんと祈る命は惜しからでさても別れんことぞかなしき かくよみて奉りけるに、神感やありけん、挙周が病よくなりにけり。 母下向して、喜びながらこの様を語るに、挙周いみじく嘆きて、「我生きたりとも、母を失ひてはなんのいさみかあらん。かつは不幸の身なるべし」と思ひて、住吉に詣でて申しけるは、「母われにかはりて命終はるべきならば、すみやかにもとのごとくわが命を召して、母を助けさせ給へ」と泣く泣く祈りければ、神はあわれみて御助けやありけん、母子共に事ゆえ鳴ゆゑなくはべりけり。