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秀吉の明国 制圧について
noname#224207の回答
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こんなサイトもあります 日本を侵略から守れ!豊臣秀吉 VS スペイン大帝国: かつて日本は ... jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/08/vs-a562.html -歴史紀行- ―朝鮮通信使への道を拓く- www.jyofukuji.com/11-tyosen/tyosen.htm 所説芬々ですね~ 黒田官兵衛や千利休にしたら、明を征圧するなどと言うことは到底成功するとは思えなかったでしょう。 戦後時代といいますのは、今日想像する以上に海外とくに東アジアの情勢に関する情報は豊富にもたらされていました。 現在の長崎県の一帯には、沢山の中国商人が来航して暮らしていました。 そもそも、火縄銃に必要な黒色火薬に硝石は不可欠ですが、ほぼ全量が輸入品です。 中国船が運んできたのを博多商人や境商人がドンパチやっていた武将連中に売りさばいていました。 現在の総合商社と同じように、これ等の商人にとって情報は貴重なものでおそらく積極的に聞き取っていたでしょう。 千利休のような知識人へは博多商人や境商人がいろいろ教えてくれていたでしょう。 茶人とは言え利休クラスの知識人であれば、明との戦など無謀なものに見えたでしょう。 官兵衛のように策略の才の持ち主というのは情報を非常に大切にします。 官兵衛も当然何らかの形で東アジアの情勢は掴んではいたでしょう。 それよりもむしろ、広大な中国大陸で戦をすることを考えれば到底兵員も兵站も足りないことは軍師としては理解できます。 負け戦をしないのが軍師の仕事です。 勝てそうもない戦は当然反対したでしょう。 何分にも秀吉の場合には、信長の信長公記のように、その実績を書き残して伝えるような人がいませんでした。 本来であれば千利休や石田三成当たりが適任ですが、書き残す間もなく死んでしまいました。 残ったのは太閤記のような歴史小説まがいのものばかりです。 結局、当時秀吉が決断に至った経緯が正確に分かりません。 周辺状況や断片的な史料から、秀吉が置かれていた状況や得ていた情報、判断基準などを推測することになってしまいます。 長崎県一帯の半島地帯は当時は耕作地が少なく中小の在地大名にとってはポルトガルやスペイン、中国との交易が最大の収益でした。 イエズス会の宣教師を味方に引き入れるのに血眼でした。 大友純忠などは、長崎港一帯をイエズス会に寄進するということまでやってのけていました。 極端な話、長崎港一帯はかつての香港のように外国に割譲されてしまっていたことになります。 九州平定の後で秀吉は気が付きました。 秀吉はバテレン追放令は出してはいますが、キリスト教そのものは禁止していません。 交易も禁止してはいません。 明の原則は、交易はあくまでも明への朝貢交易です。 倭寇の跳梁を防ぐために、かつては勘合貿易という形でなんとか公的な交易が続けられていましたが、しばらく途絶えていました。 この間の中国船は明に言わせれば密貿易船です。 秀吉はこれをなんとか公的な交易にして収益を安定させたいと考えていたようです。 明に使者も送っています。 これに対して明からは冊封体制下に入れという書状が舞い込んでいました。 玄界灘の先の対馬の宋氏は歴史的にも朝鮮王朝とは昵懇でした。 米は朝鮮王朝からわけてもらっていました。 朝鮮王朝が明の冊封下にあることは周知の事実です。 尾張出身の秀吉にとっては九州一帯のこのような複雑な関係を座視することはできなかったでしょう。 全員オレの言うことを聞け!嫌なら戦だ!ということになっても無理はないでしょう。 ともかく戦国時代と言いますのは首尾一貫した正確な史料が残っていません。 伝聞や我田引水のような資料が氾濫している時代です。 歴史学の先生方も苦労されています。 歴史小説を書くような訳にはいきません。
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