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枕詞について

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回答No.3

 枕詞について、国語学者林巨樹氏は「記紀万葉以前の発生期には、意味のはっきりした形容語句であっただろうが、次第に形式的な修飾句となった。」と言っておられます。すでに記紀万葉時代には形式的になっていたというからには、現代語訳に訳出するかどうか、訳してみて煩雑になることもあり得るので、個人的な判断が必要でありましょう。  やすみししわご大君の高知らす吉野の宮はたたなづく青垣隠り川波の清き河内そ…(山部赤人) という長歌の場合、「やすみしし」を「国の隅々までお治めになっている」の簡略化された「この国をお治めになる」のような言葉は加えてもいいという考えはありましょう。しかし、枕詞のすべてがこのように活かせるとは限らないので、ここも判断を要するところです。(ただしこの歌の場合は、例に挙げたものの、すぐ後に「高知らす」が続いて繰り返しになるため不適当でした)  枕詞は働きの上から、1.説明的「やすみしし」-わが大君 2.比喩的「白妙の」-雪 3.韻律的「ちちのみの」-父 のように分けれるようですが、「白妙の」のような比喩は訳出することもできるのではないでしょうか。

gesui3
質問者

お礼

記紀万葉時代にはすでに形式的になっていたとは、驚きです。訳出は、ケースバイケースということでしょうか。ご教示をありがとうございました。

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