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論理と道理によるより他に どのように対話するのか

fuukakouの回答

  • fuukakou
  • ベストアンサー率22% (200/870)
回答No.6

No.5です。 お礼ありがとうございます。 他の回答者様へのお礼も興味深く読みました。 なるほど!とお礼を読んで思いました。 やっと何を言いたいのか判ってきました。 わたしはよく、イエスともノーとも言わず、ズルい手を回答に使わせていただいてます。 「なんかズレた所から入る」「ずらして入る」「ズレた話をする」など、イエスノーを避け、ズラして言わないで済まそうと誤魔化しています。 喧嘩腰になるのを避けたいからですね。 これがアラシの気配というものに相当するのでしょうか? そして、よく意味が解らなかったことを もっと解説していただけないかと目論んでいるんです。この辺は本当にズルですよね。 今回の私の意見は ( b )の《意見の摺り合わせ》を経て《落としどころを見つける》方式は よろしいという見方 です。 本来一番重要と、私が思ってるのは この考えて意見を出して、新たな意見・情報を仕入れて また考えて意見を出しあう 落としどころを見つける という所だからです。 恨みが残って殺し合いにならないように。 この点では、気持ちの整理がつかなきゃ恨みが残る。恨みが募れば殺そうとしてしまう人も居る が前提になってるので、幼くて幼稚と言えば幼稚なんでしょうね。 そしてよく読みなおして、あれ?と思ったのは…この部分をやってない方も多いの? といった事です。 私もやってるかも! やっと気が付きました。ありがとうございます。 指摘されないと気が付けないことが多すぎますね、私。 この部分を行わないならあまりにも幼稚、になってしまいますね。 新たな違った意見を知るのは良い事で、これを持ってもっとよく考えてみよう。 自分の意見を最初は持ってるけど、それが変化してもいい。 というか新たな情報を仕入れて検証し、自分が間違ってるところがあるなら修正して、よりあわせて考えたら発見があり違う意見が浮かんだならそっち方面に移動するのは 当たり前のことだと思うんです。 変化をさせないでガチガチになっちゃうと、いつまで経っても喧嘩にしかならないですよね。 迎合してる、というのとは少し違うと私は思ってます。 このあたりが >相手の議論に対して イエスならイエス ノーならノーとはっきりと述べること このことこそが 大事なのではないでしょうか。 と違うところです。 完全なイエスでもなく、完全なノーでもない状態なので。 考えてみると私の意見は、相手に考えてまた意見を出すことを要求してるので これも考えを押し付けてると言えば、押しつけですね。 理解し合おう その為に真剣に取り組もう とすることが大事だと思ています。 でもこれも相手を巻き込む事なので 一歩間違えるといつまでも噛み付いてくるだけになってしまうのですか。 >☆ このあたりは お言葉を返しますが いまではすでにどちらも同じようになっているのではないでしょうか? 確かに日本人も宗教的な生活をしています。 でも契約や入信をする人は少ないですよね。お坊さんに成る為に仏弟子に入るなど、例外的に思います。 神との絆は生まれつき、そこにあるだけで自動であるようなものの気がします。 これは私は日本の神に土地神といったものを想定しがちだからでしょうね。 その土地にいるなら自動的にその管轄に入り、土地を移動すればその場所の土地神の管轄に自動的に入る 神様側がオートで行ってるので その神様以外は切りようがないものと思っているので。そしてそのようなものだから、日本人は割と宗教に無頓着に。 あれ?なんか話が横道に行ってる。修正修正 私が書いた絆は、生涯の友だけではありません。普通にかかわる人々の事も含みます。 ご近所のどの人と会話をよくして情報交換するか、会社や学校でも世間話をする相手としない相手、どんな人と付き合いを持つか、なんかも含まれてます。 こんなものでも一生ついてまわったりするんですよ、困ったことに。 >☆ とおっしゃるとおりであるならば 問題は 投稿者が最初に回答を寄せるときの質問趣旨への《応答方式》をどうするか? ここにことを決める要因があるのではないのでしょうか? >つまり そんな七面倒なことはないはずですよ。だいたいは 文章を始める最初の調子で分かるのではないでしょうか。つまり その投稿には アラシの気配があるかどうかがです。 この、『アラシの気配がする』というのが、喧嘩腰で『相手を尊重してない』ので起きるんじゃないか、と私は考えてます。 しょっぱなに 『否定!!』をされると、ああ、この方とは分かり合えない方なのね…と避けてしまったり、こちらの意見を聞く気が無いんですねと思ってしまったり、意見を押し付けてる!闘うぞ!!と変なスイッチが入ってしまうがありがち(私が幼稚だからでしょうね)なので、ちゃんと話し合いにならね~。な事が。 否定されるとカッとなっちゃったりもう聞かねと幼稚な反応をしがちなので、「はい、ですが~」方式を採用してるんだと思います。 う~ん、なんか話がずれているような気がする変な間違った方向に行ってしまってるような気が。 どっかで私が踏み間違えてるような気がするのですが、それがよく判らない。 ですがこれが今の私の意見なのでこのまま回答させていただきます。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてのご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~  わたしはよく、イエスともノーとも言わず、ズルい手を回答に使わせていただいてます。  ・・・  喧嘩腰になるのを避けたいからですね。  これがアラシの気配というものに相当するのでしょうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ あいまいというのは そう(アラシ)であるか無いか二通りの可能性があります。《イエスともノーとも言わないをつらぬく》なら その両義性が最後までつづきます。    ★ 今回の私の意見は ( b )の《意見の摺り合わせ》を経て《落としどころを見つける》方式は よろしいという見方 です。  ☆ ええ。そう推測して応答しました。  ということは 両義性の中から こちらが一つの回答をえらびそれにしぼりました。  ★ 本来一番重要と、私が思ってるのは この考えて意見を出して、新たな意見・情報を仕入れて また考えて意見を出しあう 落としどころを見つける という所だからです。  ☆ 質問者も そのとおりに思います。情報交換という言い方で 規約はうたっていたと思います。  また ふつう一般に考えても いわゆる弁証法的な展開であり過程なのだと考えられます。問題ないと考えます。  (このように双方の互いにとってより一層の高みに移ってあたらしい共通の見解を得ようとする弁証法的展開については ほかの質疑応答を見ていますと ときには それの不可能性を見ると主張するひとがいるようです。不毛であり無意味だと言おうとしているようです)。  ★ この部分(* つまり互いの情報交換)をやってない方も多いの?  ☆ ええっとですね。この弁証法過程について説明すると それには賛成だという答えが返って来たりします。そういう情況です。  けっきょく《心の明け》あるいは 開かれた柔軟性あるいは自由度の問題なのでしょうか。  ★ 考えてみると私の意見は、相手に考えてまた意見を出すことを要求してるので これも考えを押し付けてると言えば、押しつけですね。  ☆ そうですか。ずるがしこいですね。  ★ 理解し合おう その為に真剣に取り組もう とすることが大事だと思ています。 / でもこれも相手を巻き込む事なので 一歩間違えるといつまでも噛み付いてくるだけになってしまうのですか。  ☆ わたしの場合は 相手に《咬みつかせよう》としています。たまふり(魂振り)という神事(?)でもあります。    ★ 神との絆は生まれつき、そこにあるだけで自動であるようなものの気がします。  ☆ あの《キリスト教》にあっても そのようにただ生まれつきの自然本性において 神の霊がわが心にやどるといったところから出発するかたち。これが やがて主流を占めると考えています。(ローマ教会などは 自己解体すると捉えています)。  ★ そしてそのようなものだから、日本人は割と宗教に無頓着に。  ☆ という情況であるほうが うんと個人個人にとっての《神とわれとの関係――つまり 信仰――》は 現実的なものであり 推奨されるものであると考えています。つまり 集団としての・組織形態なるシュウキョウは要らないという意味です。  そのあと最後のあたりは あまりこだわると水掛け論を取り上げて論じるかたちになるかも知れないと思い パスしましょうか。  水掛け論にはならないとわたしが言うのは やり取りのスレッドがしっかりと残っているからです。この質問の前身の質問です。  こんな感じでしょうか。

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