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論理と道理によるより他に どのように対話するのか
1. さすが 日本人は物分かりがよいようなのですが その道理だけで話し合いをしているといったことがあるのではないでしょうか? 2. つまり論理が無いと言いますか 議論の筋道が示されない。 3. 道理なら 人間としての筋道なのだから ただちに分かり合えるはずだという向きには その場合の道理とは いわゆるジョウシキなのです。と言わねばなりません。 4. すなわち その場合のジョウシキというのは よいもわるいも一般のナラハシです。それは 必ずしも倫理的な推論や学問一般による裏づけがあるとは限らないと来ています。そういう場合が多い。 5. となると このような場合の日本人の対話というのは けっきょく自分自身の考えは打っちゃっておいて相手のそれに合わせたりする。それが むしろ対話のおもな内容となる。 6. こんなことをするなら 自己に対してはウソをついているのだし 相手に対してはあたかも物分かりだけは一人前だが思考回路はまだ子どもの段階にとどまっているからというので よちよち いい子だね そのとおりだよと言って けっきょくは相手をバカにしている。のではないだろうか? 7. こういうやり取りしかおこなっていないのではないか? 日本人の対話一般の多くは。 8. そうこうする内に この日本人式対話の《約束》に合わせなかったり・あるいはつまり 相手の発言内容についてふつうに論理と道理とで批評し批判をすると その態度は 《ひとの心を大切にしていない》とか《心を傷つける振る舞いだ》とかぶつぶつ ぐづぐづ 言っている。 9. 果たしてこういう日本人は 人間であるのか? まだ人間に成っていないのではないか?
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- ノーバン(@nobound)
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いろいろ文章を読んでいくと、「同調圧力」のことかなと思いました。日本人の同調圧力という独特の空気感はどこから生じているのか?という疑問は興味深いですが、大きく見ると戦争放棄なんかも関係しているのでしょうか。 東アジア自体が同調圧力の様相を呈してきて、はみ出す北朝鮮を敵視する感じ。そもそもずっと仲の良くない中国、ロシア、韓国、日本が本音をぶつけないで表面的協調を組むと必ず北のミサイル事件が起きますね。アジアと協調するんだったら、小泉さんのように北とも国交を深めるんだったら、全面協調だと思いますが、同調圧力に反発ばかりする北にも問題はあるのかないのか?
- 畑 茂夫(@Flareon)
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ジョーシキをふりかざされてうんざりしたりするだろ。 そこから鍛えなおしてやらないといけない。 男子プリキュアなんて良い筋肉トレーニングの先生だ。 君の言っていることは承知しているつもりだ。 私は飼いならされた忠犬ハチ公に餌以外を投げ込んでいる。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 私は飼いならされた忠犬ハチ公に餌以外を投げ込んでいる。 ☆ ん? つまり さらになお調教するってことですか? ううーん。まぁ 自分の信念にしたがってその内容と同じものごとに忠誠であることは よいことでしょうが 《人間に対して 〈犬〉であるということ》は 少々問題あり。だと思います。 《犬》ぢゃないんだ。――と まづ 言ってやらなきゃとは思います。 ★ ジョーシキをふりかざ ☆ したかも知れません。という冷酷な応答をする人間であることがバレちゃった。
- g27xxxxx
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全体に理解しずらい文章ですが、 日本人の不可解という仮定で考えてみます。 1、自分が理解している道理に基づいてしか話はできないなら、 これは日本人に限った事ではない。 理解の一致が確認できてない相手とは、議論の前に理解を一致させる必要がある。 質問の前提が、その確認作業を省いている。 2、理解の一致が無ければ論理も見えないから、筋道が示されても認識できないのが道理。 3、相手の示す道理を理解する努力は必要。 道理と常識の違いを説明しても無意味。 4、常識とは様々な理論や道理から導かれていて、経緯は省かれていても一般的に理解可能な結果や結論。 常識が一致していれば会話の段階で裏付けは不要。 一定の理論に基づいた道理とは別物。 5、日本人は考え方の違いによる道理の違いを理解しており、理解の一致を目的として互いの道理の擦り合わせを優先する。 互いの身勝手な論理展開は無意味とする場合が多い。 6、相手を理解する姿勢がない者はバカにされる。 相手を理解しようとする姿勢こそ、逃場のない狭い島国で共存する知恵。 グローバル化で狭くなりつつある世界で、今後有効となりうる対話姿勢。 7、この独特な対話文化を理解できずに自己の道理でしか話せないなら、日本人との会話は難しくなる。 8、互いの理解で相手を受け入れる姿勢に対して、一方の道理で押しきろうとすれば、信頼は生まれず拒絶という結果を招く。 9、日本を理解したいなら、長期間の統一国家を維持している対話文化の成り立ちを知る必要がある。 他者の道理を聞き入れずに、自己の道理と力だけで押しきろうとするような、一向に進化しない他国の対話文化とは違う。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 全体に理解しずらい文章ですが、 ☆ あなたがそう感じて そう断定しているだけだという可能性は? ★ 日本人の不可解という仮定で考えてみます。 ☆ そういう主題としての扱い方とは微妙に違うはずですが。つまり どこで間違っているかは ほとんど分かっていると前提しており それなのにどうしてその間違いを考え直さないのか? という問いかけです。 ★ 1、自分が理解している道理に基づいてしか話はできないなら、 ☆ この条件文の中身は どうなんでしょうかね。《自分が理解していない道理にもとづく》場合というのは 可能性としてあり得ても けっきょくその場合の道理について中身を互いに確認してからのお話になる。のでは? ★ これは日本人に限った事ではない。 ☆ 日本人を取り立てているのは わたしが日本人であり ここが日本語でやり取りする場だからであり ほかの国の人びとを排除したかたちを無闇に採っているわけではないわけです。つまり 意味を成さないご指摘です。 ★ 理解の一致が確認できてない相手 ☆ もし《世界のすべてのものごとについて共通の理解に立っている》という相手がいたら おしえて欲しい。 ★ 理解の一致が確認できてない相手とは、議論の前に理解を一致させる必要がある。 / 質問の前提が、その確認作業を省いている。 ☆ 意味をなさない指摘です。 ★ 2、理解の一致が無ければ論理も見えないから、筋道が示されても認識できないのが道理。 ☆ ただそのようにあなたは 感じたということをそのまま書き綴っている・・・だけ・・・という可能性は? ★ 3、相手の示す道理を理解する努力は必要。 ☆ 言わずもがな。 ★ 道理と常識の違いを説明しても無意味。 ☆ ちょっと話がくるって来ていませんか? ★ 4、常識とは様々な理論や道理から導かれていて、経緯は省かれていても一般的に理解可能な結果や結論。 ☆ それは 一般的すぎて なおあいまいです。時代につれて移り変わること。あるいは同じ時代でも国によっても異なる部分があります。 ★ 常識が一致していれば会話の段階で裏付けは不要。 ☆ そういう論理というのは 互いに人間どうしだから 話し合うことなどはまったく必要ない。と言うのと さほど違わない。 ★ 一定の理論に基づいた道理とは別物。 ☆ 具体的な例証がのぞまれます。 ★ 5、日本人は考え方の違いによる道理の違いを理解しており、理解の一致を目的として互いの道理の擦り合わせを優先する。 ☆ だから? だから どうだということなのでしょう。つまり そういう場合というのは とうぜん前提とされています。ただここでは触れていないだけ・・・という理解は なし得ませんでしたか? ★ 互いの身勝手な論理展開は無意味とする場合が多い。 ☆ 質問の筋から外れて行っています。 ★ 6、相手を理解する姿勢がない者はバカにされる。 ☆ そのとおり。と言いたいところです。 ★ 相手を理解しようとする姿勢こそ、逃場のない狭い島国で共存する知恵。 / グローバル化で狭くなりつつある世界で、今後有効となりうる対話姿勢。 ☆ そんなことは 神代の昔から分かっています。 ★ 7、この独特な対話文化を理解できずに自己の道理でしか話せないなら、日本人との会話は難しくなる。 ☆ 分かっているから 批判点をも取り上げ 自由な万機公論にゆだねています。ちょっとお門違いなことばかり言っていませんか? ★ 8、互いの理解で相手を受け入れる姿勢に対して、一方の道理で押しきろうとすれば、信頼は生まれず拒絶という結果を招く。 ☆ あさっての方へ向かってものを言っていませんか? ★ 9、日本を理解したいなら、 ☆ 何ですって? 理解しているのなら ずばり回答を寄せなさい。こんなまわりくどいことを ひっちくどく綴り続けるなんて。 ★ 長期間の統一国家を維持している対話文化の成り立ちを知る必要がある。 ☆ 市民社会がそのお二階さんたちを支えてやっているという現実を知る必要があります。
- g27xxxxx
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この質問は、質問者自身の固定観念と経験だけを基に構成してるのでは? このままでは質問者が道理てしている事柄が提示されない限り、考えようがないかと思います。 万人が常識と理解できる道理を示す必要があります。 日本人の総体を固定概念で捉えようとする事に無理があります。
お礼
ご回答をありがとうございます。 質問者としてどう考えているかをつづってまいります。 ★ 万人が常識と理解できる道理を示す必要があります。 ☆ きちんとした定義をしないまま 用語を用いています。まづこのことを認めなければなりません。 《論理》は いま措いておきます。 《道理》については 説明書きのつづく過程の中から捉えて行くなら 次のように見ることが出来るのではないかと思うのですが。つまり 3. 道理 = 人間としての筋道 3. 道理のうち 《ただちに分かり合えるはずだという道理》 = ジョウシキ 4. 上の意味でのジョウシキ = 《よいもわるいも一般のナラハシ》 4. そのナラハシとは = 《必ずしも倫理的な推論や学問一般による 裏づけがあるとは限らない・・・場合が多い》 それでは 《万人が納得する》ところの道理とは 何か? まづ次の説明を掲げます。この説明内容から その《裏命題》を慮るようにして ひとつの定義をすることが出来るのではないかと考えます。 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~ 8. そうこうする内に この日本人式対話の《約束》に合わせなかったり・ あるいはつまり 相手の発言内容についてふつうに論理と道理とで批評し 批判をすると その態度は 《ひとの心を大切にしていない》とか《心を 傷つける振る舞いだ》とかぶつぶつ ぐづぐづ 言っている。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち こうです。 《道理》とは: 《互いに相手に合わせるということを何よりも重んじて 対話をおこな う》というとき そのようなナラハシ〔としてのジョウシキ〕に従わな いで 自分の思うところを述べた場合 このような場合に その・水を差すような発言について その必要性 や妥当性について 顧慮するゆとりのあること。そして実際にその顧慮 を実行すること。 です。その道理の現われを 具体的な事態として限られた場合に絞って説明する内容となっていますが だいたいその意は伝わるのではないかと。 つまりは 相手との話し合いでは 必ずしも相手に合わせる〔だけな〕のではなく おのれの心にある思いや考えを述べるということ またそのような自由な発言について まづはその発言の自由をともに互いに受け容れたそのあと 自由に互いに批判しあうこと。 要するに 他人(ひと)の心や意志を 無下に排除したり踏みにじったりしないこと。そこから 道理の世界が始まるのだと。あとは どちらかと言えば 論理の妥当性がのぞまれることになるであろうと。
- dekapai
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>論理(物事の法則)と道理(物事の筋道)によるより他に どのように対話するのか 論理、道理の他の対話となると、感情論(どう思ったか主観的側面)ではないでしょうか。 議論の筋道がない これは「1を聞いて10を知る」ではないですが、報連相を例にあげると結果が第一、その次に説明が続きます。 聞き手は、結果だけ知りたい場合、次の説明を端折ることがあります。 その原理がわからない人からすると「筋道がない」と受け取る可能性があります。 多くの場合、筋道がないのではなくお互いわかっていることだから省略しているのだと考えます。 常識は、健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別なので、共通知識ではありますが、知識というだけで必ずしも全てが正しいわけではありません。 全世界のうち日本に住む人達の中で賛成意見が多いから日本の常識といわれるだけで、世界的に見ると反対意見が多いなんて事は多々あります。 いわゆる日本の常識世界の非常識です。 もちろん日本の常識の中には、倫理的な推論や学問一般による裏づけがないものも多くあると思います。 あくまでも、1人1人の細かな意見は違えど大筋で似通っている「こと」が常識として認識されるのではないでしょうか。 >けっきょく自分自身の考えは打っちゃっておいて相手のそれに合わせたりする ここが少し飛躍していて「うっちゃいておく」訳ではなく、その場の常識(と呼ばれるもの)を考慮しつつ、自分の考えや損得も含め、判断はしているが、 共通の知識が常識として認識される人達の集団であるため認識が近い人達の間で行われる議論は常識としてはしょられる。 つまり、否定的な意見が出にくいのだと考える。 つまり共通認識を常識として定着させ余計な議論を減らし効率的にことを運んでいるとも取れます。 9. 果たしてこういう日本人は 人間であるのか? まだ人間に成っていないのではないか? 日本人はもちろん人間です。 そもそも人間の中の日本人やアメリカ人、中国人、フランス人、、、ですので日本人という時点で人間であることが証明されています。
お礼
ご回答をありがとうございます。 問い求めを追究するために 疑問点については問い返してまいります。 ★ 論理、道理の他の対話となると、感情論(どう思ったか主観的側面)ではないでしょうか。 ☆ たしかに 以心伝心とか非言語的意思疎通だとか あります。ありますが――屁理屈をこねるのですが―― その伝わりや疎通の内容は けっきょく言葉をとおして理解する・・・ということになるのではないでしょうか。 主観を互いに伝えるというのなら 結局においては 言葉で表わしたところの論理や道理である。こう思われるのですが どうでしょう。 ★ ~~~~~~~~~~ 議論の筋道がない これは「1を聞いて10を知る」ではないですが、報連相を例にあげると結果が第一、その次に説明が続きます。 聞き手は、結果だけ知りたい場合、次の説明を端折ることがあります。 その原理がわからない人からすると「筋道がない」と受け取る可能性があります。 多くの場合、筋道がないのではなくお互いわかっていることだから省略しているのだと考えます。 ~~~~~~~~~~~ ☆ つまり 論理はむろんのこと 道理も筋道のある道理・・・ということですね。 ★ ~~~~~~~~~~~ 常識は、健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別なので、共通知識ではありますが、知識というだけで必ずしも全てが正しいわけではありません。 全世界のうち日本に住む人達の中で賛成意見が多いから日本の常識といわれるだけで、世界的に見ると反対意見が多いなんて事は多々あります。 いわゆる日本の常識世界の非常識です。 もちろん日本の常識の中には、倫理的な推論や学問一般による裏づけがないものも多くあると思います。 あくまでも、1人1人の細かな意見は違えど大筋で似通っている「こと」が常識として認識されるのではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ええ。そういった捉え方が おおむねされるものとは思われます。 ここで しかしながら言いたかったことは そのジョウシキが ややもするとその場やあるいは広く日本社会といった場の・憂うべきは当面の共通理解をそのまま受け容れるといった流れの場合である・・・といった問題だと思われるのです。 つまり早い話が 例の《クウキ》です。このクウキによって・まだ自分の意見とはかかわらないところで大体の結論が決まったり その決まったと思われている結論の内容を どちらも互いにほとんど考え直すこともなくただ確認し合っている。といった情況が 多すぎるのではないでしょうか。 そのことを言いたかった。つまり 次の引用の初めのくだりです。: ★ ~~~~~~~~~~ >けっきょく自分自身の考えは打っちゃっておいて相手のそれに合わせたりする ここが少し飛躍していて「うっちゃいておく」訳ではなく、その場の常識(と呼ばれるもの)を考慮しつつ、自分の考えや損得も含め、判断はしているが、 共通の知識が常識として認識される人達の集団であるため認識が近い人達の間で行われる議論は常識としてはしょられる。 つまり、否定的な意見が出にくいのだと考える。 つまり共通認識を常識として定着させ余計な議論を減らし効率的にことを運んでいるとも取れます。 ~~~~~~~~~~~ ☆ ううーん。込み入って来ていますが 問題はかんたんだとも思います。 表現を端折ったり あるいは言わずもがなの部分は省略するという場合 それらが 自分の意見と同じでありみなにとっても共通に理解されていることがらであるなら 何の問題もないわけです。 そうではなく: ☆☆ けっきょく自分自身の考えは打っちゃっておいて相手のそれに合わせたりする ☆ のなら 問題だと思われます。 具体的な事例を挙げていませんが このように自分の意見が生きているか死んでいるか このどちらかであるという事態ではないかと思います。 ★ ~~~~~~~~~~~ 9. 果たしてこういう日本人は 人間であるのか? まだ人間に成っていないのではないか? 日本人はもちろん人間です。 そもそも人間の中の日本人やアメリカ人、中国人、フランス人、、、ですので日本人という時点で人間であることが証明されています。 ~~~~~~~~~~~ ☆ ええ。と同時に それは 人間である可能性 もしくは 潜在的に人間であるということではないのでしょうか? その潜在可能性が まだなお実際には現われてはいないという疑いが掛けられるのではないでしょうか。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
労働集約的で協調性が高く、通年の気候に準じて規律に従う ジャポニカ米稲作農耕文化の日本の集団主義において、 行動規範が、欧米の遊牧文化や南方の狩猟採集文化のように 自分の内にある(主義主張、我が強い)のではなく、日和見 =周りに合わせる)なので、自己主張や議論は嫌われる。 この2つの方法論は、自然の中にも、集団主義=先天的に 分業化しているアリ型の進化と、脳の発達により後天的 (経験的=意識において)分業化するヒト型の進化の両方 とも共存している以上、一長一短だと言える。 ただ、分業の発達=社会の複雑化において、古代の原始共産 制の“血縁共同体の助け合い”としての意識的社会化から、 お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”により、 自己チューな意識のまま他律的に社会化するようになった点で、 人類もアリ型進化にスイッチしたと言え、逆に日本が進んで いるという見方も成り立つ(その是非がは別にして)。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 同調圧力 ☆ なるほど。けっきょく 《クウキ》としての圧力でもあると捉えられるということですね。 ★ どこから生じているのか?・・・大きく見ると戦争放棄なんかも関係しているのでしょうか。 ☆ これまた なるほど。そこへ行きますか。 ちょっと考えただけで言いますが そうだとしますと――わたしの考えでは―― 《クウキへの同調 クウキの〔暗に〕示す方向への従属》は そもそもやはり社会体制としてのカラクリから来ている。そして この今の《戦争放棄》にからむ独特の平和主義は その社会の仕組みのほうから人びとの――あたまの思考回路の中へ――はたらきかけて来る。 こういった感じで ひとまづつかんでみました。 ううーん。北朝鮮の問題として捉えようとされたのですか。 東アジアの国際関係の場で この同調圧力を取り上げてみようというわけですか。 たしかに まわりの各国は 或る種の仕方で金正恩に同調せよと言っていますね。 ううーん。でも ちょっとわたしには むつかしい。もっと細かいところをしっかりと把握してからでないと そうかんたんにはいまの《クウキ》論では分析しがたいかと思われます。 ★ 本音をぶつけないで表面的協調を組むと ☆ というのは 《論理と道理とで対話をすすめる》といった基本が大事だということにつながるでしょうか? わたしには いまはこんな感じですね。