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論理と道理によるより他に どのように対話するのか

fuukakouの回答

  • fuukakou
  • ベストアンサー率22% (200/870)
回答No.5

とある本で、日本人は イエス、バッド ばかりだ。それはノーという意味だ。と欧米人によく言われる。といった言葉がありました。 ノーと言うと角が立つので、イエス あなたの意見はこうなのだという事を認識しました。あなたの意見は尊重します。 バッド 私のそれに対する意見は~~です。といい、意見の摺り合わせ(お互い相手の意見からもう一度考える)をしてるんです。落としどころを見つけるとも言います。 この角が立つですが、ノーは日本人には全面否定であなたの意見は尊重しません。といった攻撃的なものに映りがちなんです。 日本語の会話では、相槌が重要で、あなたのいった事を聞いてます、あなたのいったことを脳内で咀嚼しています、あなたのことを尊重してます といった事を伝えてるからです。 この相槌部分が イエス になっちゃうんですね。英語としてはおかしいという事になります。 この部分が無く、ノーとなれば逆の事を相手が伝えてると認識しやすいからです。 また、わざとでも悪くも無いのにすぐに「すみません」と謝るのも、生活の知恵です。 お互いに謝りあう事で、一歩退いてかっとなる事を防ぎ、あなたが全面的に悪いと思ってるわけではないです、あなたの事を尊重してます 今後の話し合いであなたの意見を尊重します と言外に伝えあい 冷静なジャッジや話し合い、またちゃんと考えられる状態を作ります。 この最初の謝り合いで、お互いに不利になる事は無い という事になってます。 この辺については、何との絆を大切にするかの宗教を含む考え方もあります。 キリスト教(欧米文化の基本になってますね)は、神との絆が基本です。 個人が神と契約し、絆があるので個人主義にもなる。 日本では、そんな神との契約が無いので、人同士の絆を大事にします。 だから、親しくなるのに時間がかかります。 絆を作っていい相手かどうかは見極めないとならないからです。一生ものですから。 この人同士の絆が、宗教的な役割をしていると私は考えてます。 人同士の絆を勝手に切る事は、相手の「契約による神との絆」を勝手に切る事のようなものです。大罪ですよね。 相手に切られることは、相手によって自分の「契約による神との絆」を切られてしまうようなものですから恐怖です。 相手を尊重し、理解し、絆を切らないようにすることが重要になってます。 だからお互いに気を使いあう状態になり、相手の考えを読もうとし、これが高じて以心伝心や、礼儀正しさになるのだと思います。 とりあえず最後まで話を聞いてから考える。この辺がそのように見えてるのではありませんか? (↑この文章もあなたには質問の主旨ように見えるかも知れませんが、質問を読んで考え、私はこう思うと思った。ではこの回答を読んであなたももう一度考えてみて欲しい というメッセージで、理解し合おうとしているからこそ、出てくる言葉です) 以上説明を含む意見でした。

bragelonne
質問者

お礼

 ふうかこうさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。まづ その日本式対話術について ふうかこうさんは 肯定・否定のどちらの見方をなさっていますか?  ( a )★ とある本で、日本人は イエス、バッド ばかりだ。それはノーという意味だ。と欧米人によく言われる。といった言葉がありました。  ( b )★ ノーと言うと角が立つので、イエス あなたの意見はこうなのだという事を認識しました。あなたの意見は尊重します。 バッド 私のそれに対する意見は~~です。といい、意見の摺り合わせ(お互い相手の意見からもう一度考える)をしてるんです。落としどころを見つけるとも言います。  ☆ ( b )の《意見の摺り合わせ》を経て《落としどころを見つける》方式は よろしいという見方でしょうか?  そうですね。正直な反応を述べてまいります。  ★ この角が立つですが、ノーは日本人には全面否定であなたの意見は尊重しません。といった攻撃的なものに映りがちなんです。  ☆ これは 受けて立つ側が どういう応答をするかの局面ですよね? 具体的に言えば このやり取りの場では 質問者の側にも回答者の側にも そういう局面はあります。  すなわち 質問者が回答を得て これに答える場合もそうですし それだけではなく 回答者が初めに回答を寄せる場合も 同じように《ノーで始めて意見を述べるか あるいは イエスで始めて そのあとバットをはさんで意見を述べるか》の方式選択の問題があります。  局面として 質問者にとっても回答者にとっても 同じかたちの場面です。  すなわち もし質問者が・つまり早く言えば質問者となっているわたしが ノーをあたまに持ってくる応答方式を採ったとすれば そのとき回答者は その初めの投稿となる回答の中で どういう方式を採っているか? これが問題となります。そういう問題だと思います。  質問者であるわたしが どういう応答方式を採るかは だいたい――単純にバランス感覚による応答のかたちとして――最初の回答者の応答方式いかんによって 決まって来る。のではないでしょうか?  つまり 回答者が 質問の趣旨説明に対して ノーで受けるか イエス、バット方式を採るか。これによって 質問者の受け答えのかたちも変わってくる。のではないでしょうか?    話が長くなっていますが 結論です。  わたしが ノーで始める方式を採ったのは 回答者の応答方式に合わせた。だけのことであります。  質問の趣旨に対して 初めから それはマチガイだ ダメだという発言の開始方式を採る場合もあれば イエスとは言わずとも ふにゃふにゃ ぶつぶつと言ってから バットと言い出す転回方式を採る場合もあります。  つまり 明らかに質問者であるわたしの応答は 回答者の投稿の態度や姿勢に合わせたものであるということです。  角が立つというのなら どちらが立てていましょうか?  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~  この辺については、何との絆を大切にするかの宗教を含む考え方もあります。  キリスト教(欧米文化の基本になってますね)は、神との絆が基本です。  個人が神と契約し、絆があるので個人主義にもなる。  日本では、そんな神との契約が無いので、人同士の絆を大事にします。  だから、親しくなるのに時間がかかります。 絆を作っていい相手かどうかは見極めないとならないからです。一生ものですから。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このあたりは お言葉を返しますが いまではすでにどちらも同じようになっているのではないでしょうか?  クリスチアニティにしても イエス・キリストのあとでは 《契約》は無くなりました。やっと二千年を経て そのことが現実化して来ました。(エレミヤ書31:31以降⇒へブル書8章)。  それに日本人が 神とかかわりがないかと言えば そんなことはないでしょう。先祖以来の神々を心に思っていますよ。祭りや季節の節々に地方の暮らしではじゅうぶん生活の中に溶け込んでいます。  生涯の友を得難いのは どこでも同じでしょう。A.スミスもそんなことを書いていますね。18世紀のことです。  もし  ★ 相手を尊重し、理解し、絆を切らないようにすることが重要になってます。  ☆ とおっしゃるとおりであるならば 問題は 投稿者が最初に回答を寄せるときの質問趣旨への《応答方式》をどうするか? ここにことを決める要因があるのではないのでしょうか?  ★ だからお互いに気を使いあう状態になり、相手の考えを読もうとし、これが高じて以心伝心や、礼儀正しさになるのだと思います。  ☆ あえて反対してみましょうか。  つまり そんな七面倒なことはないはずですよ。だいたいは 文章を始める最初の調子で分かるのではないでしょうか。つまり その投稿には アラシの気配があるかどうかがです。  何でもない普通のやり取りが出来るという場合も かんたんに分かりますよ。  そして そのような《ふつうか アラシか》の判定は 質問と回答とのあいだのやり取りの内容には 関係ありません。《論理と道理で》議論をすすめるだけのことです。  あるいはもっと反論するならば:  ★ 相手を尊重し、理解し、絆を切らないようにすることが重要になってます。  ☆ というのであれば ますます《論理と道理とで》――と言っても確かに それぞれの主観によるより他にすべはありませんが――相手の議論に対して イエスならイエス ノーならノーとはっきりと述べること このことこそが 大事なのではないでしょうか。  要するに 一部の人たちは 自分の回答内容にノーと言われた あぁ くやしい いっぺんくらいは イエスと言えと言って 駄々をこねている。だけのことです。  一般論を展開されましたが 具体的には いま述べたような実態となっています。そのやり取りは 残っていますから いつでも検証ができます。

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    頭が非常に悪いので助けて下さい。具体例を挙げて言葉を解説してくれたり、言葉のもっとわかりやすい口語的な定義(話す上で、書く上で自分の中でこういう意味だととらえている独自の定義でも構いません)や違い、そして例文を噛み砕いて教えてくれると助かります。 日本人ですが、いつまでたっても全く理解できません。 そのため、下記にあげる訳のわからないといっている言葉を一切使用せず解説でお願いします。 (論理、筋道、理屈、道理、条理、つじつまなど)  Ex. 条理=道理。 ←× 道理という言葉の意味がわからないので申し訳ないですが、説明の際に                 は道理という言葉は使わないでください。他の言葉も同様です      条理=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○    理屈=物事の筋道 ←× 筋道という言葉の意味がわかないので申し訳ないですが、説明の                     際には筋道と言う言葉は使わないでください。他の言葉も同様です    理屈=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○ まず、論理の意味を調べてみると、 論理=考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保障される法則や形式     例文:「筆者の論理を追え」「彼の論理は正しい」 思考の妥当性が保障される法則や形式って何? なんだ、筋道って? 調べてみよう・・・ 筋道=物事がそうなっているわけ(理由)。事の条理。道理。     例文:「筋道を立てて話す」「筋道を追う」 なんだ条理って? 道理って? だけど、世間でよく使われる筋が通っているって、「考えや気持ちがブレずに首尾一貫していること」だよな。でも定義の意味から考えると、筋が通っている=理由が矛盾なく人にも分かる? 意味がわからん。 ※通っている=矛盾がなく内容が理解できる 条理=物事の筋道。道理。 例文:「これは条理に合っている」 明らかに文章じゃ筋道とか道理の意味合いとは異なるような・・・。 また、道理とか筋道が出てきたぞ。じゃあ道理ってなんだ? 道理=(1)物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。理。      例文:「道理をわきまえる」「道理にはずれた行為」      (2)筋が通っていること。正論であること。      例文:「言われてみれば道理な話だ」「道理であいつがバカなわけだ」 人として行うべき正しい道っていうのは理解できるけど、物事の正しい筋道って条理と似たような定義だ。わけわからん。それから正論ってなんだ? 正論=道理にかなった正しい意見や議論  例文:「君の言うことは正論だ」 ※適った=ぴったり合った、当てはまった なんか意味が全て同じようで訳が分からなくなってきた。 所で矛盾ってなんだ? 矛盾=2つの物事が合うべき所が食い違っていて、つじつまが合わないこと     例文:「二人の話が矛盾している」 ※食い違う=(何か)と違っている、合わない なんだつじつまって?  つじつま=合うべき所がきちんと合う物事の筋道      例文:「話のつじつまを考える」 また筋道って言葉に逆戻り・・・・。つじつまと筋道って何が違うの? んじゃあ良く聞くつじつまが合うって? つじつまがあう=筋道が通っている。理屈に合う。          ※「証言はまるでつじつまが合わない」 ※合う=ぴったり合った、当てはまった もうわけわからない。 気を取り直して、今度は理屈の意味を調べてみよう 理屈=(1)物事の筋道。道理。 ←また同じ意味が出てきた。口語的な解釈だと筋道と道理と何が違うんだ。この意味からだと同じにしか見えない。      例文:「君の理屈が正しければ成功する」「理屈で物を語るな」      (2)無理につじつまを合わせた論理。屁理屈。 ←つじつまと論理って言葉が出てきた。論理とつじつまの意味と何が違って、どういうところと関連しているんだ?      例文:「理屈をこねる」 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 物事の道理とか物事の筋道とかなんでもっとわかりやすく説明できないんだ・・・。 って感じで調べてたんですけど、各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、書く言葉の意味合いが全く何も見えません。しかし世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。私も頭が馬鹿以外にもなんか理解できない原因があるのかもしれません。

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