• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アスペな私に教えて下さい!~命は何より大切なのか~)

アスペな私に教えて下さい!~命は何より大切なのか~

kanukiの回答

  • kanuki
  • ベストアンサー率55% (11/20)
回答No.16

 長文で失礼します。私自身の考えの整理として書かせてもらうので腑に落ちないかもしれませんがご容赦ください。また他の方の回答を拝見していないので考えが重複しているかもしれません。 1 お考えは異端ではなく、「命は何よりも大切」とは絶対普遍の価値で、「誰の命か」という視点でとらえたときに相対的になる、ということではないでしょうか。 「命は何よりも大切だが優先順位がある」ということで、優先順位は自分や家族、友人や知人、民族や国民、といった具合です。ですから、心臓移植でも家族と殺人犯でも誰の命かで大切にする優先順位がありそこは相対的になるということだと思います。 また、「津波で助けを求められても助けない」「相手を殺すために襲い掛かる」と書かれていますが、それは手段で「自分が死なないようにする」「家族を殺されないようにする」ことが目的でしょうから、仮に、「自分も相手も助かれば助ける」でしょうし、「家族が殺されなければ犯人を捕まえて処罰を受けさせる」のではないでしょうか。 2 私は死刑賛成論者ですので参考にはならないでしょうが、自己を満たす目的で他人の大切な命を奪った犯罪者から、そのもっとも大切な命を社会が奪って犯罪を償わせて収めるのはやむを得ない、という考えです。 3 命は大切でその一番は自分や家族です。その命を守るためと、その自分たちの命は他人からみれば他人の命なので、他人も同じく命の大切さ持ち合わせていると考えれば、お互いに命を大切にしなくてならない、という共通認識に行き着くのではないかと思います。 その意味で、今回の高校生は自己の好奇心を満たす目的で友人の命を奪ってしまったようですので、彼女自身だけの命の大切さで止まってしまい、相互の命の大切さの理解や共感をさせることができなかった状態だったのかもしれないと思っています。

noname#208590
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 結局、私が疑問に思うのは、「普遍的価値」が「相対化」するのはなぜ?という事のように思います。普遍的価値が建前として「相対化」が本音とすると、その間の折り合いを、皆さんはどうやってとられているのか、が分からないのです。 仰ることは分かるが「理解」は出来ていないのだろう思います。申し訳ないことです。 回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • アスペな私に教えて~命は何より大切なのか~その2

    前回の質問である「アスペな私に教えて下さい!~命は何より大切なのか~」の流れを受けての質問となります。(http://okwave.jp/qa/q8696467.html?from=history) 私はアスペルガー症候群を医師より診断されており、三級の手帳をもっています。医学的には間違いなくアスペです。日常生活で困ることは多くありませんが、本音と建前の使い分けの基準で、少し疑問に思うところがあり、質問いたします。 前回の質問では、命の価値は普遍なのか、相対的なのかという質問に対して、多くの方が、「普遍(何より大切)でもあり、相対的でもある」と答えておられました。 私の出した例題も、かなり過酷な状況を想定してものでしたので、余計にそう感じられたかと思います。皆様の回答は、分かるのですが、もやもやが残りました。いわゆるファジーな感覚がモヤモヤの原因だろうという指摘を頂き、今回は、そのモヤモヤにスポットを当てた質問となります。 「命の価値に優劣は無く、皆平等に尊いものである」事は、ある種当たり前のことだと思います。これを字義通りに理解すると、私も、回答者の皆さんも同じ「価値」を持つ命の保持者であると、仮定できると思います。これが、世間一般で「命は尊いもの。誰の命も奪ってはならない」といっても、ほとんどの人は異論を挟まないと思います。これは、建前(社会的な側面)だと私は思っています 一方で、私たちは建前を当然のこととして受け入れた上で「身近な人」と「見ず知らずの人」で、ごく自然に分類分けします。例えば、シリアやウクライナで、あるいはイスラエルで大勢の人が不幸で無くなっても、私たちは憤りこそすれ、身近な人がいなくなるような悲しみは受けませんよね。でも、身近な人が亡くなれば、深く悲しみにくれます。 これは当たり前のことなのは理解できます。様は区別の問題で、私たちは見ず知らずの人の「死」を情報としてしか捉えていない。自分の心理に重大な影響を与える因子としては、認識していない(できない?)と、私は理由付けています。「身近な人の死と、見ず知らずの人の死は等価ではない」これを、本音と言い換えます。 この本音を、例えば大勢の人の前で発言すると、たぶん顰蹙を買うと思います。議会の野次ではありませんが、「良識を疑う」とか「人として大切な資質が欠けているのでは?」というような、批判を受けるかもしれません。社会的には、受け入れづらいことだと思います。 ここまでが、前回の質問から、私が考え、理解できたと思う事柄です。 ここからが質問なのですが、上記の文章を踏まえたうえで 1 命の価値に関しての建前と本音の違いを皆さんは、自分自身にどう説明しておられますか? 2 命の価値に関する建前と本音の間の曖昧さが、気にかかることはありますか? 3 社会の中のこうした建前と本音の「違い」と出くわしたとき、皆さんはそれをどのように捕らえているのでしょうか?(私の場合は、とりあえず社会的に必要とされている答えと、自分の本音の二つを用意し、必要な場面で切り替えつつ、二つの間の線引きできる場所を考えます) 4 このようなことを、真剣に考えても理解できない私は(アスペですが)普通の方から見ると、やはり異様に見えるものなのでしょうか? について、教えていただきたいのです。 明確な答えなど、無い問題なのは分かっているのですが、普通の方がどう考えて、どう思うのか。自分の参考に出来る子tが無いかを考えたいのです。 難しい質問とは思いますが、回答いただければうれしく思います。 よろしくお願いいたします。

  • アスペな私に教えて!~本音と建前どう思う?~

    前回、前々回と「アスペな私に教えて下さい!~命は何より大切なのか~」として、質問をさせていただいたものです。 その1 http://okwave.jp/qa/q8696467.html その2 http://okwave.jp/qa/q8698658.html にて、命の価値や重さというものを、題材にしながら、本音と建前について、多くの方にご教授を賜りました。おかげさまで、私の中の本音と建前に関する考えが、大分整理されてきたと思っています。 まだ、自分の中で未整理の部分や、論として補強したい部分、少し寝かせてみたい部分もあり自分の見解を問いにかけることは出来ませんが多くの回答者の方から受けた印象について質問させていただきます。 私はアスペルガー症候群と医師より診断を受け、手帳の三級を交付されています。アスペルガー症候群は発達障害の一種で、知的障害の伴わない高次自閉症の一種だそうです。主に、空気が読めないとか、知能指数のばらつき大きい、興味のあること無いことの落差が、かなり大きいなどといわれるようです。 私も、検査では平均は普通、言語と動作のIQの差は30以上あり、郡指数は40近く最高値の部分と最低値が離れています。言われる症状に自覚のあるものです。 今回質問させていただきたいことはただ一つ。 建前と本音、使い分けるときに意識していますか? です。 私は、建前を使うとき、ほぼ意識しています。無数のパターンの中から、最適と思われるものを選択し、無難な対応が出来るように考えた発言が主です。中には、本音とはまったく違う「嘘」を、場に合わせて使うことも多々あります(例えばお笑い。面白くなくても、面白いと話をあわせるなど)。正直、結構意識して建前と本音を使い分けています。 所が、回答者の方の多くは、それをあまり意識していないと仰います。 私の主観からすれば、複雑な思考をパターン化し、最適手を効率的に選べる思考回路が構築されてるだけで、思考過程そのものは違わないんじゃないの?という気がします。 改めて質問内容を提示すると、 1  建前と本音を使い分ける際、意識しているか 2a 意識しているとすれば、どんな思考を経て「建前」を運用しているか? 2b 意識していないとすれば、それは最初からか、経験を経た結果か? となります。 たぶん、この辺が私と普通の方の大きな差となるかと思うので、少しでも、違いを把握しておきたいというのが質問の目的です。 いずれ、ヘイトスピーチや差別問題、児童虐待など、多くのことを理解する足がかりになればという期待も込めて、このカテゴリで質問させていただきます。 よろしくお願いします。

  • 命は命で償うのなら

    日本人は 大半の人が死刑に賛成ですが、その根底には 人の命を奪ったら 自分の命で償わなければならないと という考えが根底にあると思います。しかし、中には “「自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」ということですか?” と反駁する人もおりますが、それは「加害者の屁理屈」と言って良いかと思いますので、いくつも反論が可能です。 簡単なところでは、「罪」と「罰」は因果関係であって、「罪」が無ければ「罰」も存在し得ません。 言い換えますと、そもそも罪と罰には可逆性は無く、逆方向で考えること自体に無理があります。 あるいは、もっと判り易い話しで言いますと、「私の全財産を支払うので、この世で一番美味いモノを食わせろ!」みたいな、無茶な要求と考えてみて下さい。 即ち、「自分も死刑と言う膨大なコストを支払うのだから、何をしても良い」などと言う理屈は成立しませんし、「私の全財産」と「この世で一番美味いモノ」が等価かどうかも判らないのです。 「自分の命を差し出せば~」の場合、「自分の命」と言う、自分としては最大のコストを、一方的に支払ったところで、それは「捨てても良い命」であって、他人の命と等価では有り得ません。 せいぜい「自分は死刑になって良いから、死刑囚を殺させろ!」くらいじゃないと、等価じゃありません。 更には、所詮は「加害者の屁理屈」ですから、前提が「自分の命を差し出せば」である必要さえありませんね。 もっと値切って「無期懲役」とか、食い逃げ的な「バレなきゃ」「捕まるまでは」でも、何でもアリです。 「殺す」と言う動機に対して、加害者が「どういう屁理屈を付けるか?」に過ぎず、死刑の悪用にもなっていないでしょう。 みなさんは どう思いますか? この考えで 不備な点、矛盾している点を ご指摘ください。

  • 「命の大切さ」とは

    近年、障害者のボランティアをしており、 ふと、「命の大切さ」というものに 疑問を持っています。 自分自身、障害者の人と接する上で なおさらそのように感じています。 もし、この投稿で「命の大切さ」を感じた方は、 回答していだけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。

  • 命は命で償える?

    一応、死刑賛成という前提で考えます。 死刑賛成者の多くは 被害者遺族の身になって 奪った命は 自分の命を差し出して償うのが当然という考えがあると思います。 しかし、宅間守や加藤智大なんかは 死刑は当然なのに 喩えようのない やるせなさを感じるのではないでしょうか? 宅間は裁判で 「お前らの子供8人は わしが殺して わしが死刑になるために生まれてきたんや。」とか言ったそうです。 遺族としても 宅間を生かしておくのは 言語道断だけど、死刑にしたら 宅間の思い通りになったようで、特に 宅間が言ったように 自分の大事な子供の命が あんな外道の命の 1/8しかないことを認めるようで 非常に悔しい思いをしたと思います。 それに、遺族たちも いざ 宅間の死刑が執行されてみて、区切りはついただろうけど、虚しさを感じ、宅間の最後のセリフが頭に蘇り、自己嫌悪に苛まれたんではないかと察します。 命は命で償うというは、逆から 考えれば 最初から自分の命を差し出すつもりなら 何人殺して構わないということにも なりかねません。 死刑賛成派の論理だと 命はどれも同じ長さで 数本束ねても長さは変わらないということになるかと思いますが、死刑反対派の人からみて、命は命で償うことの最大の不条理は何だと思いますか?

  • 命を命で償うべきなら

    日本では 死刑賛成派の人が過半数を占めます。そして、死刑支持の主要な理由に「奪った命は 自分の命を差し出して償うべき。」という根強い考えがありますが、それでも 「最初から自分の命を差し出すつもりなら、他人の命を奪ってもいい。」とはなりません。私は 単純で馬鹿なので 「そんなの屁理屈だ。」としか、反論できませんが、どなたか、論理的に説明できる方おりますか? そもそも、命を命で贖う という考え自体が間違っているのでしょうか?

  • 命の尊さについて

    命の尊さについて 子供たちに語ることになりました 伝えることはだいたい決まってます ただ命の尊さを分かりやすく理解してもらうためにたとえ話が欲しいと言われました 誰かそのような話はありませんか 中学一年生なのであまりにも幼稚っぽい話はダメですし たとえばこういう夢を見て命の大切さを思い知らされたとか テレビで見たとか自分で作った全くの空想の話でもいいです 出来れば物語のようなものがいいです 最近 命を大切にしない子供が増えています 私は一人でも多くそのような子供の間違った考えをなくしてほしいと考えています がその話をする会まで日にちがあまりありません 物語風でだれか手を貸してください 子供たちの将来のためにも お願いします 補足 命は失うとそれっきり元に戻らないだから尊いものだしだから失うのが怖いものだと思います これが私の考えを簡単にまとめたものです .

  • 命の尊さについて

    命の尊さについて 子供たちに語ることになりました 伝えることはだいたい決まってます ただ命の尊さを分かりやすく理解してもらうためにたとえ話が欲しいと言われました 誰かそのような話はありませんか 中学一年生なのであまりにも幼稚っぽい話はダメですし たとえばこういう夢を見て命の大切さを思い知らされたとか テレビで見たとか自分で作った全くの空想の話でもいいです 出来れば物語のようなものがいいです 最近 命を大切にしない子供が増えています 私は一人でも多くそのような子供の間違った考えをなくしてほしいと考えています がその話をする会まで日にちがあまりありません 物語風でだれか手を貸してください 子供たちの将来のためにも お願いします 補足  命は失うとそれっきり元に戻らないだから尊いものだしだから失うのが怖いものだと思います これが私の考えを簡単にまとめたものです .

  • 女性は何にだったら命を懸けますか?

    以前から疑問があり、叩かれるの覚悟で聞きたいです。 女性は自分の子供以外に命を懸けられるものってありますか? 男性は戦争時代から国のため、妻の為、友の為、家族の為、 命を懸けてきました。 女性は国の為に特攻隊として志願できますか? また夫の為に命懸けられますか?ホンネをお願いします。 男性からのご回答もお待ちしております<(_ _)>

  • 自分の命について

    最近自分の命とは何なのか考えるようになりました。なぜ生きているのか、つらくなったらすぐ死にたいと思ってしまいます。 昔と違って、今は自分の命を軽く見てしまうようになりました。 命の大切さを知って、考えを改めたいのですが、そのことについて何か参考になる本などないでしょうか? ご回答よろしくお願いします。