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メタ的な推論のルール・規範について
- メタ体系として選択するものによって、体系内の生成規則と変形規則によって生成できる文字列が異なります。
- 体系外の視点では、「人間が判断できることなら推論として問題ない」という立場も存在しますが、無限のものを扱う際に困難が生じる可能性があります。
- 体系外の視点から与えられた判断が体系内の内容や結論の評価に影響を与えることもありますが、超有名な結果には影響がないとされています。
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まさしくご指摘の通り、メタ理論にどんな体系を使うか、ということで言えることが変わってきますね。 対象となる系をただの「文字列生成ゲーム」だと思って、メタ理論としてはフツーの数学を使い、つまりZF公理系に基づく算術を使ってそのゲームを分析する。ってのが不完全性定理あたりでの扱い方です。 人間の推論なんてものは、時代によっても個々人によってもバラバラで、そんなもんマトモに相手していたら話が進められないでしょう。(たとえば「100行以上の証明は長過ぎるから分からん」なんて恣意的な制約条件がまかり通ったら、それは既に数学ですらない。)ですが、少なくとも現時点では、選択公理を使わずに言える結果の方が、いわば「説得力」がありますよね。まるっきり構成的な証明がある場合だけに限らず、選択公理抜きなら存在定理でも対角線論法でもまず文句はないでしょう。それらを拒絶したら、古くから知られている数学の定理が沢山落第になりますから。この点、不完全性定理や決定不能性は文句がないというタグイの定理でしょうね。 一方、選択公理を使わないと言えない定理の場合は(ZFC公理系でないと駄目、という場合も)、「パラドックス」と呼ばれるにしても、公理系に基づく定理として認めざるを得ない。どこか歯切れの悪さが感じられます。もし、この辺の事情を汲んで「人間の推論をシミュレート」と仰っているのなら、しかしそれは、徒手空拳の直感だけで非形式的にメタ理論を展開せよ、ということではなくて、「方法としてどこまでを認めるか」ということをメタ理論の公理系への制限として折り込んでおけ、ということでなくちゃ。
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- trytobe
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私の素人のたわごとで思ったことは、「ゲーデルの不完全性定理」の議論に帰結するご質問なのかな、という点です。 その公理系の中では評価は不動だが、それを含む広い公理系から議論されると話は変わる、という可能性が議論される切り口なのかな、と思いまして。
お礼
回答ありがとうございます。 たとえば、矛盾した体系をメタ体系としてとったとすると(文字列の生成規則にのっとった文字列ならば)なんでも証明できるほどつよい訳ですよね。が、そんな体系をメタとしてとる意味はないので(対象の体系としてとっても意味はないですが)だれでもそこから出てきた(対象体系に関する)結果は納得しないと思います。納得しないという意味で意見は一致するということです。 しかし、メタ体系としてとれる体系にはできる操作の違いにより証明能力に違いがあり、人によって認める体系に違いがあるのではないかと素人ながら思ったのです。 ここまで書いていて思ったのですがこれは何もメタというか、対象体系についての議論に限られたことではないですね。 文字列体系が何かをあらわしていると見てとる、解釈する場合にはあらわしているものとの関係が問題になるので常について回ることなのではないかと思えます。 文字数を費やさず書いてしまったため言いたいことが非常にわかりにくくなってしまいました、申し訳ありません。このたびは回答本当にありがとうございました。
お礼
遅くなってしまい申し訳ありません。いつも回答ありがとうございます。 何を認めるかというのはその方法そのものだけで議論されるのではなくそこから導出できる結果の含めて決められるべきだということなのですね、そして(当あたり前ですが)ある程度の共通認識はあるわけですね。とても参考になりました。 有意義な意見を本当にありがとうございました。