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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸、農民や商人は武士の暴力からどう身を守ってた)

江戸時代の身の守り方:農民や商人が武士の暴力からどう身を守っていたのか

eroero4649の回答

  • eroero4649
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回答No.4

今の社会と違って、江戸時代当時は横のつながりというのがありましたからね。 その典型的な話が歌舞伎の演目にもなっている「極付幡随院長兵衛」です。不良旗本で評判の悪かった水野十郎左衛門とその仲間の狼藉の度が過ぎたため、地域の顔役だった幡随院長兵衛が仲裁に入りますが、面子を潰されて面白くない水野十郎左衛門は長兵衛をおびき出して無礼討ちという名目で殺してしまうのです。 ところがこの水野十郎左衛門、結局切腹を命ぜられるのですね。この事件は江戸時代初期に発生し、これが「判例」となって、以降、「町民や農民を無礼討ちにした武士は、無礼討ちにしなければならないほどの恥をかかされたのは不届き千万だから切腹を命ぜられる」となったのです。 他にも歌舞伎には、町人衆の代表である町火消と武士階級の代理である力士とのケンカを描いた「め組のけんか」って演目もあります。 あと、他の人も指摘していますが、当時の武士っていうほど武道(剣道)はできません。だってさ、そういうのを習うにもお金がかかるじゃないですか。戦争もないのに武道を習う意味なんてないでしょ。だから刀なんて抜いたこともないまま一生を終える武士なんて大勢いました。江戸時代の武士は武道を習うくらいならもっと文化的なものを習うほうを選んだのです。 だから、幕末になって治安が不安定になっても武士は頼りにならないから、農民階級出身の新撰組なんかに危険な仕事をさせたわけです。

noname#196493
質問者

お礼

その作品を読めば法令とか建前ではない現実の雰囲気がみられるかもしれませんね。 いいヒント キーワードをありがとうございました。

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