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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸、農民や商人は武士の暴力からどう身を守ってた)

江戸時代の身の守り方:農民や商人が武士の暴力からどう身を守っていたのか

風車の 弥七(@t87300)の回答

回答No.2

>>農民や商人は武士の暴力からどう身を守ってた 切り捨て御免なんて、テレビの見すぎです。 武士はほとんど一般庶民には手を出しませんでした。 一般人を一人切り殺すと、そのあと上役や今の警察に当たるところから事情聴取がありました。 悪質だとそれなりの処分があったそうですから。 杉浦日向子さんの江戸時代の本を読んでみてください。

noname#196493
質問者

お礼

たしかに多くの目撃者がいる状態では武士が階級の低い人間相手でも非の無い者に手を出すことは困難だと思います。 ですが少人数しかいないときはどうでしょうか。 被害者が商人一人で目撃者が町人二人だとして彼らは非武装、武士は刀を持ってて有利なわけです。 奉行所?から事情聴取があるのは被害者か目撃者どっちかが生きていて通報したときのみに限定されますよね。 借金してたり普段から揉めてたりすると、仮にその場を直接見た人間がいなくても、「武士と被害者の普段の言動」を底辺階級者が証言したらそれ「だけ」で武士階級をお上に取調べしてもらうことは可能だったんでしょうか?どうでしょうか?

noname#196493
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。

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