なぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

このQ&Aのポイント
  • なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか?あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか?
  • どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか?
  • 「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」という思いについて、どう向き合えばいいと思いますか?
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なぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

20代半ば、会社員です。 最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。 理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。 例えば・・・ 自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。 仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。 自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。 僕本人にしか分からないレベルで小さな変化や成長を自分の中に感じても、他人にとってはどーでもいいこと。 何かの技術に習熟して、他の人ができないことができるようになったとしても、やっぱり社会全体から見たら取るに足らないこと。 僕が何かの資格を取ったりしても、やっぱりそれは地球全体で考えたら本当に些細なこと。 そしてそもそもの話。 どんな風に生きたとて、結局のところ人は死にます。 当たり前の話ですが。 じゃあなんでどうせ死ぬのに頑張って生きるのでしょうか。 しかも、上述したように、何か頑張って成し遂げたとしても、ほとんどが自己満足。 自己満足を超えて社会に幾ばくか貢献できたとしても、その影響は本当に小さい。。。 もしあなたがベートーベンやゴッホなどの世界クラスの才能をお持ちであるならば、その影響は大きいでしょう。 ですが、そんな人は本当に極一握り。 僕を含む、彼ら以外のその他大勢の"凡人"は、結局頑張ってもその努力の跡や功績は後世には伝わらないんです。 じゃあ、頑張っても無駄じゃないですか? 一生懸命、大変な思いをしながら生きるのって、必要なくないですか? ただでさえ、あなたは日本や世界という基準で見たら、小さい存在で、正直いてもいなくてもいいんですよ。 あなたは後世に残る程の偉人にはならないだろうし、多くの人間に必要とされる人間にもならないでしょう。 その上、悪口を言われたり嫉妬されたり、潰されたり、精神的に辛い思いをさせられたり・・・と、色々な目に遭いながらも一生懸命生きたとして、残念ながら結局は死にます。 じゃあもう、どうせ死ぬなら生きなくてよくないですか? ・・・・っていうようなことを、ここ3ヶ月ぐらい前からずっと考えています。 自分は今20代半ばで、これまで色々とその場その場で頑張って来たつもりです。 高校受験の為に勉強して、部活では一生懸命走って、大学受験をして、そして就職活動をして・・・と、なんやかんや頑張って生きて来ました。 でもここまで生きて来て急に気付いたんですよね。 「俺、どうせ死ぬんじゃん」 「このまま生きてても、どうせ俺は後世に何年も残る偉大なものを作り上げることなどできない。つまり長い歴史で見ると俺の人生なんて何でもないんだ」 ってことを。 これまで本を読んだりして知識を付け、本人しか分からないレベルで成長したこと。 趣味を一生懸命やって、そのスキルを磨いて自己満足を得たこと。 ダイエットして痩せたこと。 何かに感動したこと。 新しい経験をし、新しいことを知って喜びを感じたこと。 これら全て、結局僕以外の人間にとってはどうでもいいことなんだなと。 そして、当たり前ですが、結局死んで無になるんだから全ては無意味なんだなと。 こんなことを最近強く思ってしまうようになったんです。 別に仕事で辛いことがある訳でも、プライベートで絶望的何かがあったとかでもありません。 恋愛で躓いているとか、他人が羨ましくて仕方ないとかでもありません。 特にサボリたいとか、その様な怠慢状態になっている訳でもありません。 単に、 「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」 という気持ちが急に湧いて来て、消えないだけです。 巷には 「人間関係を円滑にする方法!」 「コミュニケーションをスムーズにする為の〇〇ステップ!」 「資格試験取得への第一歩!」 「10年先を見据えた生き方をしよう!」 みたいな趣旨を唱う自己啓発本みたいなのが山のようにありますが、こんなのも正直無意味です。 結局あなたに、そして僕待っているのは「死」なんです。 ・・・みたいな、「そもそも論」的な部分でしか物事を考えられなくなってしまっただけです。 こんな状態なため、ここ3ヶ月は本を読んで知識を付けようと思っても、 「どうせ俺がこうやって知識を付けて賢くなっても、結局は自己満足だ。 しかも俺より賢い人はゴマンといる。 じゃあやっても意味ないよな・・・」 って考えてしまったり、趣味に没頭しようと思っても、 「どうせ俺がこうやって趣味を楽しんでも、俺よりこの趣味に習熟している人なんて山程いる。。。 じゃあ意味ないんじゃないか・・・」 こんなことを思ってしまい、もう全てに対してやる気が失せ、情熱を燃やすことができないんですよ。 この気持ちが一向に消える気配がないので、思い切って仕事も辞めようかとも思い始めてます。 仕事を辞めて、一切の友人関係を絶ち、部屋に引きこもって餓死するまでずっと横になって生ける屍になろうかと。 冗談ではなく、本気で。 かなり前置きが長くなって申し訳ありませんが、以上を踏まえて質問です。 なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか? あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか? それと(これはできればで結構です)、どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか? これらのあなた自身の明確な意見をお聞きしたいと思います。 (回答する際はお手数ですが、年齢の方も最初に明記して下さい。 その方が回答者様の人生経験などを推測しやすいので)

noname#196116
noname#196116

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.25

19歳女性です。 生きる意味なんていうのは、私も分かりません。 でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。 あくまでも私の考えです。 私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。 もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。 「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。 さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のことだと思います。 「生きる意味を探す」「生きる意味をつくる」というのも、立派な「生きる原動力」です。 抽象的になってしまい、分かりにくくなってしまいました。 もう少し分かりやすく言うと、私は、いのちの期限が決まっているからこそ、可能な限り、自分に与えられた人生を全うしたいと思うのです。 「生きる意味」というのは、誰かに提示されるものではなく、自分で見つける、さらにいえば、自分でつくるものだと思うからです。 だから、簡単に見つかるものではないのは当然です。 一生をかけて、向き合っていかなければいけない問いなのです。 勉学に励むことも、恋することも、友達と過ごすことも、家族をつくることも、仕事をすることも、全て、無駄なことではないと私は思います。 それらは全て、自分の生きる意味を形成するための重要な材料になるからです。

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。 僕よりもかなり年下なのに、色々達観されていて頭が下がる思いです。 素晴らしいですね^^ 「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きている、というのが回答者様が死なない理由なのですね。 参考にさせて頂きます^^

その他の回答 (32)

回答No.33

目にみえることしか、見ようとしない&信じれないから迷うんですよ。 電気、音、など目にみえますか? 目には映らない力がたくさんあるのです。 もっと視野を広げて素直になることです。

  • lapindog
  • ベストアンサー率33% (21/62)
回答No.32

こんにちは。再び回答です。 お礼にて、 どうせ生まれてきてしまったのだから、面白く生きないと意味がない というのが回答者様が死なない理由なのですね。 と、おっしゃいましたが、少し違いますよ。 面白く生きないと意味がないから死なないのではなく、死を選ぶことほどつまらないことはないので死にません。 もっというと、つまらない、とは、周りの人にこれ以上ないほどの悲しみを与える、ということでもあります。 いくら自分のために生きるとはいえ、人を悲しませるのは私にとっては、楽しいことではありません。 もちろん、自分自身で完結する事柄についても「つまらない」ことはありますし。 ところで、霊能者とおっしゃる方が回答なさっていますね。 彼女が本当に霊能者かは私にはわかりませんが、霊能者はいますよ。 霊能者、というと嘘っぽく聞こえますが、見える人には見える、わかる人にはわかることがあります。 わたしの祖父の知り合いには2人、普通の人間にはわからないことがわかる人がいます。 なにも言わずとも、どこにどんな病気があるか、どういう選択をするべきか、そして他にもいろいろなことを伝えてくれる人です。 いろいろというのは、ここでお話しても意味がないですし、信じてもらえないならそれはそれでいいことなので、詳しくは書きません。 テレビでみる霊能者とは随分違うので、イメージしにくいでしょうけど、「そういう人」は存在します。 そして、「そういう人」が言うには、自殺と事故は、その人にとって、そして魂にとって、最悪なことだと。 これについても詳しくお話するのは止めておきますね。 でも私は、その話を聞いてから、自殺だけはやめようと心に決めました。 事故にも遭わないように、夜の外出を控えたり工事現場の側を避けたりしています。 そういう人に出会ったことがない人にとっては、笑っちゃうような話でしょうけどね。 まあ、どうなろうとあなたの人生ですが、あなたはあなただけのものではありませんから。 選択、には気をつけてくださいね。

回答No.31

【補足】 そういえば、鷲田清一さん(哲学者)が書いた本に「死なない理由」という本があります。 読んだことがありますが、おそらく、参考になる内容だと思います。

  • ki2222
  • ベストアンサー率9% (30/328)
回答No.30

たしかにこの問題は深い。答えはでない。 快楽をもとめてしのう。 性行為はたのしいよ。若者より。

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。 性行為のためにいきている、というのが回答者様が死なない理由なのですね。 参考にさせて頂きます^^

  • ki2222
  • ベストアンサー率9% (30/328)
回答No.29

青年です。 それは性行為のためです。きもいいいですからね。しんではできません、

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。 性行為をしたいから、というのが回答者様が死なない理由なのですね。 参考にさせて頂きます^^

  • eld3399
  • ベストアンサー率4% (16/345)
回答No.28

事実、人間は生まれた瞬間から、死に向かっています。

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。

回答No.27

特殊な人間以外は、なかなか、生きる意味は理解できないですよね。 私が知ってる限りの知識をおしえます。 人が死ぬとあなたは無になると思ってますか?もし無になるなら、生きる必要はそもそもありません。 人というのは、 肉体、魂、精神でできています。死ぬとこの中の肉体、精神がなくなります。魂が抜け出て、俗に言うあの世へ戻ります。 あの世が表で、この世は裏なんです。元々我々はあの世から来ました。修業のためにね。 国籍、性別、男女、どの親の腹に入るか。すべて自分で決めてからこちらへ出生します。 いわば、修業環境を己が選んでこちらへやってきたということです。 自分で決めた環境ですから、命消えるまでは一生懸命やるしかありません。 ちなみに自殺をするとドロップアウトしたことになるので、残りのカリキュラムをあなたは逃げてしまったことになり来世に皺寄せがきます。 このように、現世を理解するにはあの世を理解しない限りムリです。 もっともっと、深くいきる意味を掘り下げてみましょう、若いのですから。 あの世とこの世の通訳者は、霊能者といわれる人たちです。 商売にしているいかがわしい人でわなく、無欲の本物と会ってみることです。また、書物もたくさん出ています。シルバーバーチを読みましょう。 私は霊能のある40代です。 頑張ってね。

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。 「霊能のある40代」と仰っていますが、霊能があることを証明して頂かないことには回答内容を参考にすることはできません。

  • lapindog
  • ベストアンサー率33% (21/62)
回答No.26

はじめまして。 ええと…まずあなたは、ご自分の意見について、「そもそも論」のように考えてしまうと書いていますが、本当の「そもそも」は違いますよ。 どうせ死ぬから頑張って生きる意味はない この一文、合っているところは、どうせ死ぬ、というところだけです。 世間では、「他人のために!」「人類のために!」「地球のために!」 と、何か自分以外のために「頑張る」ことが美だとか善とされています。 これ、確かにすごいと思いますが、たとえばガリレオやエジソン、ベートーヴェン…日本では、坂本龍馬とかどうでしょう。 彼らは結果的に、後世の人々に(場合によっては当時の人々にも)恩恵をもたらしましたが、彼ら自身、ひとのために、という気持ちだけで命を擦り減らして「頑張っていた」と思いますか? 確かに、歴史モノのバラエティ番組などでは、彼らは人々を救ったヒーロー!みたいな描かれかたをされがちですが、実は違うんですよ。 彼らは、自分がしたいと思ったことを、まわりのことなんて気にせずに、好きなようにやっていただけです。 その結果、たまたま歴史に残るような結果が残され、その結果というのは我々にとって都合のいいものだし、物語性もあるので、善として語り継がれているのです。 しかも、頑張っていたかどうかは、他人(私たち)が評価することなので、彼らが「自分は頑張っているなあ!」と思っていたかはわかりません。 (たぶんそんなに思っていなかったとは思いますが…) わたしは(おもに西洋クラシック)音楽に携わっているものですが、 ベートーヴェンもバッハも、それから、今生きている音楽家たちも、プロと呼ばれる人たちはたいてい、自己満足でやっています。 それだけ聞くと、聞こえが悪いでしょうけど、彼らは単に、自分なりの最高を、追い求めているだけです。 結局芸術に終わりはないですし、最高なんかに辿り着けることはおそらくないですが、私の知る限り、音楽家というのは、(それが意識的か無意識的かに拘らず)自分のために、音楽をしています。 ちなみに、他人のために!という一心で何かに取り組む人もいますが、それも自己満足です。 ただ、そういう目標で生きている人もやはり、頑張っている、というよりは、やりたいからやっている、だけだと思います。 それなのに、世間では、何かのために自分を犠牲にして「頑張る」ことか美徳とされるので、疲れてしまう人が非常に多いんですよ。 昔、人生即芸術といった日本人がいますが、知っていますか? 芸術は爆発だと語った、岡本太郎という芸術家です。 芸術の話?と思われるかもしれませんが、彼が言うには、人生は芸術と同じもので、その芸術とは…と、いろいろ語っています。 彼は、どうせ生まれてきたのなら、面白く生きた方がいいと、語っていました。 また、生まれてきたのになんにもしないなんて、死んでいるのとおんなじだ、とも言っていたと思います。 無理に、読みなさいとはいいませんが、彼の言葉が集められた【壁を破る言葉】という本なんかは、あなたにぴったりだと思います。 中古だと、安く買えるかと思います。 失敗しようと成功しようと、面白ければなんだっていいんです。 成功よりむしろ、失敗のほうが、面白いです。 それを面白がるのは、他人でなく、あなた自身。 あなた自身が、あなた自身を面白いと思いながら、もっと面白くしようとして生きるのが、いい人生の送り方だと思います。 どうするのが面白いのかは、人によって本当に違います。 私にとっては、音楽や文学を知ることも楽しいし、たまに自然と同化するように田舎に行くのもいいです。 実際に音楽を演奏したり、アマチュアなりに好きなように絵を書いてみたり… それなりに専門的な技術を知ってみたくて本を読んでみたり… なんだっていいんです。 すぐに死にます!という人でも、その「すぐ」までは面白く生きたほうが得です。 ましてあなたは、おそらくこれから何十年かは生きるのですから、頑張らないと!と思うほうがもったいないですよ。 自分を楽しませるために、やりたいことをやるのが一番です。 ときには人に迷惑をかけるかもしれないですが、そのときはそのとき。 社会で生きる上での最低限のルールは、ゲームのルールとして守りつつ、その中で、思うようにやれば、取り返しのつかない迷惑は、なかなかかけられないものです。 どうせ死ぬから、頑張るのは意味がない のではなく、 どうせ生まれてきてしまったのだから、 面白く生きないと意味がない のが楽です。 人間誰しも、楽なのが好きです。 楽な考え方をしましょう。

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。 どうせ生まれてきてしまったのだから、面白く生きないと意味がない というのが回答者様が死なない理由なのですね。 参考にさせて頂きます^^

回答No.24

50代女性です。 質問者さんの母親世代なので、 「どうせ死ぬのになぜ子供を産んだか?」という形で答えます。 理由は単純。自分の子供を見てみたかったから。 それから私は学生時代に母親を病気で亡くしましたから、 その悲しみを自分が母親になることで失くしていけると思ったからです。 私も若い頃、質問者さんのように生きる意味を考えた経験があります。 だから子供たちが大きくなったときに、 母としての彼らの生きる意味を伝えてあります。 「私の子だから、何もすごい人物になることなど期待していない。 でもあなたたちが生きている限り、将来私が死んでも その後30年くらいは私の遺伝子はこの地球上に存在することができる。 それだけで充分生きている意味があるよ。」 才能があって後世に名を残すような人は確かにすごい。 でもですよ。 ベートーベンだって作った曲を聴いてくれる大勢の人がいたから有名になれたんだし、 彼の曲を愛して聴いたり演奏したりする本当に沢山の人がいたから、 何百年たっても今も受け継がれているんです。 名もない何でもない人だって生きてる意味がないとは私は思いません。 誰もがちゃんと役割があって生きているのだと思います。 ここでも多くの人からさまざまな回答がもらえて参考になると思いますが、 よかったらあなたのご両親にも聞いてみたらどうですか?

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。 自分の子供を見てみたかったから、というのが回答者様が死なない理由なのですね。 参考にさせて頂きます^^

回答No.23

「どうせ死ぬのに無駄じゃん」というのは、 「海水が蒸発してもどうせ雨になって降ってくるのに無駄じゃん」って言っているのと同じです。 ”そういうもの”なんだから仕方ないです。 内田樹という人の本にありましたが、 どうやらこの世界は”後付け”的に答えがわかるようになっているんですって。 どうして勉強しないといけないの?という疑問の答えは、勉強してみて初めてわかる。 自分の意志で「生まれたい」と思ってこの世に生まれてきた人間はいない。 同様に「どうして頑張って生きなきゃいけないの?」という疑問の答えは、 頑張って生きた人にだけ分かるようにできているはずです。 頑張って生きててよかったー!と思った瞬間に初めて生きる意味が発生する、のかも。 28歳女性より。

noname#196116
質問者

お礼

お時間をとって回答して頂きありがとうございます。 頑張って生きた人にだけ頑張って生きる意味が分かるから生きる、というのが回答者様が死なない理由なのですね。 参考にさせて頂きます^^

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  • 政治経済の知識は社会人が勉強する必要がありますか?

    政治経済の知識って社会人になってわざわざ時間を割いてまで勉強する必要があるのですか? 国会議員、官僚、企業の経営陣、経済アナリストなど業務と密接に関わる人間なら、そういうことを生業にしている・必要情報であるためわかりますが、それ以外の人は何の意味有るのですか? 以下政治経済知識の薄い社会人の視点のお話をしています。 社会人3年目ですが、業務の勉強のことで手いっぱいです。私の非営業事務系社会人です。 正直お国の政治経済の話なんて個人的には興味ないしどうでもいいのですが、 日本社会ではサラリーマンで日経を読まないと社会人として疑われてしまう世の中ですので、 一応日経を読んで勉強しています。読んではいますが当方は理解力が高くないので、経済用語の意味・仕組みが良く分からないことが普通にかなり有ります。なのでほとんど身についていません。 読んでて果たして意味があるのかわかりません。 ただ凡人社会人が政治経済の話、つまりは国全体に関わるマクロ的な話題を知っても何の意味があるのだろうと前々から思っていて、今日質問しました。 直接的にも間接的に(もしかしたら遠い遠い所で間接的に影響しているかもしれません)業務と全く関係ありませんし、私が経済に影響も与えられません。ただ知っているだけで終わります。 凡人が真剣に政治・経済のことを考えた所で、誰かに直接影響を与えられないのでただの自己の見解や理想を語るくらいしか出来ません。 凡人が「~とはこうあるべき」と主張しても、主張しても通じるものはいません。 「日銀の総裁が黒田なった」というニュースにしても、結局お国に関係のある話しですし終わるレベルですし、「日本のGDPは3位」というニュースにしても、「GDPなんて話はお国が考えるべき課題であり、お国がGDPを上げるための施策」であるので、私たちにとってはその数値が高かろう低かろう直接関係ないです。 「私の1票がその人を選ぶことになるじゃないか」というレベルの話をされたらそれまでですが、 総理や国会議員が誰になろうと結局の所直接には影響は来ません。 無理やり結びつければ、非常に非常に遠いどこかで間接的に影響があるかもしれませんが。 以上のように、政治経済の話はマクロ的な話なので、サラリーマンにとってわざわざ腰を据えて「池上明の経済本」「これでわかる経済の本」的な経済本を金出して読む必要があるのかと思います。日経新聞も同様です。 凡人サラリーマンにとって政治経済の勉強など優先度の低いことを必死に勉強する暇があるなら、他の自分に必要な勉強・専門の勉強をした方がいいのではと思ってしまいます。ただ、これといった専門の勉強が無い営業や広報、人事など対外的な職は必要なのかもしれませんのでわかりません。 私独自の論理を展開しましたが、政治経済の知識とかってわざわざ腰を据えて勉強するほどのことでなくないですか?  政治経済の勉強と言うのは凡人にとっては、ただの周りとの話のネタとしてとらえて、特に深く知る必要はないのでしょうか? 用語の意味と理解を簡単に捕えて、表面的でも会話できればそれで政治経済知識は十分ですか? 具体的に政治経済の知識がどういった点で役に立つのでしょうか? 個人レベルの話で知識がないことでどういったことを判断できない・支障が出るのでしょうか? 私の考え方は相当偏っていると思いますので、誰か納得できそうな回答をよろしくお願いします。 また、雑誌や本などで「経済を勉強することは国の不当な搾取を守るためだ、自己防衛だ」「情報を鵜呑みにするな」「マスコミの報道は疑ってかかれ」とよく見受けますが、凡人には何が不当な搾取なのか、騙されているのか、真実ではないのかなどの判断が不可能です。どこからか流れてくる情報を鵜呑みにするなというならば、どこの情報を鵜呑みにするんだという話です。 資産運用する際に銀行や証券会社に出向いて受付の言っていることも鵜呑みにするな・信用するな ニュース・新聞で報じていることは信用するな(⇒じゃあどこを信用するんだ?、どういう点で不審なのですか?、鵜呑みにしてしまうと何か個人レベルでも影響受けますか?という話です) という話にもなります。 「情報を鵜呑みにするな」とは、政治経済の知識が業務に密接に関わる非常に潤沢な人の経験からの意見ではありませんか? その経験をしていない凡人には「鵜呑みにするなという意味不明なことを真に受けるには無理がありますし、その判断は我々はわからないので、従って、鵜呑みにするなだの自己防衛だの不当な搾取から守るだの意味不明なことを言われてまで勉強する気が余計に置きません。 「子供に、学校の授業で教えてもらったことを真に受けるな、疑ってかかれ」と言っているようなもんです。 時間割いてまで真偽の判断が難しい勉強をする必要あるのか余計に思ってしまいます。ましてや本業の勉強を割いてまで勉強する必要があるのかです。

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    政治経済の知識って社会人になってわざわざ勉強する必要があるのですか? 国会議員、官僚、企業の経営陣、経済アナリストなど業務と密接に関わる人間なら、そういうことを生業にしている・必要情報であるためわかりますが、それ以外の人は何の意味有るのですか? 私自身は、政治経済の知識はほとんどありませんの。 以下政治経済知識の薄い社会人の視点のお話をしています。 社会人3年目ですが、業務の勉強のことで手いっぱいです。私の非営業事務系社会人です。 正直お国の政治経済の話なんて個人的には興味ないしどうでもいいのですが、 日本社会ではサラリーマンで日経を読まないと社会人として疑われてしまう世の中ですので、 一応日経を読んで勉強しています。 ただ凡人社会人が政治経済の話、つまりは国全体に関わるマクロ的な話題を知っても何の意味があるのだろうと前々から思っていて、今日質問しました。 直接的にも間接的に(もしかしたら遠い遠い所で間接的に影響しているかもしれません)業務と全く関係ありませんし、私が経済に影響も与えられません。ただ知っているだけで終わります。 凡人が真剣に政治・経済のことを考えた所で、誰かに直接影響を与えられないのでただの自己の見解や理想を語るくらいしか出来ません。 凡人が「~とはこうあるべき」と主張しても、主張しても通じるものはいません。 「日銀の総裁が黒田なった」というニュースにしても、結局お国に関係のある話しですし終わるレベルですし、「日本のGDPは3位」というニュースにしても、「GDPなんて話はお国が考えるべき課題であり、お国がGDPを上げるための施策」であるので、私たちにとってはその数値が高かろう低かろう直接関係ないです。 「私の1票がその人を選ぶことになるじゃないか」というレベルの話をされたらそれまでですが、 総理や国会議員が誰になろうと結局の所直接には影響は来ません。 無理やり結びつければ、非常に非常に遠いどこかで間接的に影響があるかもしれませんが。 以上のように、政治経済の話はマクロ的な話なので、サラリーマンにとってわざわざ腰を据えて「池上明の経済本」「これでわかる経済の本」的な経済本を金出して読む必要があるのかと思います。日経新聞も同様です。 凡人サラリーマンにとって政治経済の勉強など優先度の低いことを必死に勉強する暇があるなら、他の自分に必要な勉強・専門の勉強をした方がいいのではと思ってしまいます。ただ、これといった専門の勉強が無い営業や広報、人事など対外的な職は必要なのかもしれませんのでわかりません。 私独自の論理を展開しましたが、政治経済の知識とかってわざわざ腰を据えて勉強するほどのことでなくないですか?  政治経済の勉強と言うのは凡人にとっては、ただの周りとの話のネタとしてとらえて、特に深く知る必要はないのでしょうか? 用語の意味と理解を簡単に捕えて、表面的でも会話できればそれで政治経済知識は十分ですか? 私の考え方は相当偏っていると思いますので、誰か納得できそうな回答をよろしくお願いします。 また、雑誌や本などで「経済を勉強することは国の不当な搾取を守るためだ、自己防衛だ」「情報を鵜呑みにするな」「マスコミの報道は疑ってかかれ」とよく見受けますが、凡人には何が不当な搾取なのか、騙されているのか、真実ではないのかなどの判断が不可能です。どこからか流れてくる情報を鵜呑みにするなというならば、どこの情報を鵜呑みにするんだという話です。 資産運用する際に銀行や証券会社に出向いて受付の言っていることも鵜呑みにするな・信用するな ニュース・新聞で報じていることは信用するな(⇒じゃあどこを信用するんだ?、どういう点で不審なのですか?、鵜呑みにしてしまうと何か個人レベルでも影響受けますか?という話です) という話にもなります。 「情報を鵜呑みにするな」とは、政治経済の知識が業務に密接に関わる非常に潤沢な人の経験からの意見ではありませんか? その経験をしていない凡人には「鵜呑みにするなという意味不明なことを真に受けるには無理がありますし、その判断は我々はわからないので、従って、鵜呑みにするなだの自己防衛だの不当な搾取から守るだの意味不明なことを言われてまで勉強する気が余計に置きません。 「子供に、学校の授業で教えてもらったことを真に受けるな、疑ってかかれ」と言っているようなもんです。 時間割いてまで真偽の判断が難しい勉強をする必要あるのか余計に思ってしまいます。ましてや本業の勉強を割いてまで勉強する必要があるのかです。

  • ありがとうポイント一万点到達したかた

    今日パソコンを開けたらありがとうポイントが一万点に到達していた! いやあ、なんと言いましょうか、嬉しかったです。 わが妻は「そんなのあんまり意味がないんじゃないの」とあまり相手にしてくれません。多分、自己満足なんだろうなあと思います。 でもやっぱり嬉しい。 見知らぬ人ばかりだけど、おんなじ人間に対し自分がこれまで生きてきた中で得た少しばかりの知識をお伝えし問題解決の参考にしていただき、感謝の言葉を受ける。それが積もり積もって一万点。これはやっぱり嬉しいことだよね。 すでに一万点を達成したかたがた、一万点を達成したときのご感想を簡単で結構ですからお聞かせください。