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男女間の友情の実情は?
- 男女間の友情は、内面的な魅力や共感はあるが、性的な魅力を感じることができない男女に関してのみ成り立つものだ。
- 実際には、男性が次の一歩を踏み出せず、友情関係に留まっていることが多い。
- 女性の方が男女間の友情を信じている人が多い。
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>結局、男女間の友情ということの実情は ↓ <前提>男女の間にも友情はあると思うが、男同士や女同士の友情とは質的に異なる特性があり、ハプニングや媒介する事象で恋愛や不倫等に突然変化する可能性・不安定さがある。 また、同性間では友情は波及し多くの友との付き合いも可能だが、異性間の<友情もどき・疑似的友情:仮称>場合は、そこに嫉妬や怨嗟の入り込むことが多く、友達の輪が広がる事を忌避する傾向が強い。 <私見> ◇友情・親友とは、良い事も悪い事も一緒に行った戦友(原体験の共有や尊敬&助け合いからの信頼感)、裸の付き合い(ホンネで飾らない、とことん熱中した語り明かしたり飲み合った、相談し合う)、少々の事は理解し許しあえる仲だと思いますが・・・ 悪い事で言えば共犯者(運命共同・死なばもろとも)の様に利害一致や腐れ縁や悪友の要素もある。 ◇それが、異性の場合には、どこかに隠し事や見栄やテレが入るだろうし、ハプニング(暗闇・密室・お酒)や出来心(好奇心や心身の淋しさ)での恋愛感情や性的関係への変化する可能性があり、複数の仲間に成ると怨嗟や嫉妬が心に宿るケースが多く成るから、同性間の真の友情・親友とは、結び付きや連帯感や許し合うキャパが少し違う疑似友情だと思う。 ◇それゆえに、一層、友情をキープしたい、大事にしたい異性には、距離感と節度を持って接するので、その意識や自戒・自覚・自重のタガ・少なからず緊張感や何処かに心許さぬ領域が残っている、秘密が有る部分で同性間の親友・友情とは異質だと思っています。 ◇本当に大事な友情や親友や同志なら(同性の場合とは異質だが、擬似的&酷似した大切な仲間)、誤解されたり、異質の部分をタガを外し越える可能性をケジメという意味で避けます。 そして、365日の内の360日位、24時間の内の23時間55分位は、異性を感じず意識せずに付き合える友情は存在すると思いますが、それでも個人差は有れど、異性間の友情にはハプニングの起こる可変化性が有るので同性間の友情とは全く同一とは言えず違うと思います。 ◇しかし、それは相手との親近感やシチュエーションにて、会話の中で嫌がられたり誤解を生む事の無い自然な範囲であれば、打ち解けた話、ジョークや盛り上がるネタの範疇であれば通常・平常時には顕在化せず、一生、異性間でも友情を続ける事は可能であり、疑似友情と実質同じ場合も稀にはあると思います。 ◇それを、異性を意識し変に避け拘るのも、楽しい会話にギコチナサと成るように思いますが、TPOで相手によって使い分けやリミッターは難しいとも思います。 そういう意味で、男女の間には友情はあるが同性間の友情とは質的に違う、それは敢えて言えば→「疑似友情」だと思います。 ◇しかし、それも、年齢・友情の期間・付き合い方にもよります。 <余程のハプニングやシチュエーションが刺激&媒介として働かなければ同性間の友情と同一のままです> 「アラ還暦の枯れた世代の中では、性差は限りなくありませんので、失礼に成らない程度に性別は取り払い、お互いが仲間・同志・同窓・同郷の由縁の仲であって、そこに男女の意識は殆どありません・・・」
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- troml
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恋愛は基本的に、1対1じゃなければならないということになってますから、恋愛対象を一人決めてしまったら、その他の異性とは恋愛できないわけですよね。 でも、世の中には、魅力的な人はたくさんいて、セックスはしないにしても、関わることでプラスになる異性もいっぱいいます。 男女の友情は成立しないと言ってる人たちは、世界には約70億人の人がいて、半分は異性なわけですが、異性は恋愛目的でしか関わらず、恋愛相手が決まったら、他の異性とは関わらないで生きていくわけですか。 そんな貧しい生き方で大丈夫?
お礼
ご回答ありがとうございます。 別に恋人や配偶者以外の異性と全く関わらずにいこう、 などとはいっておりません。 男女の間において、友情にまで高められた関係というのが 成り立ち得ない、ということをいっているのです。
- 783KAITOU
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●結局、男女間の友情ということの実情は ↑男女間に友情があるのか無いのかは、究極的にどうなのかを問うているのです。つまり、この問題は哲学的な問いなのです。あなたの問いは、異性との距離感の問題です。もっといえば、関係意識と了解意識が不全なのです。 人間の成長期には男女間にも友情があります。異性の友達を通じ異性の何事かについて知る訓練を子どもの頃にします。こういう頃の友情と、お互いが社会的に独立した存在である場合の友情というのは全然違います。友情があるかないかは普通後者を問うています。そして、究極的にを前提に問うています。 ご質問文書にあるように「結局」とか「男女の友情ということ」「実情は」と、訳の分からない言葉をならべて、又は条件をつけて考えるべきものではありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は”男女間の友情”という命題を、哲学的な問いかけとして おりません。あくまでも社会の人間間での関係性のなかで 考えております。そもそも、このようなサイトでの 問いかけ自体、どのようなものであってもOKなはずです。 問いかけ自体に違和感がある方は、答えなければ、 それですむことです。
- gouzig
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随分遠回りしたようですが、最初のご質問でもそういう結論だったでしょうね。 どんな時代でも、男女の関係は片方がその気がなければスッパリと諦めるということでしょう。 努力や忍耐という問題ではないでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- nikoniko951
- ベストアンサー率8% (2/25)
「互いに内面的に魅力は感じるし共感もできるのだが、 セクシャル(性的)な魅力を感じることができない男女の関係」が成立することは まずありません。 男性に限っていえば 「互いに内面的に魅力は感じるし共感もできるのだが、 セクシャル(性的)な魅力を感じることができない男女の関係」を男女の友情として 自分の彼女が男友達と二人きりでいることを快く思わないのは そもそもそういう状況が成り立つことがまずないと深層心理では感じているからです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 男性が、恋愛中の女性が男友達と遊ぶことをよろしく 思わないというのは、男女で友情が成り立たないということを 潜在意識的にわかっているからでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >相手との親近感やシチュエーションにて、会話の中で嫌がられたり誤解を生む事の無い自然な範囲であれば、 上のような条件においてならば、男女間の友情も成り立ちうる、と お考えなのですね。