- 締切済み
3つの宇宙観
noname#221368の回答
何度も言ってますが、現在の宇宙論は無限定常宇宙の解も許容します。しかし観測結果により、現時点での宇宙は有限で非定常であるように「見える」と言ってるだけです。 >宇宙の物理は数学的であると考えた人は多いのである。 上記は正しいです。しかし、数学的概念は必ず宇宙で実現されていると考えるかどうかが、近代とそれ以前との分かれ目になりました。ケプラーとガリレイの違いです。両者ともコペルニクスとともに天文学を物理学として自立させた立役者ですが、ケプラーは科学者の顔を持った占星術師でした。ガリレイは、技術に立脚した科学を行う科学者でした。この評価は、現在基準です。 ケプラーにとって、この宇宙が数学的なのは自明でした。そういう家系の中で育ったからです。一方ガリレイは「宇宙は数学の言葉で書いてある」と言いながら、数学機構がそのまま成立するとは思っていません。ガリレイは、数学理論の適用限界という考えを持っており、それが現代の実験思想へとつながります。現代の実験思想は、ガリレイの実験思想を基本的に、一歩も越えていません。 もう一人、近代以降において、数学的概念は必ず宇宙で実現されていると考えた人がいます。正確には「実現されているべきだ」ですが。デカルトです。 デカルトも最初は、宇宙が数学的であるのは自明だ、などとは考えていません。あくまで日常経験に依拠し、物理法則として日常経験を普遍化しようとした結果、数学的機構は必ず宇宙で実現されているべきだ、という結論に達します。 この結論は、彼が観測結果から得た経験事実であり、デカルトの意志です。最初から宇宙が数学的であったのではありません。 その結果デカルトは、多くの(観測事実と合致する)正しい結果も得ましたが、それらを大きく上回る多量な間違いも発生させました。物理思想史としてのデカルトの重要さは、ニュートンに比肩するものであるにも関わらず、です。 そしてニュートン力学は、この宇宙が数学的である事を経験事実として確立します。それは今も続いています。 注意すべきは、宇宙が数学的だからと言って、数学の全部が現実には成り立っていない、という事実です(現時点での観測結果によれば)。 >かつてマクスウェルは自らが考えだしたマクスウェル電磁方程式に基づき、電磁波の存在を予想した。 >マクスウェルが数学的に予想した電磁波は物理学者ヘルツによってその存在が実際に確認されたのである。 マクスウェルは、ファラデイの電気力線と磁力線の余りにヴィビッドな物理像に魅かれて、電磁場研究に手を染めます。ファラデイは、電気力線と磁力線を未知物質で出来た紐のようなものだと考えていました。 それを受け継いだマクスウェルは当初、電磁場を流体力学とのアナロジーで考えていました。よって、彼が自らが考えだしたマクスウェル電磁方程式は、徹頭徹尾に彼の思うところの物質像に支えられていました。その帰結として彼が数学的「手段」により見出した電磁波は、ヘルツによってその実在性が確認されます。「数学的に予想した」と「数学的手段によって予想した」とには、余り注目されませんが、隔世の開きがあるんです。 極端に言えばマクスウェルは、「物質としての」電磁場の運動が、その眼前に見えたんですよ。それは数学機構が訳もわからず存在するのとは、思想として全く違います。物理学者とは、そういうものです。 少なくとも、現時点での物理学者とは、そういう人達です。
関連するQ&A
- 人間には3種類います
1.宇宙は有限であると考える人 - 一神教ドグマに漬かった人達 2.宇宙は無であって欲しいと願う人 - 般若心経的に漬かった人達 3.宇宙は無限であると認識する人 - 真理を探求する人 そして哲学のステージは確実にこの順番で高まってゆくものではないか
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 観測可能な宇宙と全宇宙
ビッグバン宇宙論が意味する宇宙とはどんな宇宙か。 ビッグバン宇宙論における宇宙とは観測可能な宇宙のことであって、決して全宇宙のことではあるまい。 何故なら人間が宇宙の全てを観測することは不可能だからである。 観測可能な宇宙が有限であることは明らかである。 どれ程の最新機器を用いようと無限の先まで観測することは出来ないからである。 しかし観測可能な宇宙が全宇宙であるとは言えない。 そして観測可能な宇宙が有限であっても全宇宙が有限であるとは言えない。 何故なら我々の目の届かないところに宇宙は延々と無限に広がっているかも知れないからである。 観測可能な宇宙はいろいろある。 我々がいる太陽系宇宙は観測可能だし、天の川銀河も観測可能である。 天の川銀河以外にも観測可能な銀河は数多くある。 しかしながら我々が観測できる銀河以外に銀河は存在しないとは断言できまい。 何故なら我々の目の届かないところに無数の銀河が拡がっているかもしれないからである。 観測可能な宇宙であれば、それらはいずれも有限であり、形状と大きさをもち、誕生の時期とその生成プロセスを示すことは出来よう。 しかしそれは観測可能な宇宙のことであって、全宇宙ではない。 要するにビッグバン宇宙論における宇宙とは天の川銀河のような観測可能な宇宙を意味しているのではないか。 そしてそのような観測可能な宇宙を宇宙とみなして、宇宙は有限であるとか宇宙は膨張しているなどと主張しているのではないだろうか。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- ビッグバン有限宇宙は人間が望む世界なのか
少し考えてみた。 もし万物の根源、宇宙の法則であるアルケーの神は存在せず、 あるいは宇宙は無限であると教えるアルケーの神は正しくなく、 ビッグバンのみが正しいとする。 その結果この世界は137億年前に突如として無から生まれたものであり、 また宇宙は無限ではなく、まるで器のよーに閉じた有限な世界なのであり、 この世界は人間のために創造され、人間のために存在し、神も仏も全て人間のために有り、 天国や地獄も全て人間のために神や仏が用意したものであるとする。 これが正しい世界であるとしたとき、このよーな世界は果たして人間が望む世界なのであろーかと考えてみた。 しかし、どーしてもわしにはこのよーな世界は暗黒の世界にしか映らない。 やはり宇宙は無限であると教える万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神の世界のほーが遙かにマシであると思うが、このよーに思うのはわし一人であろーか。 あ~、アルケー、
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 宇宙の創造主は存在しない
宇宙の公理を用いてこれを証明します。 証明: 仮に宇宙の創造主が存在したとする。 すると宇宙は現在からある有限の時間内に創造されたことになる。 このとき第2公理より宇宙と宇宙の法則は一体なのであるから、宇宙と宇宙の法則は同時に創造されねばならない。 しかし第6公理より宇宙の法則は永遠無限に不変なのであるから、ある有限の時間において宇宙の法則が誕生することは有り得ない。 故に宇宙の法則の創造は有り得ず、これは同時に宇宙の創造も有り得ないことになる。 宇宙の創造が有り得ないのであれば、宇宙の創造主は存在しないと結論できる。 証明終わり。 宇宙の公理 第1公理 宇宙は存在する 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第3公理 宇宙の法則は宇宙の全現象を支配する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠無限に均一である 第6公理 宇宙の法則は永遠無限に不変である (※永遠とは無限時間、無限とは無限空間を意味する)
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 脳内断裂の世界
かつて、あるブータン帰りの人が言うた。 宇宙は存在しない。 無の潜在としての認識可能性において、その不完全性による階層現象 表面的定性化(いい加減さ)によって、存在的有限性が生じる時、 「無いとは分からないことが有」であって、本質的には存在しない。 彼は真理を探求しよーとブータンに行ったが、そこで得られたもんは真理ではのーて脳内神経断裂の世界やった。 ブータンは良質のアヘンを生み出すが、それは真理の探究の道具としては良質ではなかった。 その地にて彼の脳内神経は完全に断裂した。 脳内断裂した彼はその後、ビッグバン、ビッグバンとつぶやくよーになった。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 仏教は宇宙についてどー説いているのであろーか
仏教はこの宇宙についてどー説いているのであろーか。 宇宙は大きいが有限であると説いているのか、 宇宙は無限であると説いているのか、 宇宙は無であると説いているのか、 それとも、そのよーなことは分かりませんとゆーておるのか、 いづれであろーか。 語りえぬものには沈黙するのみともゆー、 言わず語らずの仏教は答えもなく、ただただ十難無記を貫く以外にないのであろーか。 あ~、哀れ仏教、 あ~、
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 宇宙は無限。不思議でしょうがない
宇宙は果て無く無限に広がっているというのが 不思議でしょうがない。こんなこと説明がつかない。 ビッグバンで宇宙が起こったというのも何の根拠が あるんでしょうか?ビッグバンが起こる前は何もない 真っ黒な「無」というのも意味が分からない。 詳しい人納得できる説明してください。
- 締切済み
- 天文学・宇宙科学
お礼
>しかし観測結果により、現時点での宇宙は有限で非定常であるように「見える」と言ってるだけです。 ここで一つ根本的な問題が出てきます。 どれほど最新の観測機器を用いようと人間が観測できる範囲は有限であるということです。 人間が観測できる範囲が宇宙の全てであるとみなすのは間違いでしょう。 何故なら人間の目の届かないところに宇宙は延々と無限に広がっているかも知れないからである。 また観測の結果から宇宙は有限であるとするなら次のような一連の疑問に答えられなければ科学とは言えません。 1.宇宙が有限であるならその有限宇宙はどのような形状を成しているのかとか、 2.その有限宇宙を包む宇宙の壁はいかなるものかとか、 3.地球はその有限宇宙のどの辺りに位置しているのかとか、 4.その有限宇宙の大きさはいか程かとか、 5.その有限宇宙に中心はあるのか、どの辺りに中心があるのかとか、 6.もしその有限宇宙が膨張しているのなら我々自身も(宇宙の一部なのであるから)膨張しているのかとか、どの程度の勢いで膨張しているのかとか、 7.・・・・・その他いろいろ、いくらでも疑問は噴出します。 実のところはこれらについて何一つ答えていないのです。 それ故ビッグバン有限宇宙は科学ではないと結論する以外ないのです。
補足
一つ追加すべき重要な疑問があります。 8.もしこの宇宙が有限宇宙なのであれば、それは閉鎖系宇宙を意味するのであるから宇宙全体に対し熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)が成立しなければならず、宇宙の全てが常に無秩序に向かわなければならないのではないか。果たして宇宙全体が無秩序に向かっていることを示す観測事実があるのか。